昔々 の巻
2


 閉じたばかりのまぶたを、雲太は開く。
 目だけを、音の方へと動かした。
 ならそれは副屋の入口だ。塞いで垂らされていたムシロが、風と違う方向に揺れている。明かりが満足に届いていないせいではっきり見て取ることはかなわなかったが、間違いなくそこに人影は揺らめいていた。

 こんな夜更けだ。はて、と雲太は濃い眉をひそめる。
 物盗りかとも思うが、三人とも盗られるような物は持っておらず、むしろ持っているようにこそ見えなかった。すると人影は、物怖じすることなく雲太の元へささ、と歩み寄ってくる。ようやく届くこととなった囲炉裏の火が、その姿を照らし出した。
 様子はまるで晴れた夜の月かと思う。白く丸い女の顔はぼうっと闇へ浮かび上がり、何や抱えているらしい、胸元で何やら鈍く光るものがうかがえた。
 思いにもよらず、あっけとられて雲太は見つめ、女はそんな雲太の前、土座の上がり口へ抱えていたものを置いて差し出す。
「長からの心付けでございます。わずかですがここに酒を持って参りました」
 なるほどよく見ればそれは、首が細長くすぼまり底がずんぐり丸い 瓶子(ヘイシ)だった。雲太はそこでようやく全てを察する。慌てて座間から身を起こした。
「いや、長には気遣いなくと、申し上げておいたはずだが」
 しかし女は聞いておらず、すぐにも土座の端へ目を向け問う。
「お連れの方は、もうお休みに?」
「いや、一人は子供だ。酒は飲まんし、もう一人は下戸ときている。こちらも飲まん」
 はぐらかされたようでしばし戸惑い、雲太は答えた。
「でしたら、そちらは?」
 たずねる女が、雲太をとらえなおす。
「わしか? なんだ、その、気分ではない」
 まったくもって嘘がつけないわけではないが、上手い方ではないというのも困りものだろう。飲まん、とも言い切れず、おかげで今度は雲太が目を逸らす。
「そもそもわしらは無理をいい屋根を借りた者だ。客ではない。 その礼も、返すつもりで話はつけてある。有難いが、酒はいただけん。 長には、気持ちだけ頂戴したと伝えてもらえんだろうか」
 だが女は、これを遠慮ととらえた様子だ。遠慮なく座間へ上がり込んでくる。
「なんの、飲まれるのでしたら、ようございました。お一人でなら、ちょうど酔えるくらいが入っております」
 雲太の傍らへヒザをつき、重たげな瓶子を置いて、その隣へあわせ持ってきたカワラケを並べだした。
「あいにくほかの女はおりませんゆえ、お相手はわたくしとなりますが」
 持ち上げた瓶子で雲太を誘い、微笑んでみせる。その小気味よさにも笑顔にも、さらさら悪い気はしなかった。むしろむげに断る方が不義理のような気さえして、雲太は一度は断ってしまった己へ唸りに唸る。くわえて酒も久しく口にしていないなら、ついにうむ、と声はもれていた。おかげで心も定まる。なら投げ出していた足を収める雲太の動きは、とにもかくにも早かった。
「仕方ない。心遣いだ不義理はいかん。ここはひとつ、いただいておくことにするか」
「はいな」
 かいたあぐらで浅く平たい、手にすっぽりおさまる丸い形のカワラケを持ち上げる。差し出せば、合いの手を打って女はそこへ酒を注ぎ、たちまち甘い香はふんと立った。包み込まれたなら身も心も解けだす。

「そういえば、そちらはほかに女はおらんと言ったが、聞けば村では妙な病のせいで、女ばかりが伏せっているとか」
「それはもう次から次へと」
 答えて返す女の顔は渋い。だが酒の席であればと、すぐにも微笑み返してみせた。
「ですが心配に及びません。渡しの船の漕ぎ手は男どもですし、みな、ぴんぴんしておりますから。明日のことは、わだつみの神のご機嫌次第と、お考えなされた方がよろしいでしょう」
 うん、と返して雲太は、カワラケを引き寄せる。
「さてはどこぞの神が、村の女にやきもちをやいて 荒魂(アラミタマ)となり、たたっておるのかもしれんな」
 とんでもない、と身をすくめる女の隣りで一気にあおった。
「ん、これは美味い」
 鼻に抜ける香りといい、清水のように澄んだ味わいといい、まったくもって上等の酒だ。ぽん、と膝を打ち鳴らす。
「それは、よろしゅうございました」
 女の頬がなお丸く持ち上がっていった。次をうながし雲太へ瓶子の口を差し出すと、なみなみカワラケへ酒を注いでゆく。待ち切れず様子を雲太は眺めておれば、今度は女が雲太へこう問うていた。
「うかがえば旅の方は、伏せった女どもを助けて下さるお方だとか」


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