たまご の巻
21


 柄頭の中で、鈴が落ちる。
 跳ね上げ三度、剣を振れば、ジャン、ジャン、ジャンと鈴は鳴り、聞いて雲太と和二は足を止めた。しっかと田畑に立つと、その頭を垂れてゆく。ともない肩まで両手を広げた。顔の前でぱん、と大きく打ち鳴らせば、たちまち音は祈請の念を乗せ、矢となり天へ駆け上ってゆく。
 静寂などと、ひまはない。
 残っていた草の露が、とたんき雲太らの周りでふわり、浮き上がっていった。じゅ、と滅するや否や、合わせた手から光はもれ出す。高天原とを通してそこに風は走ると、龍の勢いに倒されていた草は裏返り、二人の足へ現れ 給タマう神の重みは乗しかかった。
 押されて雲太の足が草の上を滑る。踏み直して雲太は面を上げた。そうして合わせた両手をゆっくりと広げてゆく。ならそこに「結び」の塩はプツプツ噴いて、鳥居を越えて遥か高天原より、それはついに現れ出でた。
 ブルンと荒い息を吐き出す鼻面は、和二の方が口を開いた 「()」だ。 つまり雲太の方が、閉じた 「(ウン)」であった。大きさは雲太がまたがっても有り余るほど。たてがみを炎となびかせ、龍を睨んだ二頭の獅子の頭は二人の手より顔を出す。
 にもかかわらず、首をひねったのは雲太であった。
「ん、護りの番とッ?」
 確かに獅子は、天津神と神域の護り番、和二でも出せるしもべに過ぎない。
「うんにいは体を拭いてないぞっ! 穢れておるから嫌われたぞっ!」
 知らせて言う和二に、なるほどミノオの父の骸に出くわして以来、雲太は、伊邪那岐神の代より嫌われた黄泉の穢れを拭っていなかったことを思い出す。
「これはぬかったッ」
 うちにも鋭い爪の並ぶ太い前足が出た。その前足で空を掻くと、ズルズル獅子の背は雲太の手から抜け出してゆく。
 気配に首群れが、空でうごめく龍の腹から鎌首を持ち上げていた。見て取るなり狙い定めて一直線だ。矢のように空を駆け降りてくる。
「おおッ」
 見上げて雲太は吠えた。
 阿吽の獅子も、龍を睨んで鼻息を荒くする。
 和二も両眼を大きく見開いた。
 なら誰もの上へイナゴは土砂降る。ざばん、音を立てて二人に獅子を飲み込むと、田畑を黒く染めて山とそこに積み上がった。
「雲太ぁっ! 和二ぃっ!」
 光景に、イイイとむしずを走らせつつも、京三は叫ぶ。駆け寄るに戸惑っていれば、やおらとぐろを巻いていた龍の腹は、あらぬ方向へ大きく膨らんだ。脈打つかのごとく縮んでみせた次の瞬間、膨れてパァンと弾け飛ぶ。イナゴは空へ千々と飛び散り、混じって「阿」「吽」の獅子は躍り出した。
 尾までしっかり結ばれた獅子は、そうして空を蹴りつけ高みへ駆け上がってゆく。身を翻し、そこで腹の破れた龍と対峙した。めがけて「阿」の獅子が口を開く。早くも果敢と龍へ食らいついた。そうして破れた腹からイナゴは飛び散り、すかさず「吽」の獅子は尾を使って、まさに阿吽の呼吸で叩き落とす。おかげでイナゴは田畑へバラバラ降った。そこから再び飛び上がるものがいようものなら、舞い降りてまで「吽」の獅子は踏みつぶしてゆく。
 そんな二頭にまといつかれた首群は、どうにか振り払おうと獅子の目を狙っては龍を操り、幾度となく腹を打ち付けた。虫の羽音と獅子の咆哮が、かげる空に交差する。右へ左へ、両者は身を擦り合わせながら、縦横無尽と駆け続けた。
 だがそもそもがイナゴなら、獅子に臆する様子はない。やがて叩き落とされたイナゴの山は田畑にできあがり、龍は首群れにわずかなイナゴが続くばかりと縮んでいった。
 見計らって「阿」の獅子が、これが最後と首群れへ歯牙を突き立てる。噛みつかれて首群れは、獅子の口から散り散りと逃げ出した。後についていたイナゴたちは方向を見失って龍をほどき、その最後の一匹さえも「吽」の獅子は尾をしならせ叩き落とす。
 空が明るさを取り戻そうとしていた。降り続ける虫を避けて田畑を跳ねていた雲太らの、逃げ惑っていた足もそこで止まる。
「と、とんでもない数だな、これは」
 見回す限りがイナゴであった。中でも薄い羽を広げてひっくり返る赤茶色い虫を見つけ出し、雲太はそうっと、歩み寄ってゆく。
「な、なんと……」
