たまご の巻
20


 時を同じくして、雲太らがヒザを詰めていた住まいでもワラ屋根は風に吹かれてザザザ、と音を立てていた。音は止む様子になく、誰もが弾かれ顔を上げる。耳を澄ませるような間合いは一瞬だけだ。たちまち誰もの間から、声は上がった。
「龍じゃっ! 龍が来おったぞっ!」
「なにッ?」
 雲太の周りで悲鳴は重なる。腰を浮かして逃げ惑い、大人たちは土座の隅へと後じさってた。そこで震える身を寄せ合うと、頭を抱え伏せてしまう。その怯えようはただ事ではなく、目にして雲太は足を解いた。腰を浮かせて息を殺し、大人たちが龍だと言う音へ今一度、耳をすませる。
 と、ごうと吹き付ける風や、吹き飛びそうにガサガサ揺れるワラ屋根の音に混じり、それは聞こえた。
 低い唸りだ。
 これが龍の声か。
 思い過るが早いか、雲太は土座を蹴りつけ立ち上がった。
「見て参るッ。ここに隠れておれッ」
 履物へ足も通さず、住まいの外へ飛び出す。
 昼の明るさに、目の奥が縮み上がっていた。細めて凝らせば、吹きつける風のせいで草花が浜へ向かい倒れているのが見えてくる。そんな風を手繰り、雲太は山へと身をひるがえした。なら目に、その姿は飛び込んでくる。山からここをつなぎそうなほどの長さだ。風に吹かれてたなびく様はまさに縦横無尽。上へ下へ、右へ左へ、くねり、ふくらみ、時によじれて渦を巻きながら、黒い龍は空を飛んでいた。
「なんとッ」
 うちにも耳にしていた低い唸りは大きくなり、スマが言うとおりだ、覆われた空がかげる。見上げて雲太はアゴを持ち上げ、知った声はそのとき雲太を呼び止めていた。
 龍の下だ。川から駆け戻ってきていた京三が、子供らを脇に抱えて叫んでいた。周りにはミノオと和二もいる。着せる暇のなかった衣を振ると、残りの一人を負ぶさり雲太へ叫んでいた。
「うんにいっ! 山が、山が動いたぞっ!」
「龍だッ 黒い龍が田畑を荒らしておるッ」
 雲太も怒鳴り返せば、驚き和二と京三は空を仰ぎ見る。だが龍の迫りくる早さなど、到底、走って逃れられるようなものではなかった。その腹は、もうかすめて真上を飛ぶと、京三らが雲太の元へ辿り着くや否や、地に触れるほども低くうねって住まいごと、雲太らをまるごと飲み込む。
 辺りが闇に閉ざさていた。たちどころに誰もの悲鳴は上がり、かき消して龍の吠え声はぶわーと響く。雲太らは、住まいは、これでもかと龍の腹の中でなぶられ続けた。
「なッ、何だ、これはぁッ」
 ワラ屋根が、バサバサと散っている。京三は子らを住まいの中へ、と促すが、動ける者など誰もいない。
 瞬間、闇は透けた。
 途切れて日は差し、なぶられ続けた体へふい、と自由は戻る。
 龍の声は遠ざかり、雲太はここぞとばかりに面を上げた。睨んだ空に、揺れて遠ざかる龍の黒い尾を見る。悠然とたなびき田畑の上へ辿り着いた龍は、そこでぐるりと円を描いていた。かと思えばほとんど草しか生えていない田畑へと、聞いていたとおり襲いかかってゆく。
 飲まれた田畑が、一面、黒く染まっていた。食まれてバリバリと音は鳴り響き、田畑を離れた龍はひと思い、また空へ飛び上がる。
 そのときだ。息は、あ、と雲太の口からもれる。
「違う」
 何しろ雲太の視界へそれは、ぶら下がっていた。まだ残っていたらしい。逃さず雲太は前髪からむんずとそれをつかんで下ろす。握りしめていた手のひらをそうっと開けば、中からイナゴは、ぴょんとばかりに飛び出した。薄い羽を広げると、はぐれた群れを追いかけ、びびびと空へ舞い上がる。
「……虫だ、イナゴの群れが田畑を食い荒らしておる」
「イ、イナゴですとっ?」
 聞きつけた京三が、その肩を雲太に並べた。
「イナゴなら食えるぞっ!」
 子供らを住まいへ匿い、和二もそこへ加わる。
「何を、あんなに食えば、イナゴでも腹をこわしますよ」
 京三はいさめ、とたんぞわわ、と身を震わせた。どうやら龍に飲まれたとき入ったらしい。懐からイナゴを一匹、二匹とつまみ出す。
「ああ、気色悪い。体中がかゆくなってきた。どうしますか? この様子に何かしらの荒魂がかんでおることは明らかですが、追い払ったところでただのイナゴ。因果を切らねばまた村を襲うことは間違いなしです」
 そこらじゅうを掻きむしって、雲太へ問うた。
 と、そんな京三の背へ和二の手は伸びる。
「お、けいにい、ここにもついておるぞ」
 つまんで差し出せば、ぎゃ、と叫んで京三は飛び跳ねた。
「だがこのまま、黙って見ておれるわけがあるまいッ」
 言う雲太の目は、龍を睨みつけたままだ。
 龍は、いや、イナゴの群れが作る黒い帯は、そこでまた身をくねらせたかと思うとぶわ、と腹を広げて再び、緑へ食らいつく。なら歯がゆく睨み付けていた雲太の指は、やおら龍のひと所を指し示した。
「あれだッ。あれが群れを率いておるぞッ」
 言うものだから、和二も身を乗り出す。跳ねていた京三も、動きを止めて視線を投げた。目を凝らせば、あっという間にスマの田畑を草ごとくいつくしたイナゴの群れの先頭だ。ほかと違い、赤茶色の虫の群れは飛んでいる。イナゴはその前へ出ようとはせず、後に続いて龍を成していた。
「因果のことは後回しだ。ひとまずこれを退治せぬことには、どうにもなるまい。そのためにも、あの首群れを落とすと決めたッ」
 言い切り雲太は振り返る。
「よいな、京三ッ」
 そこでむむむ、と京三は渋り、やがてその手を腰の剣へかけた。
「い、致し方ありません。虫が相手などと気乗りはしませんが、あいまみえるしかないでしょうっ!」
 後じさり、剣を抜き取ってみせる。拍子に中からイナゴがぽとぽと落ちたなら、布を引き抜くより先、京三は剣を振りに振った。
 騒がしさにイナゴの群れが、また空高く舞い上がる。帯を作って龍をなし、ふてぶてしいほどまでに黒い腹を膨らませた。かと思えば引きちぎれそうに細く伸ばして力の限りを見せつけ、雲太らの前で何万、何十万の羽音を唸り声に変える。
 そんな龍に再び飲み込まれでもしたら、今度こそワラ屋根は食い潰されてしまうだろう。見据えて雲太はニ、と歯を剥き出した。
「和二ッ、ここを離れるぞッ」
 落とした腰で身構える。
「がってんっ!」
 返事が返ってくると同時だ。龍の腹の下を目指し、雲太は田畑へ身を躍らせた。
「ええ、ええ、なるべく離れたところでお願いしますよ」
 ようやくイナゴを払い終えた京三が、その手を柄頭へかける。我がもの顔で暴れる龍を見定めるとひと思い、詰め込まれた布をシュルル、と引き抜いていった。


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