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文学部唯野教授/筒井康隆


文学とはなんぞや。
物語は好きだがそれが分からず、
不詳N.riverは『文学部』なんぞに入った。
しかし思う。
この『文学部唯野教授』さえ読めば、行かずとも
N.riveの疑問の大半は解けたのではなかろうか、と。
 
文学とは学問だ。
学問とはつまり、科学である。
なら小説を科学足らしめる論説展開とは、どういうものなのか、
その方法を主人公、文学部、唯野教授の授業というかたちで時系列的、
もしくは体系的に書きまとめつつ、
教授の周囲で起きる出来事もまた面白おかしくつづってあるのが、
本書である。
 
しかしこの唯野教授の授業が、わかりやすい。

そもそも作品を語る時、
好きだの嫌いだの、自分にとって良いだの悪いだの
判断基準が統一されることなく、曖昧な主観の氾濫していた文学のあけぼの。
が科学であればこそ、普遍の絶対基準は求められ、
唯野教授は文学論講義で、成立するまでの印象批評からポスト構造主義までを淀みなく語る。
 
もちろん唯野教授とは、
その名を借りた筒井氏本人であることに間違いはないのだが、
筒井氏の読書量、知識量を少しは聞きかじっているだけに、
それが本職とはいえ、明晰すぎる論の展開に圧倒されてやまないのである。
対照的に下世話な唯野教授の周囲で起きる出来事は、
滑稽で、相変わらず皮肉に満ちていて、ドタバタ加減が大人げなく、
有様がチャーミングで、笑いの宝庫だ。
 
というか、両極端が書けるその実力を、まざまざと見せつけられる。
 
コラムとしてここに、読んだ著書についてを記録しているN.riverだが、
だからしてせめてなるべく、安直な主観に傾倒しない内容で書こう、
とか心がけているつもりであり、
自分にとって好きか嫌いか、良いか悪いか、
このベールをくぐった向こうにあるものが本質なのだ、
と、改めて印象付けられた本書なのだった。
 
そんな普遍な科学の目でみればこそ、
己のテリトリーから一歩、踏み出す機会は与えられ、
それはさらなる守備範囲の拡張へとつながり、
ともない知識と感性のアンテナは少しづつながら広がってゆくのではないか、
そうなればいいな、と期待するN.riverであった。
 
さらにひそかに、
それこそが文学とはなんぞや、
というN.riverの疑問に対する実践的回答ではなかろうか、
などとアテを見つけたような気にもなると、
一人、ムフムフ小鼻を広げる卑猥な秋の夜長のコラムしめくくり、なのである。
 

★文庫版が出ているとして 実際を知らないのですが
 ハードカバーで読むと下部に
 注釈がたくさんついています
 作家 思想家 専門用語はそこでカバーできます
 読めば目からウロコ間違いなし
 物語に没頭していた自分から
 少し客観的に判断できる材料が満載ですよ