ライブチャットの天才




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流れるそれが川である、と気づくに視線は低く、
目と鼻だけをのぞかせぼくは、水面(みなも)の鈍いうねりを見回す。
黒々とした流れはぼくの周りで幾筋もの尾を引くと、絡まり、ほぐれて、合間に濁った泡をただ吹かせていた。
その勢いはぼくの息より数倍早い。
きっと口を開ければたちどころに、はらわたは流されてこの中にばらまかれるだろう。
ぼくは覚悟した。
つまりこの身もすでに、流されている。
そんなぼくに不安なんて中途半端なものはない。
ただ怖いだけだ。
だからぼくは手を伸ばす。
伸ばした手はぱしゃん、と音を立ててかろうじて流れを遮るけれど、
切れた流れは互いを呼び合い、あっという間に前より強くむすばり合った。
もう一度、伸ばしたところでぼくの腕は
ただ錆びた桃缶に触れるだけだったり、
水底に突き刺さった自転車のハンドルをかすめるだけだったり、
もう疲れ果てて、一緒に木切れと流れゆくだけだったり、
掴めるようで掴めず、溺れるようで溺れきれず、
ぼくはただ、もう続きはもういらないよ、と呟くしかなくなる。
そうして知った。
それを閃きというらしいってことは、ずいぶん後から聞いた話だ。
なによりぼくにはちっとも開いた感じなんてなかったのだから、
証拠に、どちらでもかまわないこの目を閉じた。
水に潜って、頭の先まで浸かってみる。
とたん流れは耳へ噛みついて、ぼくへ口を開けとそそのかした。
けれど、ぼくは決して耳をかさない。
逆立つ髪の先まで流れのままに、ただただくるくる回った。
すると掴み損ねた桃缶が、ぼくの頬をなでてゆく。
帰って来たんだ。
何しろ違う桃缶だなんて、思えやしない。
だから錆が記号のようなそれを掴んで、ぼくはありがとう、と呼びかけ前へぐいっ、と突き出した。
すると水底に突き刺さっていた自転車のハンドルは桃缶の中にすっぽりはまって、
ぼくははたまた、ぐいぐいっ、と引き寄せてみる。
ついにサドルの位置を探り当てたなら、木切れは向こうからやってきて、
ぼくがまたがったばかりの自転車へ、これでもかとぶち当たってみせた。
衝撃だ。
その振動がぼくの目を、一時、両方、開かせる。
桃缶もくわぁん、と鳴って行き先を告げ、叩き起こされた自転車が、驚き、突っ込んでいた泥の中から前輪を跳ね上げた。
ならそれは今度こそ、ぼくに訪れる。
怖いのは、掴もうとしたからだろ?
ぼくらは流れに乗ったんだ。
閃いたなら躊躇なんて、昨日の彼方さ。
ぼくはすかさずペダルを踏み込む。
巻きつく波を巻き返し、ぐいぐい、ペダルを回してやった。
そんなぼくが乗っているのは、長らく水底に突き刺さっていた自転車なのだから、周りにはいろんなものがぶら下がっているけれど、ぼくが漕ぐから自転車も懸命に息をする。
持ち上げた。
引きずった。
流れの底がどうん、と音を立てた。
ごわごわ、ゴミが舞い上がって、水の流れもやがてぼくらを押し上げ始める。
あわせてぼくは、重いハンドルを切った。
水面だ。
見上げて初めて、その向こうに広がる世界を目に焼きつける。
空って、箱だ。
そこには青い色が詰め込まれていて、ぼくはその隙間のなさに息を飲んだ。
けれど、箱の中へ飛び込もう。
水面はそこに水平線を引いていて、
桃缶の響きが目指すぼくの両足へ、なお力を巡らせる。
ぼくはぼくを忘れるほどにだ、ほどにペダルを回しに回した。
なら、ぼくと自転車は一心同体。
やがて水面をぬう、と割る。
さようなら。
ついてこず流れゆく桃缶へ、木切れへ、押し上げてくれたみんなへ、ぼくは目配せを送った。
そしてそうと決めたんだから、思いきり深く前掲姿勢を取りなおす。
休んだりせず両足へ、今日一番の力を込めた。
応える自転車が、息を弾ませタイヤを回す。
二つのタイヤは浮かび上がり、流れを切ってしゅうう、と水面を滑り走った。
様子はミズスマシのようで、水面に伸びるわだちの痕が、本当に格好いい。
ぼくは見せつけ右へ左へ、これみよがしとハンドルを切る。
切ったそのとき自転車は、ほんの少し浸していた水面からさえ、浮き上がった。
だからといって、ぼくが驚くことはない。
むしろ声はこう飛び出す。
飛べ、飛べ。
嘘じゃないんだ。
ぼくが目を閉じたから、全ては底で繋がっただけのこと。
行け、行け。
箱の中から見下ろして、初めてそれが川だと知った。
なんて大きな川だったんだ。

と、ふと心配はぼくの頭を過ってゆく。
青い箱を汚していやしないかな。
抜け出してきたばかりの体は少し臭くて、ぼくはくんくん鼻を鳴らした。
いいさ、と前へ向きなおる。
それはまた川へ戻るための印としよう。
何しろぼくはただ、目を閉じただけに過ぎないのだから。
自転車もそれがいいと、いろんなものをぶら下げている。

fin

本作品をお読みいただき有難うございました。