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クオリア降臨/茂木健一郎


そう、読んでわかった。
本書『クオリア降臨』は、クオリア概念を記述した著書ではなかったのだ。
 『感動する』とはどういうことか。
そんなことについて書かれていた本だと思う。
あほう、N.river。
ちゃんと選びなさい、アンタ。


もとい、
その後、見知った幾つかでクオリアについて説明するなら、
 『質感』というのが一番しっくりくると思える。
いろんな芸人さんが、それぞれに工夫して黒柳徹子さんのモノマネをする。
どれも微妙に異なる黒柳徹子が出来上がるのだけど、真似をしている! と認識できるのは、
みんな黒柳徹子さんのクオリアを表現しており、見る方がそれを感じ取っているかららしい。
リンゴもひとつひとつを見たなら二つと同じものはないのに、みんなリンゴと認識できる。
その本質として共通に感じ取られているものが、リンゴのクオリアである、
と言うわけなのだ。

ということでさらにつけ加えるなら本書は、
感動の『クオリア』についてを掘り下げた著書だ、
とN.riverは思った次第なのである。

感動を検証するにおおむね挙げられるのは、
茂木氏の好きな夏目漱石作品と、小津安二郎の映画、小林秀雄の著書もあったかな?
だったように思い出す。
この作品解析と、茂木氏の受け取った印象の記述は、
そうなんだよ、茂木さん!
と抱き合いたくなるほどN.riverには響いてならなかった。
物書きさんには、ぜひとも目をとおしていただきたい、
と興奮するほど付箋だらけの、切なくも美しい大団円がここには描かれている。

そうして受ける感銘を考察するうちに茂木氏は、これら芸術作品における『感動』についてを、確かこんな風にま
とめてらしたと記述する。
 
深く感動するとき、我々は確かに心へ強い感銘、衝撃を受ける。
それは作品によって心を、深く傷つけられた証しではなかろうか。
そして普遍と評される芸術作品には、必ずそうした感動があり、
受け取る側はむしろ、そんな痛みを、傷つけられることを
望んで作品と向かい合っている。

びっくりさせたい、驚かしたい、と奇をてらうのはありがちだけど、
もし、自分の書いたものでみんなを感動させたい、と思った時、
それがいつまでも残る感動であればいいな、と願った時、
どれだけ人の心を傷つける、
むしろ自分さえ傷つく覚悟があるのかどうか、
(自分へ切り込める知性、メタ認知、とでもいうのか?)
分かれ目は、そこにあるのではないかと感じて止まない。
その切実な思いが昇華された時、
誰もをはっとさせる感動を生むのではなかろうか、と。

そして同時に、
自分はどれだけその傷を受け入れることができる心を持ち合わせているのだろうか、
とも考えずにはおれず、
思いは巡り、N.riverはふっ、と侘しくなるのであった。


★夏目漱石の代表作と小津安二郎の代表作
 そのあらすじ知識が必要です
 逆に言えば、両方のファンの方は必読です
 そして何より、創作家さんに読んでいただきたい内容だなぁ
 と感じました