たまご の巻 15 |
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良いものを見たせいか、朝の目覚めはことさらよかった。天気もこの上なく、三人は夕げの残りを始末する。京三がナベを洗い、雲太がそれを背負って、掘ったかまどを和二がならした。弾むようにそれぞれが、出立の支度をすませてゆく。 「出雲までは、まだずいぶんあります。三輪の山へ祀る神もまだどこにいるのやら。さあ、昨日の亀の頑張りを見習って、わたしたちも先を急ぎましょう」 己の荷を背に結わえつけた京三の声は、いつもより高い。その声に雲太もまた、浜鳥の渡る空を見上げて目を細めていった。 「出雲の国はこの先にあるという、山を越えたそのまだ向こうか」 ぐるんと返して、最果てへ視線を投げる。 「そうです。越えてさらに反対側の海近くになります」 腰へ手をあてがい京三もまた、自らの視線をそこに沿わせてうなずき返した。 「おいらは、亀の子が孵(かえ)るところを見たかったぞ」 和二だけは残念そうでならない。 「それでは何日もここで過ごさねばならないでしょう。まして出雲まで行って間に合うように帰るなど、ことさら無理というものです」 その顔へ京三は笑って返し、おっつけ雲太もしょげる和二の頭へ手をあてがう。 「その分、昨日、わしらは念を込めたではないか。心配せずとも、ちゃんと殻から出て、母亀の後を追って海へ帰るはずだ」 そうしてなにをや考えあぐねると、雲太は眉間を詰めていった。開いてニマ、と笑みを浮かべる。そこには思いついた考えが何であるのか、もうにじんでいるかのようであった。 「だが、発つ前にもう一度、見てゆくかッ」 案の定、言い放つものだから、やったと和二も跳ね上がる。それきり松林へ駆け出す和二の足は、ことのほか早かった。 「寄ったりなどしたら、また孵るまで動かないと言い出すやもしれませんよ」 どうしたものかと見送って、京三が腕組みしてみせる。 「いやなに、わしも最後に見ておきたかったものだからな、つい」 失敗だったかと頭をかく雲太は、しかしながら反省した様子になかった。 「だと思いました。なにしろ」 そんな様子を横目にとらえた京三は、こうもつけ加え言っていた。 「わたしも同じことを思っておりましたから」 浮かべたのは雲太と同じ笑みだ。 聞いて雲太は素っ頓狂と眉を跳ね上げる。なるほどそうか。ひとりごちて、たちまちがはは、と笑いだした。それこそ何、悪びれることもない。わしらも行くか、と京三を誘う。どう歩いても砂浜は履物が埋まって仕方ない。しかしながら心も軽く二人もまた昨日の場所へ向かうことにしたのであった。 そんな松林は、夜のそれとずいぶん様子が違って見えていた。ゆえに先に松林へ潜り込んだ和二は、卵の場所を探して木々の間を行ったり来たりと落ち着かない。果てにどこやら見当違いの方向まで分け入ってしまったなら、砂浜に海亀の這った跡を見つけた雲太が和二を呼び戻した。 「おうい、こっちだぞ」 振った手を、昨日と同じ手触りの松の幹へあてがう。 「どれどれ。ちゃんと埋まっておるのか?」 もう海亀はいないというのに、緩む頬のままそうっとのぞき込んでいった。 瞬間、雲太の両目は大きく見開かれる。 「こらッ。そこで何をしておるッ」 声もまた大きくならざるを得ない。なにしろ海亀が苦心して掘った穴は無残にも掘り返されると、子供が一人、傍らにうずくまっていた。その子供は衣の裾をまくし上げると中へせっせと、卵を拾い集めている。雲太の大声に驚いたらしい。もう一つと掴み上げた手を止めて、はっと雲太へ顔を持ち上げていた。 歳の頃なら和二と同じの男子だ。日に焼けているのか汚れているのかずず黒い頬をしており、同じような黒い足には履物がなかった。髪は伸び放題で結っておらず、よほど暴れん坊なのだろう、衣のほつれも目立ってならない。 「ああ、なんてことを」 のぞき込んだ京三の声に、落胆の色は隠せなかった。そこへ和二も駆け戻ってきたなら、もう、がっかりしただけではおさまらなくなる。 