たまご の巻
13


「うんにい、けいにい! 冷たいぞ」
 船から一番に降りて和二が、声を上げる。船底の影に集まっていた小魚たちはそんな和二の足に驚くと、さっと身をひるがえして群れを濃くしていた。追いかけ蹴散らす和二は、ヒザ下で絞ったくくり袴を精一杯にたくし上げている。
 眺めるほどに様子は楽しげだ。どんなものかと思えてなず、雲太と京三も後から恐る恐る船から降りていった。水は、和二と違って二人のスネでちゃぷん、と跳ねている。その冷たさに二人は、たちまち目を丸くしていた。
「これは気持ちがいいですね」
「おお、たまらんな」
 言う京三に雲太も答え、透き通った波の下にある自らの足を見下ろす。
 浅瀬に辿り着いて船の揺れも小さくなったせいだろう、酒も醒めた雲太は船の酔いさえおさまったようで、いくぶん前から元通りだ。だからして三人そろい、しばし海の触り心地に心を奪われ過ごした。やがて柔らかく足裏を押し返す砂にすら慣れたなら、様子を眺める漕ぎ手へ雲太は、その顔を持ち上げる。
「いや、これは遠いところまで、世話になった」
「なんの、浜のきわまでお運びできませんで、申し訳ないことです」
 帰りの漕ぎ手と櫓を交替しつつ、行きの漕ぎ手が頭を下げる。ざぶん、海へ飛び降り、船の舳先を両手でとらえた。仕草はまったく慣れたもので、雲太に心強く映る。
「しかし、今から帰るとなれば、途中で夜になってしまうのではないか?」
 ふと、過った不安に雲太は心を砕いた。だが、とらえた舳先を沖へ向け直してゆく行き漕ぎ手にも、合わせて櫓を操る帰りの漕ぎ手にも、慌てる素振りはない。
「心配には、及びません。この穏やかさなら船もひっくり返りはせんでしょうし、暗くなったところで晴れておれば星が村まで案内してくれます」
 オノコロ島へ向きなおった船へ、言って行きの漕ぎ手がひょいと飛び上がる。
「そちらこそこの先、気をつけなされ」
 帰りの漕ぎ手が、ぶっきらぼうと言っていた。
 言葉へ雲太は頭を下げ、見て取ったなら和二と京三もそれにならう。
 ようよう、達者で。
 帰りの漕ぎ手が水をかき、うってかわって足元にうずくまった行きの漕ぎ手が笑顔で手を振り返していた。乗せて船は右へ左へ揺れながら、ゆっくりと、しかしながら少しずつ、オノコロ島を目指して遠ざかっていった。
 しばらくのあいだ三人は、そんな船をただぼんやり見送り続ける。聞こえていた櫓の軋みが波のざわめきに消えてようやく、おそらく二度と会うことはないだろう別れがすまされたことを知った。
 機にして雲太はようし、と浜へ振り返る。
 見ればもう肩のあたりにまで日は滑り下り、秋津洲の白い浜はまだずいぶん向こうにあった。見据えて胸の空気を入れ替え、雲太は声を大にしてさてッ、と二人へ呼びかける。
「空が赤くなる前に、浜までたどり着かねばならんぞ。そら、浜までかけっこだッ。最後に鳴った者が、夕げの支度番と言いつけるッ」」
 浜を指差すが早いかだっ、と駆け出した。ならええっ、と和二の声は上がり、たちまちずるいぞ、と唸ってその後を追いかける。だが残されても京三こそ、わーっ、と駆け出せるようなたちではなかった。
「これ、よしなさい二人とも。波に足を取られて転びますよ」
 小さくなってゆく二人へ口をすぼめてみせる。しかしながら二人は止まらず、気づけば京三だけが一人、浅瀬に立っていた。
 周りでざざざ、と波の音が鳴る。
 その響きは京三へ、かまど作りと薪拾い、穀の準備に火起こしはお前様の役目だ、と囁いているかのようだった。全てを一人でこなすなど、とんでもない重労働には間違いない。おかげでぶるぶる、京三は首を振る。
「まっ、待ちなさい、二人ともっ!」
 ずいぶん遅れて我に返ると、しぶきを跳ね上げ駆け出すのだった。


 そうして浜にたどり着いたのは、並んで生える松の木立に日が透けて見えだした頃となる。
 こんなことなら、ゆっくり歩いていつもと変わらぬ夕げの支度をこなした方がよほど楽だったに違いない。波を切っての全力疾走に、疲れ果てて三人は言葉もなく浜にうずくまっていた。受け止める浜は、しかしながら疲れを吹き飛ばすにうってつけと、広々として心地よい。きめ細やかで砂は白く、人肌ほどと温かかかった。冷まして打ち寄せる波は残りわずかとなった今日の日をそこに散らし、もまこと賑やかにきらめいている。向かいに生える松の枝ぶりは青々と勢いもよく、上を浜鳥が寝床へ向かい飛んでいた。うってかわって根元には、柔らかな草が生え、所々に小さな花も揺れている。割いて合間に小道は伸びると、ずっと奥へ続いていもいた。自ずと想像されるのは、この平穏な光景に見合う穏やかな浜の村の様子だ。
「猪など出そうにはないな」
 雲太は四つん這いになっていた身を起こす。したたる水を、拭ってみせた。そう、そんな雲太だけがズブ濡れだ。わけはない。京三が心配したとおり波に足を取られ、転んでいたのだ。
なら浅瀬でじたばた溺れかけた雲太を踏んで和二は追い抜き、遅れて駆け出した京三が目もくれずかわす。つまり夕げの支度は言い出した雲太の役割、と決まったところでもあった。
「まったく、不吉などと何かの言い違いではなかったのでしょうか?」
 息も整い京三が、うーんと背伸びをしてみせる。
「ということで、今日はこの浜で夕げを取るということに間違いはありませんね、雲太」
 満面の笑みで振り返った。
「うむ。もう日が暮れる。ウロウロしても始まらんからな。今日はここで眠って、明日、出雲へ向かうことにする」
「なら、わたしたちはここでゆっくり、夕げの支度がととのうのを待つことにいたしましょうね、和二」
 結局、濡らしてしまったらしい。くくり袴の裾を絞る和二の顔を、これ見よがしとのぞき込んで京三は言った。
「ああ、誰かさんのおかげで助かった、助かった」
 続き放たれる高笑いが、とにもかくにもわざとらしい。聞いて雲太は、むすっ、と頬を潰し、だが長兄であればこそ無理矢理にでも笑って二人へこう、言い放つのであった。
「そうとも、今宵の夕げは一味違うと覚悟しておれッ」
 聞こえたようにその時どこかで、かあ、と (カラス)は鳴いてみせる。


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