たまご の巻
14


 と言うことで仕方なく、雲太は薪を拾い集める。
 あいま、山側から流れくる川を見つけて水を都合し、集めた薪が抱えきれなくなったなら、浜のよきところへ作ったかまどへ後戻りもした。
 などと雲太が行ったり来たりを繰り返しいるあいだ中、波打ち際に腰かけた和二と京三は呑気と昇りはじめた月を眺めては星を数え、絶えず笑い声をもらしている。その声で、かいがいしく働く雲太の頭を突っついてまわった。
 だからと言って気を取られていたわけではない。だが日は、浜沿いに生える松の中を通り抜けると、いつしか透けて遥か山の向こうへ落ちていった。
「これは早く火を起こさんと」
 呟き雲太は最後の薪を抱えると、松の間からかまどを目指す。いやそれは、松の間から抜け出そうとした時であった。傍らからざざ、となにやら音は聞こえてくる。音は波のそれと違い、ずいぶん近い場所から雲太の耳へ届いていた。誰もいないと思っていただけに、雲太はたいそう驚かされる。そうして何の音だろう、と松林と浜の境目へ目を寄せていった。
 と、ざざ、とまたもやそこで音は鳴る。
 音に急いた様子はなく、ゆえに隠れようとしている気配もなかった。その後も音は淡々と鳴り続け、明るいうちに奥へ続く小道を見つけていたなら、雲太は人が下りて来たのかと考える。
「誰か、おるのか?」
 呼びかけ目を凝らした。だが返された返事はまたもや、ざざ、と鳴る音だけだ。何も話しはしない。放って離れ、炊いた粥をうまいと食うには無理があった。雲太はごくり、息をのむ。暗がりで危うくなった足元を確かめながら、半歩、一歩、と音へ踏み出していった。
「おるなら返事をしてもらえんか。わしは雲太という者だ。わけあって、オノコロから渡ってきた。今夜、ここで宿を取り、明日、出雲へ向かうつもりでおる。けっして怪しい者ではない」
 名乗りつつ、目の前の松の幹へ手をかける。押しやり、そうっと顔をのぞかせた。とたんあっ、と雲太は大きく息をのむ。