「ああっ、大事な卵がぁっ! さてはお前、盗人だなぁっ! 盗人は、母亀に代わっておいらが許さんぞっ!」 早くも身がまえ握った拳を突き出した。雲太を見上げていた子供の目は、そんな和二へ飛び、卵を抱えたままやおらジリリと砂の上を後じさってゆく。 「いやだ。これはおいらの卵だ。持って帰って、食うぞ」 瞬きもせず言い放つものだから、三人はたちまち目を丸くしていた。 「それはいかん。母亀が泣いて生んだ卵だぞ。食うなど、かわいそうでならん。わっぱ、今すぐ戻せッ」 「そうですよ。おやめなさい」 雲太が叱り、京三もなだめて口添える。 「戻さないなら、おいらが殴るぞっ!」 和二がそんな二人の足元から、飛びかかっていった。 「ああ、待て待て」 その襟首をひょい、と雲太はつまみ上げる。和二の拳は子供に触れることなく右、左と空を切り、様子を瞬きもせず睨み付けて子供は口を、こめた力のままにぐうう、とへの字と曲げていった。かと思えば次の瞬間、ありったけの声を放ってみせる。 「ならお前らは、おいらのおとうを喋れるようにしてくれるのかっ? おいらのおとうをっ! また喋れるようにしてくれるのかっ!」 浴びせられた和二の動きが止まっていた。雲太も目を瞬かせ、その目を京三へと向ける。 「な、なんだ?」 などとわけを求められたところで、京三も経緯を知らぬのは同じであった。 京三はひとつ、息を吐き出す。それが役割と気を落ち着かせたなら、這いつくばったままの子供へ身を屈めていった。 「これ、わっぱ」 子供はことさら卵を守って身を固くすると、その目を伏せる。だからして京三は、なるべく穏やかに問いかけることを心に決めた。 「お前の父上は、口がきけんのですか?」 子供は是が非でも目を合わせない。ただ頷いて返した。 「卵を食えば、それが治ると?」 その問いには何も返さない。 「お前は、父上のことで困っておるのですね?」 次の質問には、自分のヘソを見つめるようになおさら丸まり、大きく頷いてみせた。 見届けて京三は立ち上がり、雲太へ向きなおる。 「病か何かでしょうか?」 聞いた和二が雲太の手を振り払った。砂浜へ飛び降りる。 「おい、お前、そうなのか?」 問えば子供はうつむいたまま、そんな和二へも黙ってうなずき返した。 のちに子供の住まいは、見つけた小道を辿ったところにあるらしいことを雲太らは知る。それは先を急ぐ旅の通り道でもあった。卵は三つだけを手元に残し、掘り返した穴を埋め戻す。開けてはならぬ箱を開いてしまったようで後味は悪かったが、海亀へ心から詫びて三人は子供の住まいへ立ち寄ることにした。 松林を抜けるのにしばらく。 向こう側には、急な登り坂が続いていた。 慣れた子供の足取りは軽く、追いかけ登る雲太らの息は上がり、駆け上がっては立ち止まりを繰り返していた子供は雲太らへ、その名をミノオだと教える。 そのミノオといくらか道を同じにして間違いないと思えたのは、亀の卵を包む衣からどうにもくさい臭いが漂っていたことだった。 「のう、ミノオ。お前は体を拭わんのか? 少し臭いが強すぎるぞ」 それは言って雲太が眉を寄せるほどである。だがミノオははにかんだように笑っただけで、何も答えはしなかった。 そのうちにも坂を登り切る。雲太らは、そこから足元を見下ろした。一面が緑だ。茂る草木が風に揺れ、日の光にキラキラ輝いていた。触れた風は雲太らのところまで吹き上がると、潮の匂いを押しやり、頬を撫でる。そんな風に混じっているのは、小鳥のさえずりか。心地よく聞いて雲太らは、切れた息を整えた。吸い込んだ風の清々しさに、体の中の杉の落ち穂までもが芽吹いてきそうな気持ちに満たされ、うっすらかいた汗を乾かす。 そんな雲太らへ向かい、ミノオが振り返った。薄いワラ屋根を乗せた住まいを指さす。かと思えば登りにもまして転がるような勢いだ。生い茂る草の中を駆け降りていった。 ほかにも住まいははなれたところに、ぽつぽつある。村か。思いながら雲太らも目指して、下ってゆくことにした。 |
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