たまご の巻
16


 雲太らがおかしいと気づいたのは、それからしばらくのことだった。近づけば近づくほど目に止まるのは芋のツルどころか茂る雑草であり、ことごとく干上がった田らしき窪地だ。様子は、見るかげもない有様であった。
 その中を、迷わずミノオは住まいへ走っている。遅れまいと、和二が後を追いかけていた。
「ずいぶん荒れておるようですね」
 眺めながら押さえた声で、京三が話す。さすがの雲太もこの様子には、あっけに取られていた。
「うむ。これはずいぶん長らく畑仕事をしておらんようだな」
 眉をひそめ、ふともすればあぜを見失い、踏み外しそうになる草だらけの足元へ目を落とす。足先には、驚き飛び出してきたバッタが数匹、先導するかのように跳ねていた。
「海が近いのです。ここしばらくは、魚を獲っておったのではないでしょうか?」
 京三が想像を巡らせる。だが浜で肝心の物を見ていないことに、雲太は思い当たっていた。
「船がなかったぞ。あったとしても、やはり魚だけでは食っていけまい」
 話は途切れ、バッタがあぜの花へとしがみつく。その隣には、チラチラと蝶をまといつかせた黄色い花も咲いていた。
「亀の卵を食うといっておりましたが……」
 察した京三の言葉尻は濁り、雲太はその先を引き受ける。
「ほかに食うもんがない、ということのようだな」
 胸に残った空気はことのほか悪く、雲太はひと思い、鼻から抜いて、通り過ぎるかたわらあぜに生えてた背の高いうす紫の花を手折った。そこにも蝶は群がると、まといつかせたままで雲太は鼻を寄せる。柔らかな香りがたちまち胸を満たし、ままに雲太は目を持ち上げていった。
 ずいぶん歩いたおかげで、ミノオの住まいはもうそこだ。前には、石ころのように座り込んでじっとこちらを見つている小さな子供の姿もある。どうやらミノオの兄弟らしい。駆け戻ってきたミノオが脇を通り過ぎ、住まいの中へ駆け込む姿を、子供は立ち上がってまで見送っていた。
 追いつき和二がそんな子供へ一言、二言、声をかけ、手をつないで雲太へ振り返る。
「分かった。今行くから待っておれ」
 呼び寄せる手に、雲太もまた手折った花を振って答えた。なら京三が、雲太の袖を引っ張り知らせる。
「雲太、あちらに」
「ん?」
 指し示す方向にも草は青々と生い茂っていた。その間だ。誰ぞの頭は揺れている。すこし禿げ上がっているそれは間違いなく大人のものらしい。ほつれた髪を日に透かせ、雲太らの様子をうかがっていた。
「この里の者か?」
 呟き雲太は、そちらへも手を振ることにする。
「おおぅい。この先の住まいのミノオのことで、立ち寄った。名は、雲太。旅の途中だ。残りの二人はわしの兄弟だ。ミノオの父のことを知っておられるなら、ちと尋ねたいことがある」
 だというのに頭は引っ込むと、ザザと草の間へ消えいった。なんとも間が抜けたようで後味が悪い。あしらわれて雲太は口を尖らせた。
「なんだ。愛想がないのう」
 のぞき込んだ京三も言う。
「わたしが出た方が、よかったのでしょうか」
「お前、それは一体、どういう意味で言っておるわけだ?」
 さあ、と京三は首をかしげ、二人は住まいの前で立ち止まった。
「う、こやつも臭いな」
 早々に顔をしかめた雲太の前には、座り込んでいたあの子供がいる。あい対しても物怖じすることのない子供は、指をくわえて言う雲太を不思議そうに見上げていた。その顔はミノオと同じでずず黒く、髪も前をそろえたきりであとは伸び放題と結ってもいない。男か女かもよく分からず、衣も合わせがはだけて引きずったまま、素足の先などどこからが土でどこからが足かさえ分からぬほど汚れてもいた。
 仕方ない。まだ一人でかわやへも行けそうにない年恰好である。畑がこれなら、世話も行き届いていないのだろう。雲太は酷い有様に、ただただ嘆息した。
「うんにい、ミノオのおとうに挨拶するぞ」
「分かった」
 せかす和二の肩へ手をあてがう。二人を引き連れ雲太は、ミノオが消えた住まいの中へ身をくぐらせた。だが一言、発するまでもない。漂う強い臭いに襲われ顔をしかめる。後から入って来た和二と京三も同じくして、たちまち衣の袂で口を覆った。
「お、おいらは臭いぞうぅ……」
「こ、これはまた、何の臭いですかっ?」
