昔々 の巻
11


 ヒザの高さまである水をかき分け、雲太らは浮かぶ副屋まで進んでいった。建御雷を出した手には白く塩が吹いており、払ってそっと勾玉を拾い上げる。天にかざし今一度、すべらかな形を雲太らは確かめた。
 帯びていた稲妻の光はそこにもうない。雲太は勾玉を京三へ預ける。両手で受け取り京三は、勾玉を懐の深いところへおさめて手をあてがった。
 さて、副屋がこんな具合に散壊してしまったのだから、寝床は作りなおさねばならないだろう。三人はそのあと散ったワラ屋根をかき集め、泥の上に敷き詰めた。これでいつも通りだ。遥か高天原を屋根に変え、静かに両目を閉じていった。
 明けて翌朝は、昨日の嵐などなかったかのように澄み、晴れわたる。さんさんと降り注ぐ日は早くもぬかるみを乾かすと、もう所々を白く変えようとしていた。
 祓いの約束が果たされたらしいと、様子をうかがい訪れた長の様子は、まったくもっておっかなびっくりがちょうどの足取りだ。そうして消えてなくなった副屋と、代わりに現れたた水溜りや塩の柱にほとほと驚いてみせ、寝ぼけ眼をこする和二をつかまえ早々にいきさつを求める。だが和二は要領を得ず、顔を洗いに水溜りへ向かっていた京三が戻るなり、代わりをつとめることとなっていた。
 聞き入る長は長老と言うよりむしろ、船場の頭だ。日に焼けた顔は潮にさらされ、独特のシワを細かく刻み込んでいる。それでいて晴れ晴れとした面持は、まさに力仕事に従事する者の気でみなぎっていた。京三が勾玉を懐から取り出せば、その顔はことさら引き締まった様子だ。
「あらぶっておられた時はこの地に災いをもたらしておりましたが、建御雷神がその怒りを祓い鎮めて下さりました。今は見ての通りの和魂です。ゆえに、この地に手厚く祀れというのがご神託です」
「へ、ただちに 祠ホコラを建立し、そこにおさめて祀ることをお約束いたします」
 もったいないといわんばかり、両手を差し出した長がうやうやしく譲り受ける。なおさら勾玉を頭上高くへ持ち上げ、頭を垂れた。もちろんその一礼が己へ向けられたものではない、ということは分かっている。京三もまた勾玉へ目を伏せていった。
「あ、間違っても、村に現れた蛇を傷つけることなどないように。時には酒や蛇の好むものなど献上してご機嫌を伺えば、末永く村の良き守り神として地を治めて下さることでしょう」
 つけ加えればその通りに、答えた長が、衣の懐へ勾玉をしまい込む。ほっと息をつき、改めて京三へと顔を上げた。
「しかし、これもまた建御雷のお力なのでしょうか」
 その面持ちはいつしか、神妙と変わっている。
「どうかされましたか?」
「え、昨日まで節々が痛いと伏せっておったうちの女房ですが、朝、目が覚めるとすくっと立ち上がってみせまして、もう朝げの支度にかまどを吹いております。いえ、うちの女房だけではありません。村中の女どもがその様子で、は」
 そう言えば、と京三は辺りへ目をやった。とはいえ、この村を訪れた時は夜が迫り薄暗く、雨も降りしきっていたせいで様子をよく目にしていたわけではない。だがすぐそこの浜から響く波の音にも、遮って立つ松の木立にも、そして何よりぬかるみが暖めつつある村の風にも、感じることのできなかった活気が跳ね踊っているのを目にする。傍らに立つ和二も、察したようだ。耳を澄ませて鼻をクンクン鳴らしていた。
 と、気配だけではなく、確かにそこに女の笑い声は混じる。軽やかさに思わず京三から笑みはもれ、聞きつけた和二とその目を合わせてまた微笑み合った。
「健やかにあれと、建御雷が言霊を残してゆかれました。病の因果が切れただけでなく、たちどころに元気になられたのは、そのせいではないかと」
 向きなおり、長へと説いた。
「なんと、もったいない」
 長はまた天へ深々と頭を垂れ、面を上げた。
「旅の方へも重ね重ね礼を申し上げたい。祠建立のいきさつとして、このことは語り継いでゆきたく思っております。つきましては、失礼ながらお名前を……」
 京三をまっすぐにとらえて申し出る。
「いえ、わたくしどもはただ屋根を借りて待っておっただけで、名乗るような名は……」
 そら、たいそうなことだ。京三は眉をへこませ、再び和二と顔を合わせた。そこで和二は頷き返している。なら口にする言葉は決まっていた。
「名乗るような名など、持ち合わせておりません」
「でしたら、せめて今日の船代は無用ということに」
 言うものだから、京三の目はたちまち輝く。
