つかわしめ の巻
24


 さて、このかあ、と鳴いた烏。実は、雲太らが豊秋津洲へ辿り着いた時もかあ、と鳴いている。しかも雲太らについて村まで飛ぶと、一部始終をつぶさに見届け、鳩まで追いかけ先に山へもぐりこんでいた。
 そのひときわ高い木立の枝を陣取り、烏はまたもやかあ、と鳴く。
 鳴いて翼を大きく広げた。
 枝を蹴りつけ舞い上がる。
 のぞいた足は、三本。
 その身の黒を夜の黒に重ね合わせた。冷えた空気に残るわずかな上昇気流をとらえると、くるり、夜空に輪をかく。そのままどんどん高みへ昇りつめ、次に月と姿を重ねた。重ねて月の裏側を見据えると、再び強く翼をはためかせる。
 そんな烏の羽へ、次第に寒さはしみこんでいた。
 頃合いかと、烏は後ろを振り返る。
 目に、遠ざかる青い星は映り込んでいた。
 向き直って正面、近づいてくる数多、星を見定める。そうして烏は星を読み、別天津神の固めたもうた宇宙で胸を反らし旋回した。
 その入口は烏だけに見える場所だ。宙を流れて狙い定め、えいや、でそこへ嘴を突き立てる。
 瞬間、黒い体はぬらり、光った。ぐううと伸びて、飛び行く速度がぐんと上がる。ままに星の貼りつく景色をプスリ、突き抜けた。しこうして辿り着いた場所を問うことなかれ。高天原はそこに広がる。
 いつ見ても鮮やかな高天原は、しかしながら芦原の野の不祥事に、不眠不休の大忙しだ。おかげで目の下の黒い神も一柱どころではなく、見かけてはこれが天津神のお姿かと烏は憂いた。ふう、とため息を吐き出し、気を取りなおすと高天原の空を滑る。
 迷わず辿り着いた窓辺で、翼を広げ風を抱いた。速度を殺し体を立てる。三本の足をぐいと伸ばしたなら御柱、天照の元へ舞い降りた。
「木偶らのことでご報告、申し上げます」
 だが下界は夜だ。烏がどれほどうやうやしく頭を下げようとも、天照は就寝間際。その身支度に熱心と、鏡をのぞき込んでいる最中だった。たちまち驚き天照は、うぇっ、と叫んで飛び上がる。振り返ったその顔に、今度は烏がなにをやおののき翼をばたつかせた。
「そっ、そのお顔は一体、どうなされましたかっ!」
 確かに、天照の顔は真っ白だ。
「なんの、これは 八咫(ヤタ)の烏ではありませんか」
 知れた天照が、ほっとする。言って続けさま、自らの顔を指さした。
「これですか? おやすみ前の美容パック、というやつですよ。つるつるになるのです」
 おかげで逆立ったのは烏の羽だ。
「な、なんとむごい……」
「は? 今、なんと?」
「い、いえ。八咫のたわごとでございます。とにもかくにもご就寝間際の訪問、八咫の無礼をお許しくださいませ」
 聞こえたからこそ確かめるのであって、濁す烏に迷いはない。
「なんの、手が回らぬせいで木偶らを任せたのは、この天照です。さて、その報告があると聞こえたように思いますが」
 などと天照も調子を合わせたなら、事なきを得て烏は促されるままに身を引き締めた。軽く咳払いし、かあ、と鳴いて声の調子を確かめる。立ち消えになった話へ戻った。
「木偶らは中国之御柱より浜まで歩き、オノコロ島から無事、日本豊秋津洲へと渡り終えました。あいだ、渡しの村へ病をもたらしておった蛇を鎮め、島の村で龍をいつわりし虫の群れを退治た次第」
 きらり、嘴を光らせる。
「それは順調そうでなにより。荒魂の件は、先だって建御雷と獅子からもうかがいました。忙しいおり、建御雷も獅子もよく尽くしてくれた様子です。いたく感謝しておりますよ」
 きらり、パックの下で天照も瞳を光らせた。
 なら烏は、ひとつ声を低くする。
「そこでひとつ、天照のお耳に入れておきたいお話が」
「これはまた意味ありげな物言い。おかげで胸がドキドキしてきたではないですか」
「は、虫の一件にてございます。どうやら裏で何者かが操っておった様子……」
 たちまち天照の真っ白な顔は跳ね上がった。なんと、と声を上ずらせ、白い顔を烏の黒へ近づける。
「詳細を申せ。今すぐ詳細を」
「は、この虫を束ねておったのが、巨大な御器かぶりの群れでして」
「御器かぶりっ!」
「これがまったく驚くほどの大きさで。え、ま、このくらいの……」
 などと烏が翼を広げたなら、すぐにもよいよい、と渋い顔で天照は遮った。
「そんなリアルな報告はいりませぬ」
