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ねじまき鳥クロニクル/村上春樹


装丁に惹かれて絶対読もう、と思った前回『半島を出よ』。
今回は最初数行へ目を通し、これは読まねば、
と引きこまれた村上つながりの一冊である。

ロッシーニの泥棒かさぎを口ずさみながら、パスタをゆでる僕。
そこへ謎めいた電話がかかってくることで、物語は動き始める。

とはいえこれまた長い物語の詳細を思い出せるほど、最近、目を通したものではない。
だからして特に記憶へ強く残っているものを書くなら、
それは主人公の僕が、失踪した妻を探しに向かうくだりとなる。
 
それまでの、僕の回りで次々と不思議なことが起きる毎日は、
僕の生活へ、得体のしれないものの侵入を予感させる。
ところへもってして決定打のように表面化した妻の失踪は、
(確かその後)「見つけ出して」と妻から僕へ送られたメッセージも加えて、
得体のしれないものが侵入しつつあったにもかかわらず、
触れずに過ごし、後回しにして来たそれへの決着を迫られているようで、手に汗、握らされた。
 
その中でも、決して地続きとは思えない場所に匿われた妻の奪還に向かうべく、
僕が井戸の底へ閉じこもる様は、
目的の場所へ続く物理的なドアを探すための行為でなく、
妻の元へ続く心理的なドアを見つけ出すための瞑想、模索、奮闘、に思えて、身につまされる。
あの共感はN.riverが錯覚した、N.riverだけのものだったとして、
N.riverには譲れない真実がある、と心の中で、
主人公の僕を強く応援したことを忘れない。
 
ねじまき鳥がどうの、と言うその前に、
次々課せられる不思議な出来事の中を手探りで進むような主人公の、
夢の中のようなおぼつかない足取りと、視界の狭さが、解決したようでしない全てが、
不思議と不安で「確かさ」をじわりじわり、砕いてゆくようで、
読み手のそれをも砕かれてゆくようで、
得も言われぬスリルに満ちていたことを思い出す。

そうして僕が連れ戻そうとしたものの本当が、「確か」という何か、
信じていた何かがバラバラに跳ね飛んでしまわない、杭のようなものだったとしたなら。
ねじまき鳥のねじが巻かれることで、それは常に仕込まれていたものだとしたなら。
巻くのは。

そもそも世界とは、ねじまき鳥とは。
その元で、何も知らぬ顔して暮らす僕らの毎日とは。

読みみ返し、
読んだ直後ならば、もう少し違った意見に問いを持つに違いないと思えるが、
遠い昔の所見をここに、したためる。
 
しかし本書がこうして家に並ぶまでにはは、面倒くさい経緯があった。
最初、三部構成のうち図書館で一部、二部を借りたのだが、
先を読んでいる方が、なかなか三部を返さない。
待ち切れずN.riverは三部を、文庫で買った。
なら一部、二部がないのはおかしく、とある古書店でハードカバーのそれを見つける。
安いだけに即買い求めれば、
自宅の本棚に三部だけが文庫という珍妙な光景が出来上がった。
 絵づらが、絵づらが、耐えられない。
三部もハードカバーで揃えた。
つまり、三部は二冊もいらない。
文庫を売り払った。
なんだ坂、こんな坂、そんな無駄!

★途中、ノモハン事件についてが大きく取り上げられます
 いくらか知識があった方が
 読みやすいだろうと思われました
 言葉も平易で 春樹氏独特の含みが詩的です
 写実にこだわらないのであれば
 そのイメージとロジックの狭間で遊ぶに
 上質の一冊とおすすめします