 それは驚くほどの大きさであった。どうやらまだ息があるらしく、蛇腹についた足をひくひく、動かしている。
「雲太っ! 和二っ!」
 向かって京三は駆けてきていた。
 だが眼中にない雲太は、感心するあまりこう声を張る。
「……なんとデカい 御器(ゴキ)かぶりかッ」
 なにしろ雲太の履物ほどもあるのだ。
 とたん、京三が駆け寄る以上の早さで後ずさっていった。
「ごっ、ごきかぶりですとぉっ!」
「来い来い、和二ッ! わしはこんなデカい御器かぶりを初めて見たぞッ」
 雲太は手招き、おっかなびっくりゴキブリへ指を伸ばした。
「おっ、おやめなさいってばっ! これ、雲太ぁっ!」
 たまらず京三が叫んで制する。
 そのとき、獅子の足は天から降った。
 雲太の目と鼻の先で、ものの見事とゴキブリを踏んで潰す。中からぶちゅ、と何かは飛び出し、京三の悲鳴は上がって、雲太の口からブ、と唾は飛んだ。だが獅子の足からはみ出す虫こそ、もう動く様子にない。
 見つめて雲太は後じさる。
「お、お見事」
 言うべきだろう。獅子を讃えて立ち上がると、太い足を叩いて労をねぎらった。だというのに「吽」の獅子は応えない。何者かに呼び止められたか、ふいと背後へ振り返ってみせた。黒く澄んだ瞳で遠くをじっと見つめ続ける様は、なにごとかを警戒しているようで雲太はついぞ問いかける。
「どう、された?」
 傍らへ、和二が辿り着いていた。遅ればせながら及び腰と、京三もやってくる。
「もしや、まだ何か残っているのでは?」
 するとその通り、と言わんばかりだ。「吽」の獅子の頭の上を「阿」の獅子は駆けてゆく。追いかけ「吽」の獅子も、ひと蹴り空へ飛び上がった。勢いに、踏み潰されたゴキブリは散り、京三が絶句して、二頭の行く末を見定め雲太は肩をひるがえす。
「あちらかッ?」
 追いかけ地を蹴りつけると、勢いのままえい、とあぜへ飛び上がった。ならそれはミノオの住まいだ。抜けたワラ屋根の上に、二頭の獅子は群がっていた。くんずほぐれつ牙を剥くと、何かを相手に奮闘している。だがおかしなことに相手の姿こそ雲太には、見えなかった。
 何がどうなっているのか。見据えて雲太は住まいへ急ぐ。やがて見えてきたのは、二頭の獅子の間で翼をはためかせる一羽の鳩であった。獅子はその鳩を相手に牙を剥いていた。
「何やつッ」
 口走り、雲太は足元に転がっていた石を掴む。鳩めがけて投げつけた。だが鳩は身が軽く、そんな雲太の投げた石などひょい、とかわしてみせる。代わりに (クチバシ)から、赤いものを吐き出してみせた。それはワラ屋根へポ、と乗ると、たちまち煙をくゆらせる。中から火の手が上がったなら、住まいをあっという間に燃え上がらせていった。
 炙られ獅子が、地へ飛びのく。
 雲太と、追いついたばかりの和二もまた、熱に後じさった。
 スキを見計らい飛び去る鳩は、龍の駆け降りてきた山を目指している。追いかけようと獅子は住まいを回り込むが、ことごとく行く手を塞いで炎は手を伸ばし、獅子らを追わせようとはしなかった。
 成す術をなくした獅子は、住まいの前をウロウロと歩いて回るばかりだ。やがて鳩は山へ紛れ、ついに獅子も浮かせていた尻を地へつけてしまった。力なく鳴いてうなだれたなら、それきり足からその身を、塩へ変えてゆく。
「くそッ、逃したか」
 獅子は二本の塩の柱となり、前に雲太はギリリと奥歯を噛みしめた。足音は、そんな雲太の背のから近づいて来る。おとう、おとうと呼ぶ声は間違いない。ミノオだ。振り返ろうとすればその背が雲太を追い抜き、ミノオは燃える住まいへ走っていった。
「いかんッ」
 慌てて雲太は身を乗り出す。辛うじて届いた手でミノオの体を掴んでいた。否やもろとも地へ倒れ込む。
「諦めろッ。近寄れば、お前も燃えてしまうぞッ」
 なら声は届いたようだ。腕の中のミノオはもう、雲太を蹴ってまで暴れようはとしなかった。ただ声の続く限り、おとう、おとう、と呼び続ける。
 近づきすぎた二人の頬を、燃え盛る炎が赤く染めていた。
 薄かったワラ屋根は、こと切れたようにバサリ、二人の前で抜け落ちる。


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