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棒になった男/安部公房


芥川賞がなんだ。
あともう少し生きていれば、ノーベル文学賞を取っていた、と言われる人物、
それが医者であり作家であった、安部公房氏である。

N.riverと安部氏の出会いは、N.riverが受験生だったころにある。
現代文の模擬テストに、問題文として安部の小説が引用されていたことが最初だった。
小説のタイトルは『棒になった男』だ。

確か、デパートの屋上、昔は定番だった遊園地を訪れた男がその柵に寄りかかり暑さに茹だる。
色々考えた挙句、ふらりそこから飛び降りるのだが、そのさなか男の姿はまさに棒切れ変わる。そうして道端にコロンと落ちたところを警察官(だったかな?)
が拾い上げる、というなんともシュールな短編である。

まず、落ちるまでの情景描写に展開はリアルとしか言いようがない。
だが男が落ちたとたん、ミューテーションは始まる。
今までとの落差は、なんだ!
驚かざるを得ないのに感じて止まない必然性と、ゆえの自然さは、じつはすでに高校三年間、なんだかんだとオハナシを作っていたエセ文学っ子、N.riverにとって、とにもかくにも衝撃的だったのだった。
文字ゆえ可能なものごとのひとつに超現実、があることを、その超現実がむしろ真実に迫る、ということを、まったくもってイメージの、記号の、概念の世界の凄味を、知らされた、というわけなのである。

さて、N.riverが安部氏を語るに挙げるのは、
北海道生まれの氏は、幼い頃を満州で過ごしている、という点についてである。

当初満州(国)は、知っての通り中国内、日本が占領していた土地で、
日本人はそこで良い待遇を受け、裕福に暮らしていたそうだ。
だがそれも敗戦までのこと。
負ければ中国人に何をされるや分からない。ゆえに満州にいた日本人らは、日本人であることを隠すように、命からがら日本まで逃げ帰ったらしい。
安部氏はこの時、子供ながら一夜にして一変した自分の環境に、今まで信じていたものがあっけなく裏返るその瞬間に、すこぶる衝撃を受けたという。

これはまた、当コラム内でも過去、取り挙げた、
生粋の軍国主義者であったにもかかわらず、
負けるはずがないと信じていた日本が敗れ、
果たして自分は正しく社会を見ていたのか、
どうすればその姿を正しくとらえることができるのか、
と疑問を抱いた吉本隆明氏と共通する体験である、と記述しておく。

 大きく価値観を揺るがされた両者は共に、
それぞれの方法で『社会』を、それを作り上げる『人間』を見つめ、今と未来をより正確にらえようとした、知の巨人であると、N.riverには感じられてならないのだ。
(えらくざっくりすぎて、言い当てているようで何も言えてないけど、いいの)

で、『棒になった男』はどうなったのかというと、
帰国後、体験をもとに安部氏が政治活動をする中、周囲に思想を訴えるため書いたこれは短編だった、と記憶している。
だからして男が有機物から無機物へ変化する、『個人の価値の転換』以外、物語の背景には右翼だの左翼だの、政治的意味合いもこめられている、と後、学校の講義で解説を受けた。

だがここで作品論を展開しても、むしろクダラナイ。
そしてN.riverにはもう、ニガオモイ。
 鼻血ブー、フー、ウー、なのである。(三匹の子豚って、いつの時代だ、ソレ)
だからしてN.riverが胸を張って記述するならこうなるのである。

すぐ読めるぜぇ。
しかも、超シュールなファンタジー寄りだぜぇ。
異世界へ入ってゆくようなオチはなんてったって、強烈な余韻を残すぜぇ。
体験上おすすめできる、安部公房入門の短編だぜぇ。
どうだい、ワイルドだろ?
とかなんとか。


★新潮文庫でほかの短編『友達』
 などと共に収録されています
 安部公房はそもそも
 ワカラナイ ことをいじくりまわせる人向け
 だと思えます
 でなければ肌に合わない場合
 何が書いてあるのかかわからない
 に終始する可能性があると思われます