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海と老人/アーネスト・ヘミングウェイ


なかった。

図書館に文庫本として『老人と海』はなかった。
おかしいだろ。言いたいが、ないのだから言ったところで始まらない。
おそらく全集に納められているものと察する。だがそれは分厚く、
借りて帰るに現実的な物量ではない。諦めてN.riverは
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を棚から取る。
ハードボイルドつながり、ついでにこれも読むべし、と思っていたためだ。

しかし夏休みはN.riverの味方だった。帰り道の書店にて、新潮文庫の平積みより、
なんなく『老人と海』を見つけ、買い求めたのである。


二時間ほどで読めたそれは、ただじいちゃんが魚を釣って帰って来る物語ではない。
これは職人とそれゆえのストイックさと、プライドの物語である。
物語の半分以上は、巨大な魚と老人の対話だ。
が、もちろん魚は話さない。
つまり魚と勝負す老人の葛藤であり、手が切れようが背中が剥けようが、
食うものにさえこまろうが、眠れなかろうが、
揺るがず負けず釣り上げようとする漁師のプライドを賭したモノローグである。

壮絶だ。
じいちゃん、フィジカルもメンタルも、そらタフである。
数日間、海上で一人、耐える。
そして自らの体力と駆け引きしながら、虎視眈々とチャンスを狙う。
そのストイックなさまが、ザッツオトコ! である。
高倉健か? イメージがだぶる。
最後、これまた無情と手柄は横取りされ、悔しい思いもするが、
プライドを賭けたこの大一番に、そうしてなくしたも同然の証拠のせいで、
浜で若いヤツらの鼻をあかかせなくとも、
釣り上げたのだ、という事実はじいちゃんに残る。
しかしそれは漁師であるじいちゃんにとっては、当然の一部だ。
多くを語らず、存在で(行動で)示す。
感じ取っている漁師の少年は、じいちゃんを神のようにあがめ、疲れた体の世話をする。

いわゆる頑固じじいは、万国共通。
淡々とした、打たれても打たれても粘り強さを発揮するヘミングウェイの筆運びが、
秀逸と思われる。
魚を釣るだけで、あれだけ話を膨らませるのか。驚くしかない。
そう、行動で表現するハードボイルドの典型なのである。
と、ひとり納得。

しかし思う。ヘミングウェイはウツ傾向にある、と。
これまであった「ステキな物語の世界」を、特有の「厳しさ」が示すリアル主義で、
どこか批判してはしいないか。
だったとして、そこが斬新と注目されるのは、
これまでになかったからこそとうなずけるが、すかっとしないことはいうまでもない。
苦虫を噛んだが様な、がだからして余韻として、いいのだけれど。

分かった。
もう、よく、分かった。
『誰がために鐘は鳴る』も数多くある短編も、また今度。
イッキ食いでひとまず腹がふくれたので、返却日に間に合わせるべく、
N.riverは『長いお別れ』に手をつけるのだった。


★名作としては短い方なので、読みやすい
 そら、釣り好きの方には、なお感情移入できるはず
 激しいバイオレンスも、ましてやセックスも出てこないので、
 十分、小学生からでも楽しめます