1Q84/村上春樹
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今ここではっきりさせておこう。 N.riverは『恋愛モノ』が苦手だ。 なぜ苦手なのか、と自分なりに分析するなら、 恋愛とは好みからそのきっかけまで、私的の最たるもので、 それは一人一人、遺伝子が異なるくらい個別化されていながら、 物語として流通せねばならぬ時、共感を得ねばならぬ時、 陳腐なものどほど 最大公約数を狙う「ねじれ」が生じているように思えてならないからだ。 だが本書は、最大公約数に大多数の賛同を得るようなカタチを取っていない。 (ように思う) 物語の最初から離れ離れのままでいる主人公の二人、青豆と天吾がかつて互いに惹かれたそのワケは、 本人たちにしか分からない個人的な確信、として取り扱われている。 だからこそ理解され辛いそれがどういうものであるかを第三者へ伝えんがため、 物語は綿々とつづられる。 いや、N.riverにはそう感じ取れ、抵抗を覚えることなく読み進めることができた。 おかげで青豆と天吾だけが持つ感覚は、じわりじわり、身近なものにすりかわってゆく。 近づけば近づくほど、理解できそうもなかった個人的なそれへ 埋没してゆけるのだった。 などと、作中でも、二人にしか分かり得ないものを手助けする他人は現れない。 (確か) そうした展開は、離れ離れながらも、よりどころとして貫き、行動する二人へ 痛々しくも切ない感情を抱かせると同時に、 早くなんとかならんのか、ともどかしささえ覚えさせる。 経た最後、手に手を取って、 『1Q84』の世界から、二人の居るべき『1984』の世界へ戻ってゆく勇ましい姿は N.riverにとって胸のすく大団円で、 そこで幸せになれるかどうかは、また別の話だとわかっていても 二人にしかわからない思いがあればこそ、誰がかわれるものかと、 青豆と天吾を信じて止まなかった。 二人なら、何があっても切り抜けるはずだ、 と確信せずにおれなくなる始末である。 小説の三権分立ではないがN.riverは、 心、もしくは『情』が書け、 有機物としての生理、『肉』の存在が書け、 (本書にもいくらか出て来た性描写について触れようかと思ったが、エラいことになりそうなので割愛することに した。N.riverの指す『肉』とは人間の三大欲求、食、性、睡眠、その周辺のことである) 最後、理性としての『論、ロジック』が書けたなら、 完璧だなぁ、と浅はかにも考えている輩である。 そしてそう見たとき、『情』と『肉』を扱った物語は乱立すれども、 そこに毎度、ロジックが潜んでいる春樹氏の作品は、 本書もまたただの恋愛もの、と捉えるに足りない秘密を匿っているような気がしてならない。 そもそもの設定、『1984』年の世界と、青豆と天吾が迷い込んだ『1Q84』年の世界はだからして、 我々が我々にしか分からないものを貫いた時、戻れる 希望に満ちた新しい展開が待つパラレルワールドではないのか、 と夢想してしまうのである。 いや、安易に格好つけすぎたかな。 すぎたな。 ★恋愛もの、と焦点を当てて紹介したけれど 暗殺者、新興宗教、探偵と、 サスペンス要素ももりだくさんです どちらの視点から読んでみても 遜色なく楽しめると思います ただし何度も同じくだりが繰り返し出てくるため くどい、と思われるやもしれません しかしながらもの思ふ 秋の夜長に相応しい 一冊だと思いました |