たまご の巻
19


 朝、粥を炊くことができたのも、京三が子供らへ同じようにしてやることができたのも、山から海へ流れる川のおかげだ。その清水が枯れる様子にないことは、夕げの支度をすませたせいで雲太もよく知るところとなっている。そして日に不自由していないからこそ草はこうして好き放題と伸びていた。だが村の大人らは、穀も菜も思うように取れんと言う。それはまこと、おかしな話であった。
 上がり込んだ住まいの土座、囲炉裏を囲んで雲太は、日が入らぬ以上、暗い面持ちの大人らと向かい合う。ここでも真ん中を陣取ったのは、禿げ頭だ。村の者らのまとめ役らしい。名をスマと名乗り、引き入れた己が住いで形だけでも雲太へ頭をさげた。そうして雲太へ語って聞かせたのは、まことおかしな田畑の様子に見合う、これまたおかしな話であった。
 スマは、村が背にする山々から、二匹の黒い龍がやって来るのだと雲太へ話す。それは年に数度、穀の取れる頃になれば必ず起きる出来事だと言った。
 龍が現れるのは、決まって日のあるうち。山から吹き降りてくる風と共に空を駆けると、一匹は実った穀を好きなだけ奪い、もう一匹は菜だけを毟って消えるらしい。その姿は天を覆い尽くすほどに大きく、村を襲っている間、日は陰り、凄まじい唸り声が響きわたると言う。
 いうまでもなく、村の者に追い返す術はない。風に気配を感じるや否や、いつも住まいの隅へ隠れて小さくなっているのだということだった。そんなことが何度も続いたせいだ。やがて食うものはなくなり、次に蒔く種も失せて田畑は縮み、立ち行かなくなってしまったらしい。水や日があれども、それが飢えのからくりだとスマは明かした。
 袖から抜いた腕を懐で組み、雲太は衣のあわせから突き出した手で、伸びたもみあげをいじる。
「山から黒い龍、か……」
「田畑の収穫がなければ、山の谷間に住む者とも市がたたん。なんといってもこの噂は広まって、もう村へ誰も寄りつかんようになってしもうた。龍神様のたたりじゃと言って、この村から出ていった者も多い」
 苦々しげに言ってスマは目を伏せた。
「山の入口には山神様の祠があるよって、さっそく少ない食い物を割いて捧げ物もしたが、あの辺には谷間の村と行き来する者を狙う山賊もおる。そやつらがちょろまかしてしもうたのか、いっこうに怒りはおさまらん」
 ひざ頭を握りしめていた手で、弱ったといわんばかり禿げた頭をなでつける。
「どうじゃ?」
 雲太をうかがい見た。
「聞いて力になれることがあれば成すというたが、それはおぬしの口約束だろうが」
 聞いて雲太は我に返る。嘘つき呼ばわりに違うと言って返しかけるが、相手が龍神であれば別だった。
 そもそも龍神といえば雨を呼び、山や川を愛で、高天原の神々を守護する天津神だ。黒いという色も聞いたことがなく、穀や菜を食うなど聞き始めで、荒ぶっておられるのだとしてもそうであれば天照が放置しておかれるはずがなく、国津神を改めに訪れた雲太らにはおいそれ手出しなどできない。
「龍というのは、考えになかった」
 納得ゆかぬまま、正直なところを口にする。
「それみたことか」
 たちまち奥の方から野次は飛んだ。雲太は急ぎ、組んでいた腕を解く。袖へ通し、土座へついた。
「だが、確かにこのことは承った。すべてもらさず御仁へお伝えする。ついては取り急ぎここを発ちたい。そのためにも、しばし子らを預かってもらえんだろうか」
 下げた頭で申し出る。しかし返されたのは、スマの辛辣な言葉だった。
「返す菜はない。そのうえわしらの元から盗みを働いた余計な食いぶちを、口約束だけで預かれという。いったいわしらは、お前らよそ者にどんな義理がある? 何をいうておるかわからんわ。預かるもんなど、誰もおらん」
 だが引けはしない。雲太は頭を下げ続けた。
「だが子らだけではいずれ飢えて死ぬ。分かっていて放ってはゆけん」
「ああ、なら死んだらええ」
 アゴをしゃくったスマの返事は早い。
「よくも、そう簡単に」
 見上げて雲太は眉間を詰める。こもる怒りは隠しきれず、その怒りをスマは鼻でふん、とはねのけた。
「何も飢えて死によるのは、あの餓鬼らだけではないわ。ほかにもおる。それを、あの餓鬼らだけ、なんでこちらの命を削ってかばわねばいかんのだ。しかもわしらから菜を盗った盗人ときた。お門違いにもほどがあるわ」
 そうしてはたと気づいたように、雲太へこうも提案する。
「そら、そこまで言うなら、おぬしが連れてゆけばよいだろう。それが筋というもんだ」
 確かにそれが道理と思えてならなかった。だが雲太らにはかなわない。食いぶちが四人も増えるのだ。手持ちの穀はすぐにも底を尽きることがまず頭にのぼり、そしてそれが思うように都合できるかどうかこそ、分からなかった。しかもこの先にひかえるのは山道である。子らの足では無理だとしか思えず、てこずれば授かった大事な 命メイもおろそかになりかねなかった。そしてなによりその身は木偶であり、先のことなどてんで見当がつかない。雲太は無念と目をつむった。
「それは、できん」
「よう言いおるわ」
 あざけりと共に雲太の前から、スマのヒザは逸らされる。周囲でそのとおりだ、とうなずく気配は揺れ、盗人の子なんぞ山賊にでもくれてやればよい、と言う声さえ上がった。豊かな頃は畑の物を盗むついでに子もさらってゆくことがあったのだから、喜んで引き受けてくれるはずだと笑い合う声が響く。様子に雲太はただ土座をじっと睨み続けた。睨んでこらえるしか、手だてをなくしていた。