「そ、そうでありましたか? では端折りまして……」
 惜しみつつも烏は翼をたたみ、先を続けることにする。
「ともかく、たかが御器かぶりが龍をいつわるなど、魂にみあわぬ所作と怪しんでおれば、なるほど、御器かぶりを操っておったのは、一羽の鳩」
「そう言えば獅子が、なにやら逃がしたと言うておりましたね。ということはその鳩、芦原の野を荒らすもののけであった、というわけなのですね」
「それも、火まで操る相当のもののけでありました」
 烏はうなずき、天照の両手はとたん頭を抱え込んだ。
「ああ、また知らぬところで知らぬことが。鳩は豆を食うておればよいのに」
 言うさまには、苛立ちもまじっている様子だ。見極めたからこそ烏は、黒い体をまさに秘密エージェントと引き締め返した。
「ゆえにわたくし、因果をつきとめるため獅子の後を引きづぎ、逃げた鳩を山まで追跡」
「なんと、さすがは八咫。で、どうで、どうでありましたか?」
 天照が、まさに明るく照った顔を持ち上げる。ささ、さぁ。返事を求め、烏へすり寄った。なら押されてのけぞり、烏はしばし口ごもる。
「……それが、取り逃がす失態」
 吐き出した。
「ええい、役に立たぬ」
 悲しいかな、離れゆく天照の動きこそ早い。
「面目次第もございません」
 投げられ烏もしゅん、とうなだれた。
「ですが、もののけとはいえ八咫の翼を振り切り、火を吐き、虫を使うなど、荒ぶりはたかが鳩の魂を越えたもの。この件、さらに背後にいずかたの荒魂がついておると八咫は身をもって確信した次第にございます」
 奮い立たせて申し上げる。
「それも、わたしに報告せねばらぬほど大きな力を持つ荒魂、ということですか」
 離れたそこから天照は、瞳だけを投げてよこした。
「は。たとえ三輪山に神を祀ったとしても、火と虫、異なるものを操る荒魂。放っておけばいずれ国造りへ支障をきたす存在となるのでは、と予感させる気配を感じ取りました。鳩は、それほどの荒魂をうつしたつかわしめとして野へ警告を放っておることを、ここにご報告申し上げます」
 なるほど。思えば天照の怒りもおさまる。
「見失ったことは八咫、一生の不覚。どうぞ芦原の野をお治めになられる天照大神におかれましては、お気を付けあそばされるよう」
 ひとたび頭を垂れて、烏はつけ加えた。前で天照は、静かにうなずき返してみせる。
「よう、知らせてくれました。しかと覚えておきましょう。しかしあの地に、それほどまでの神はおらぬはず。いずかたに鎮まる神であろうか」
 下界へ目をやった。
「まったく、大国主がわたしの遣わした神を祀らないから厄介ごとばかり。おかげでまとまるものもまとまらず、わけのわからないものが次から次へと野を荒らす始末」
「いや、それは天照の神選に間違いが」
 などと、またもや烏の口から余計ごとがもれたなら、気づいてはっ、と息をのむ。だがもう遅かった。案の定、天照がむ、と睨む。返して烏はうふ、と笑った。しかしほほ笑みは伝わらず、黒はことのほか光の吸収率がいい。天照の睨んだ羽からたちまち煙は細く立ちのぼった。
「おっ、お (タワム)れをっ!」
 くすぶる火を、烏は叩きに叩く。
 目もくれず天照は、そんなこんなのうちに乾いた美容パックをピリリ、と剥がした。下からつるつるになった顔は現れ、改め烏へと向きなおる。
「ともかく、何がなんでもこれ以上はなりません。八咫には引き続き、木偶らが私の選んだ間違いのない神、を見つけるまでの旅の護りを頼みます。それからまた何かあれば報告を。頼りにしておりますよ、八咫」
 わたしの選んだ間違いのない神、にはやたらと力がこもっていたようにも思えたが、そうして投げかけた笑みは、パックの効果もあってツルリと照り、いつも通りほどよく暖かい。
 浴びて烏は、焦げた翼をたたみこんだ。姿勢を正す。黒はここぞで引き締まり、ままに高天原を取り仕切る御柱へ、烏は深く頭を垂れていった。
御意(ギョイ)。いずれもひそかに遂行しておめにかけます」
「うーん、またドキドキしてきましたよ。今夜はうまく眠れるかしら」
 明日は晴れだ。眺める天照の瞳が、またもやキラキラ輝き始める。

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