たまご の巻
12


 風が肌をなでる。
 ()()の軋みも心地がいい。
 すべては長の言うとおりであった。京三は今一度、その広大な景色へ目をやる。離れた陸はもう見えず、少しばかりおどろおどろしさをのぞかせた鈍色の海が、四方へと広がっていた。そのうねりは穏やかそのものだ。船も風に波を相手に気ままと戯れている。ままに遥か彼方、大日本豊秋津洲(オオヤマトトヨアキヅジマ)へ向かい進み続けていた。
 初めて乗る船に、和二は先程から舳先の向こうを覗き込んだままである。背負った荷の重みに、ドボンと海へ落ちてしまわないかが気が気でならず、京三は先ほどから幾度も注意しているが、その様子を見て笑ったのは漕ぎ手たちで、笑われたのはむしろ京三の方だった。
 (アカガネ)色に日焼けした上背を晒し、腰巻ひとつで乗り合わせた漕ぎ手は二人いる。聞けば一人が行きを、一人が帰りを漕ぐということだった。そろって彼らは落ちたとしても自分らが引き上げてやるから大丈夫だと京三をたしなめ、 むしろ五人も乗ればうろつく場所もない船の中、気をもんで腰を浮かせる京三こそ船から揺り落とされぬようにと、からかい半分、注意してみせる。
 確かに、ここは慣れた者の言うとうりにすべきだろう。忠告に、京三はようやく尻を船の底へ落ちつけた。なら荷物同様のその身は他にすることをなくしてしまい、暇を持て余してふい、と腹具合に気付かされる。
 オノコロを出たのは、昼前だ。京三はお天道様を見上げた。そろそろだろうとめぼしを付け、よし、と背に縛り付けていた荷をほどく。中から取り出した笹の葉の包みを、ヒザへ乗せた。
 何を隠そう、これは船へ乗る間際、長の女房が腹の足しにと持たせてくれたもので、そのずっしり重い包を解けば、中から三つもムスビが顔をのぞかせる。京三はどれもにしっかり手を合わせ、さっそく真ん中のひとつをつまみ上げた。なら穀が日の光にぴかっ、と輝く。めがけてぱくり、京三はかぶりついた。噛みしめてすぐ、その味になるほど、と頷き返す。塩は建御雷の残していったものを使った様子だ。この上ない加減に、なおさら笑みを深くしてゆくのであった。
 とその時、声は後ろから聞こえてくる。
「お前、よくこんなところで物が食えるな」
 雲太だ。続けさま、うえ、とえづく声までもが上がっていた。何しろ酔いも醒めぬまま船に乗り込んだ雲太は、酒に酔ったうえに船にまで酔うと、陸を離れてしばらくしてからというもの和二同様、海を見下ろしたままとなっている。だが京三に、心配してやる義理こそなかった。
「雲太が自業自得なだけなのです」
 食事中なら見たいと思えず、前だけを睨みつけてまたムスビへと、かぶりつく。
「まさか今日、船が出るとは思えん……」
 だが言い切らぬうちに、雲太はまた、うえ、とえづいてみせた。
 京三は目を閉じ、ついでに耳も閉じる。
「ああ、せっかくのムスビが不味くなる」
 そんなやり取りを笑ったのは、雲太を足元に置いて休まず手を動かし続けていた漕ぎ手だった。
「はは、まだ海は半分ほど残っておりますよって、これはもう諦めんとなりませんな」
「まったく、面倒のかかる兄でございます」
 振り返って肩越し、京三は頭を下げ、漕ぎ手は慣れているから、と笑顔を向ける。
「揺れて気分が悪うなるのを見るのも、これまた愉快なことですわ」
「お、おぬし、他人事だと」
 聞かされた雲太が青い顔を持ち上げ唸った。漕ぎ手はそんな様子も笑い飛ばし、改め京三へ問いかける。
「しかし、秋津洲に一体、どんなご用がおありで?」
 ひとつめのムスビを食べ終え京三は、指についた塩をなめてちょうど二つ目へ手をかけるところだった。
「はい。とある 御仁(ゴジン)へ会いに。間に、 (ミタマ)を詣でることも考えております」
 ようやく納得したらしい。向かいで眺め続けた海から顔を上げた和二が、舳先を背にして笹の葉の包みを荷から取り出し始める。
「さようですか。その御仁は、島の浜におられる方なのでしょうか?」
「いえ、出雲に」
「いずも?」
「わぁ、 (ミカヅチ)の塩だ」
 ムスビへかぶりついた和二の声は上がった。京三はそんな和二へ笑んで頷き返し、漕ぎ手へと振り返る。
大国主 命(オオクニヌシノミコト)でございます。ご存じでいらっしゃいますか?」
 だが漕ぎ手の返事は冴えない。
「さてはて、わしらはオノコロの者ですからよって、島のことはよく存じ上げませんが……」
 ならうずくまる雲太と場所を奪い合うように、櫓の根元で座り込んでいた帰りの漕ぎ手が思いがけず低い声を投げた。
「島では十分に気をつけなさるがよい。奥へ行くなら、なおさらじゃ」
 訳ありげな口ぶりは、二つ目のムスビを口へ入れかけていた京三の手を止まらせる。
「それはどういう?」
 問い返していた。
「あまりいい噂を聞かんと言うだけじゃ」
 帰りの漕ぎ手はあまり愛想がよくないらしい。それきり黙り込んでしまった。ややあって言葉が足りなかったと、渋い顔でこうも話し始める。
「なに、わしらはオノコロから島へ人を運べば、島からオノコロへも人を入れる。だが島から来おった人はどうも顔色が冴えん。食うもんがないと言えば、戦がはじまっとるとも聞かされた。浜にもこの間、 (シシ)が出おった。山におる猪が、じゃ。歯で突かれて、こいつの甥っ子は怪我までした」
 こいつの、と言ったところで、振ったアゴで漕ぎ手を示した。指された漕ぎ手は忌まわしい事を思い出した、といわんばかり顔色を曇らせまあな、と歯切れの悪い相槌を打つ。
「村で奇妙な病が流行ったのも、島から (タタリ)が渡ってきたせいに違いない。よからぬ場所じゃ」
 帰りの漕ぎ手のつらがまえは、ただただ渋い。
「そういうわけで、着いてから申し上げようと考えておったのですが」
 などと申し出たのは、行きの漕ぎ手であった。
「わしらは島へ上がりませんよって、途中からは歩いてもらうよう、お願いしたいのです。なに、浜は遠浅でして、じゅうぶん沖からも歩いてゆけますよって、難儀することはありません」
 聞いた京三らは思わず顔を見合わせる。
 その時だった。
 水面を影が走る。
 いち早く気づいた雲太が、合わせていた目を海へ逸らした。見えたものに驚き、声は大きく放たれる。
「おお、これはまた大きな亀が泳いでおるぞ」
 なるほど大きさは、和二なら乗せても動き出しそうなほどもあった。船と並んで飛ぶように、大日本豊秋津洲を目指している。
「ああ、そういえば、亀も子を産む季節でございますな」
 様子に、漕ぎ手の眉間も開いていた。うちにも亀は船を追い越し、どんどん小さくなってゆく。和二が手を振り別れを告げていた。見届け京三も、漕ぎ手へそを向けなおす。
「ともあれ、良い話を伺いました。じゅうぶん気を付けることにいたします。ですね、雲太」
 ようやく呼びかけていた。
 だが亀を見送る雲太の返事は、酔いとは別にどこか冴えないところがあった。


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