 波打ち際へ戻ってきた雲太は、せっかく拾い集めた薪の半分を浜へばら撒いているようなありさまだった。それほどまでに慌てる理由を京三が問いただせば、雲太はとにかく来い、と誘う。
 待ちくたびれ、腹もそれなりにすいている。だが、行かねば夕げの支度も進みそうになく、一体、それほどまで言う何があるのか、和二と京三は顔を見合わせ腰を上げると、雲太の撒き散らした薪を拾って辿りながら、指し示す方へと歩いて行った。
「ああ、ああ、これではいつになったら食べられるのやら」
 京三が言えば、松林も近づいたところで雲太は腰も低く、渋い顔つきで振り返る。
「しっ。静かにしろ。もう近い」
「なんなのだ? うんにい」
 和二がすかさず傍らへ擦り寄り、問いかけた。雲太はその肩を抱えて体の前へ引き寄せる。先程と同じ松の幹へ、身を添わせた。
「見れば分かる。いいか、そうっと、そうっとだぞ」
 手本を見せると、まず雲太が顔をのぞかせる。様子はひどく真剣で、習って和二もそうっと顔を突き出していった。たちまちその口をついて声は飛び出す。
「おっ! うんにい、これはすごいぞっ!」
「だから静かにしろといったであろうが」
 コツン。和二の頭へ落ちた雲太の拳が、音を立てる。いたた、と和二が手をあてがい、追いついた京三が、二人のあとからのぞき込んだ。とたん出くわした光景に、その眉を跳ね上げる。
「このことでしたか」
 そこに一匹の大きな亀はいた。手足が 櫂カイのような形をした、昼間、見かけたのと同じ海亀だ。いや、もしかすると浜を目指していたのだから、同じ亀であってもおかしくない。
 ともかく海亀は前へ進むでもなく沖へ後戻りするでもなくそこに居座ると、ゆったりとした調子で、しかしながら懸命に、後ろ足を動かしバサリバサリと砂をかいていた。
「何をしているのだ?」
 見つめた和二が、すぼませた口で雲太へ問う。だが答えたのは、雲太より早く察した京三であった。
「亀は卵を生みに来たのですよ」
 和二がへえ、と間の抜けた返事を返す。興味深げとその目を海亀へ向けなおした。そこで海亀は、掘った穴が満足ゆく深さになったことを確かめ、なるほど京三が言ったとおり、尻からぽと、ぽと、と卵を落とし始める。卵は真っ白く薄く透けており、見るからに柔らかそうな殻をまとっていた。様子は何とも弱々しく、危なげなものと誰もの目に映る。
 と、そのことに気づいたのは、まったくもって三人が同じ頃合いだった。三人共は、あ、と息をのんでその場に固まる。
「うんにい、けいにい、亀が、亀が泣いているぞ」
 言う和二の眉も、へこんでいだ。だが大袈裟ではなく、確かに海亀は頬に貼りつく砂を押し流してまでさめざめと、黒い大きな瞳から涙を流している。様子はもう、見ておる方が辛くなるほどであった。
「悲しいのか? それとも痛いからか?」
 急ぎ、和二が雲太へ問うた。だが雲太は答えあぐねてただ唸る。
「うむぅ、わしは亀ではないからな。卵も生んだことがないので、よくわからんが……」
「痛むんなら、おいらがさすってやってもいいぞ」
 雲太の足元から、やおら和二は飛び出しかけ、これ、と京三に呼び止められていた。
「それは余計なお世話というものですよ、和二」
 踏みとどまった和二が京三へ振り返る。前で京三は、海亀をみつめたままでこう、教えた。
「あれは生みの苦しみというやつです。親はそうして生まれてくる子へ、必ず念を込めるものなのです。込めてこの世で子が成すことを、しかと定めておるところなのです」
「なら、亀はなんと念を込めているのか、けいにいには分かるのか?」
 和二がたずねるものだから、京三はしばし思いを巡らせた。やがてそうですね、とその口を開く。
「これだけの涙から生まれてきておるのですから、子亀らの悲しみは使い果たされたも同然です。子亀らの悲しみはもう、この世にはありません。なら子亀らは幸せになるしかないでしょう。それこそ、この世で子亀らが成さねばならぬこと。母亀はあれほど泣いて、そうなるようにと念を込めておるのです。……そうです」
 一息ついて思い出したように京三は、こうも言った。
「生まれてきたなら、何者とて同じこと。成すべき行いは、使命は、こうやって必ず誰にもに備えられておるのです」
 言い分に、黙って聞いていた雲太もうなずき返す。
「その通り。わしらも念じられたとおりの命を授かり、成すべきことを持ってここにおる」
「その大事な業の途中です。邪魔して子亀の定めを変えてはなりませんよ、和二」
 言う雲太と、とがめる京三をかわるがわる見上げた和二は、やがてその目を海亀へ向けなおしていった。面持ちは神妙と引き締まり、込めた意気込みに悲しげと眉をへこませこう言うのだった。
「わかった。ならおいらもうんと幸せになれるよう、一緒に念を込めるぞ」
 様子に京三と雲太は微笑み合う。互いもそれきり、厳かな光景へと目を向けなおした。
 そうして目にした一部始終は、それこそ今、猪が山を駆け下りて来たならどうなることかと思わずにおれない危うさと、しかしながら太古から繰り返されてきたならわしの力強さにあふれる。神々しくさえ感じて三人は、ただただ心を強く揺さぶられ続けた。引き込まれるがまま、その後もずいぶん時間をかけて海亀が卵を産むのを見守り続ける。
 おかげで夕げを取ったのは、誰ものまぶたが半分落ちかかった真夜中だった。だが気持ちはひどく高揚しており、水と塩で炊いただけのいつもの粥は、雲太が言った通り一味違うものになる。
 やがて夜はふけ、波間へ消えゆく海亀を月は静かに見送った。
 包み込む柔らかな潮騒は、月夜見の子守唄だ。
 三人は漕ぎ手の話などすっかり忘れて、そんな浜で寝息を立てる。
 傍らで、最後の薪が燃え尽きていた。
 あまねく星が音を立てて光り輝き、月がそうっとそのふちを、松の木立へ触れさせてゆく。


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