「今日、出立できるのですか?」
 それこそが目的であった。
 前にして長はうなずき、浜の方へ首を曲げる。やおら持ち上げた指で、風をつまんでみせた。手触りを確かめるようにその腹を擦りあわせ、嗅いで松の木立の間からわずかにのぞく浜へ目を細める。
「風もなく、嫌な湿り気もございません。海もこのように凪いでおり、嵐の後とは思えぬ穏やかな様子。支度が整い次第、昼までには船出できるよう、漕ぎ手どもにも話をつけて参りました」
「それは助かりますっ!」
 数日は足止めされるだろうと諦めていただけに、京三は伸び上がってまで頭を下げた。
 と、面を上げ、喜び勇んでいた表情を元へ戻す。
「そう、言えば……、昨晩の顛末を最初に聞いたのは兄からとのこと。その雲太が見当たりませんが、支度が立て込んでまいりました。長は兄がどちらへ向かったか、ご存じありませんか?」
 また風に、キャッキャと笑う女の声が混じって聞こえた。
 知らせて長がアゴを傾けたのは、その声の聞こえてくる村の中程だ。
「ああ、 御仁(ゴジン)でしたら、あちらの住まいに」
「え、兄はお邪魔しておるのですか?」
「へ、病を祓ったのが御仁であると分かれば、女どもが礼をしたいと言い出しまして。昨晩、蛇の持ち出した酒がずいぶんお気に召されたごようすでしたから、酌をさせていただいております」
 聞いた京三の顔色は変わってゆく。
「な、なんですと」
 だが長は気づいていないらしい。
「ずいぶんご機嫌でいらっしゃいますよ、え」
 つけくわえてみせるものだから、京三はクルリ、きびすを返していた。
「雲太ぁっ!」
 一喝する声は大きく、負けず劣らずの勢いでダッ、と駆け出す。
 残された長はそこでポカン、と口を開いていた。
「な、何か?」
 和二へその目を瞬かせる。なら鼻の頭を掻いて笑う和二は、慣れたものであった。
「うん。うんにいは、けいにいに酒は飲むなと言われているのだ」
 そんな二人を捨て置いて、京三は矢のように走る。船も出すなら魚も獲る村だ。道具が干された戸口を、朝げにうろつく村人の驚いたような視線の間を、風となって駆け抜けた。
 その一足ごとに笑いの出所はここだといわんばかり、大きくなる。ひしめく人の気配さえ、京三の鼻先をかすめた。そうして辿り着いた住まいといえば、副屋と似たような造りをしていた。だが住いには小さな窓がひとつ取り付けられると、入口にはムシロではなく板が立てかけられている。
 勢いを殺すことなく京三は、中へ飛び込もうとした。
 瞬間、押し返すようにして中からきゃー、と女の悲鳴は放たれる。やおら入口に立てかけられていた板が弾け飛び、二人、三人、とそこから女たちは飛び出した。ぶつかりかけて京三は足を止め、女たちを肩でかわす。そのとき目にした女たちはみな、どういうわけか叫びながらも笑っていたり、赤くなった頬を両手で覆っていた。
 手遅れか。様子に京三は息を飲む。全身の毛をざわめかせ、女の途切れた入口へ身をひるがえした。
「雲太ぁっ!」
 今度こそ飛び込めば、そこは土間だ。京三は仁王立ちとなった。なら少しばかり高くなった土座の上、カラになった瓶子と女に囲まれ、あぐらをかいた雲太は京三へ手を振ってみせる。
「おお、京三、お前も来たか。これは美味いぞ、まあまあ飲め飲めッ」
 様子はご機嫌そのもの。つまりしたたか酔っていた。
 しかも、すっぱだかで。
 おかげで女どもから黄色い悲鳴は上がり、そんな雲太を指の隙間から見たり見なかったり。やいのやいのともう、朝からとんでもない騒ぎになっている。
 前にした京三の頬がぴくぴく、引きつった。それはこめかみにまで伝わって、やがてぼむ、と脳天から何かを噴き出させる。
「あっ、あなたと言う人は、またですかぁっ!」
 そう、この雲太という男。酔うと脱ぎたがる癖があった。ただそれだけで別段、悪さをするわけではないが、後々、兄弟そろって後ろ指をさされる顛末だけは免れられない。それもこれも幾度か繰り返したあとであったならら、もうたくさんです、叫んで京三は土座へ駆け上がる。
「この恥知らずの、 ()れ者がぁっ!」
 瞬間、骨と骨とのぶつかる鈍い音が住まいに響いた。
 果たして京三の一撃が雲太の酔いを冷ましたとして、雲太がこの一部始終を覚えていることこそない。それがなおさら治らぬ悪癖のわけでもあるのだった。  

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