 住まいの中はどこも同じようなもので、ここも地に刺し立てかけられた杭の壁が周りを取り囲むつくりをしている。風通しの窓はなく、ゆえに空気は淀んで暗かった。ただひとところ、抜け落ちたワラ屋根のせいで、差し込む光が柱のごとくこの暗闇に浮き上がってもいる。照らされ土座の片隅が、真白く光り輝いていた。
「おとう。おとう。おいらが卵を取って来たぞ。おとう、食え」
 その中から、ミノオの声は聞こえてくる。見定めて、雲太は目を細めていった。やがてそこにムシロをかぶり横たわる何者かは、話しかけるミノオの姿は、浮かび上がってくる。
「それから人を連れて来たぞ。おとうは喋れるようになるかもしれんぞ」
 などとミノオが話しかけるムシロの誰かは、ミノオの父で間違いない。雲太は臭いを堪え、足を向けた。奥のかまどの暗がりにうずくまる影へ気づき、ぎくり、足を止める。よくよく見ればそれは二人の子供で、四つの目はそんな雲太をじぃっと見つめていた。
「し、失礼するぞ」
 断りを入れて雲太はミノオの元へ急ぐ。
「おとう、おとう。ほら、この人だ。起きられるか? おいらが手を貸すぞ」
 ずいぶん具合が悪いらしい。動けそうにない父は、一生懸命、世話するミノオには大きすぎるようだった。手を貸すべきかと思案して、雲太は土座の前からのぞき込む。
 とたん顔を、鬼と強張らせた。
 この住まいも子供らも臭うわけだと気づかされる。
 なぜならミノオが抱え起こそうとしていたのは、頭の毛も半分抜け落ち目も窪んだ骸であった。隠してかぶされていたムシロの網目には、小さな虫が這っており、今さらながらよく目をこらせば、光の中にはハエが何匹も飛び交っている。
 だがミノオはもろともしない。虫さえ目に入らぬ様子で、懸命に骸へ話しかけていた。
 しばし雲太は言葉を失う。前ににして京三もまた白い顔をなおさら白くし、察したらしい、和二は子供の手を取ったままで入口から動かなくなった。
 ハエは、そうして動かなくなった雲太へ、たかり始める。
 気配に我を取り戻した雲太は、握る花ごと振って死にもの狂いと追い払った。花は散り、息は切れ、雲太は骸から離れようとしないミノオを睨む。
 履物のまま土座へ上がりこむことが、無礼だとは思えない。だからして断りもなくそうして、骸へすがるミノオの傍らへ腰を落とした。早いか雲太は、その肩を掴んで揺さぶる。
「ミノオ、これは死んでおるぞ。お前のおとうは、もう死んでおるぞ」
 だがミノオはなお骸を揺さぶると、聞こえぬかのように声を張って繰り返すばかりだった。
「おとう! おいらだぞ。おいらが帰ったぞ! いっつもみたいに返事をしろ!」
 なら腐れた体から、アゴはガクリと外れて落ちる。中からざわわ、虫は這い出し、むごさに雲太は身を引いた。それでもミノオは父を呼び続け、その姿にこれはいかん、と腹へ力を込めなおす。
「わっぱッ、わしの声が聞こえんのかッ」
 かっ、と両目を見開いた。雲太はミノオの襟首を掴み、ぐい、と引き寄せる。勢いに、ミノオは土座で尻もちをついていた。だが驚いていたのも束の間で、たちまちわーっと声を上げる。雲太の手を振り払って、力の限りに暴れだした。
 そうして振り上げた足が、卵を割る。
 骸さえ蹴りつけた。
 骸の形はとたんムシロの下で見る影もなくぐにゃりと曲がり、目にしたミノオの声になおさら火はつく。あー、あー、と言葉にならぬ声を上げ、土座を蹴り出し、骸へすがって手を伸ばした。それを力づくで引き戻せば、雲太とミオノはもんどりうった。掴み、掴まれ、力の限りにもみ合い続け、どうにもおさまらいなら雲太は手を高く振り上げる。言うて聞かぬならとバシン、ミノオの頬を打った。
「しっかりせいッ。お前のおとうはとうに死んで、もうおらんッ。見ろッ。これはただの腐れた骸だッ。お前にはもう何も喋りはせんッ」
 声は大きく、さかいにミノオの動きは止まる。むしろそれは痺れたようで、住まいの中にいる誰もがそうであった。
 やがて開いたままそっぽうを向いていたミノオの目は瞬き、雲太をとらえて持ち上がる。怒りを携え、恨めしげと睨んで返し、ぽろぽろ、そこから涙をこぼしてみせた。
 涙の粒の大きさに雲太ははっ、と我に返る。おかげで手は緩み、ミノオはそこから抜け出していった。
 雲太に声をかける暇などない。それきり抱えたヒザに顔をうずめ、声も上げずにミノオは泣き出していた。

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