 知らぬ川べりは、差すに日に照らされ暖かい。身を拭いに来た子供らの黄色い声が、賑やかとくわえて辺りを彩っていた。
 ミノオはまだ先ほどの大人たちの様子が頭から離れないようだが、下の子らはもう忘れてしまったらしい。京三が体を拭おうとするたびにくすぐったげな声を上げている。普段、こうしてかまってもらえることがなかったせいだろう。なおさら嬉しいらしく、身をよじっては逃げ出し、緑の中を体一つで駆け回っていた。
「これ、じっとしていなさいと言ったでしょう」
 もう、追いかけるだけで一仕事だ。京三がてこずったなら、和二と並んで身を拭っていたミノオが見かねて叱りつける。
「おい、お前ら、ちゃんと言うことをきけ」
 その声に足を止めた子供らは振り、すきに京三はその体を丸太のごとく抱え上げていた。
「そら、捕まえた。早くしないと日が暮れてしまうではありませんか」
 なおのこと子供らは喜び騒ぎ立て、見守るミノオもまた少しばかりの笑みを浮かべる。だが続かず、それきりまたしぼんでいった。わけは見ていた和二にも、おおよそ察しがついている。だからして今度は和二が、ミノオへ声をかける番となっていた。
「心配するな。うんにいは、ちゃんと話をつけて帰るぞ」
 声にはっとした様子で顔を上げたミノオは、見抜かれていることに恥ずかしくなったかすぐにも背を丸めてしまい、やがてコクリ、和二へうなずき返す。その遠慮したような様子はなおさら和二の顔をグリグリ、うごめかせていた。これはいかん、とまくし立てる様は、まったくもって火がついたかのようとなる。
「き、聞けっ! 本当だぞっ! うんにいがすごいのは本当だぞっ! 建御雷を通すぞっ! おいらは塩が足りないからできないけれど、うんにいは出来るぞっ! だから絶対、絶対、大丈夫なんだぞっ!」
 しかしながらミノオに通じた気配はない。
「たけ、みかづち? なんだ?」
 ただ目をぱちくり、させる。なら、なおさら和二の顔は強張っていった。
「お、お前、建御雷を知らんのか?」
 ミノオはうなずき、これまたいかん、と和二は示して山を指さす。
(イカズチ)の神だぞ。 あの山くらい大きい……」
 振り返った。
 そこで目にした光景に息をのむ。
 風はそのときごうっ、と吹いていた。
 突きつけた指の向こうで、山は動く。


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