つかわしめ の巻
29


 京三めがけて火の粉が飛ぶ。
 目の当りにした京三が、肩をひるがえした。
 辛うじてかわすが、足はそのとき山道を踏み外す。
 がくん、体が傾いていた。口は「あ」と開いたたきりだ。かわした火の粉もろとも、下りの山肌に生えた木立の中へ真っ逆さまに落ちてゆく。
「京三ッ」
 叫んで雲太は、駆ける足へなお力を込めた。
 だが京三の消えた葉陰からは、見る間に煙が細く立ち上りはじめる。パチパチ爆ぜる音は聞こえ、やがてぼう、と赤い炎は噴き上がった。早さはミノオの住まいを焼いた時と同じだ。気づけば壁と、そそり立つ。
「京三ッ」
 辿り着いたところで飛び込めはしなかった。
見回し雲太は、その名を呼ぶ。
「けぇ、にいぃっ!」
 体を反らせた和二も隣で、精一杯とに声を張っていた。だが聞こえてくるのは炎の音ばかりで、返事は愚か人の動く気配さえうかがえない。おかげでついぞ身を乗り出しすぎた様子だ。立ち上る炎に叩き返され、二人はその場を飛び退いていた。
 その傍らへ、影はふわり、舞い降りてくる。
 はっ、と気づき雲太は身をひるがえした。
 鳩だ。
 そこで用のなくなった翼を静かに、たたんでいた。
 目にするが早いか雲太は、和二の体を掴んで背へ放り入れる。
「さてッ、これは獣が (タタ)るに過ぎたる所業(ショギョウ)ッ。 そこにおわすは獣にあらず。いかなる荒魂かッ」
 猪を相手にしているかのごとく、声を張った。なら木の実のような目で片方づつ、鳩は雲太をとらえてみせる。クルリ、回転させ、吸い込んだ息に胸を大きく膨らませた。
「われは、大八島に鎮まる大御神の使いなり」
 放たれた声は思いのほか低い。浴びた木立が揺らめいていた。食らった雲太もぐ、と奥歯を噛みしめる。響きの禍々しさに、そこへ低く腰を落としてしばし堪えた。
「そなたらへ告ぐ」
 前で鳩は続ける。
「決して我を探すまじ」
 言い放った。
 聞いた雲太の目は、とたんまんまると見開かれる。
「な、なんと……、魂は天照の遣わした神、大国主命の幸魂、そのつかわしめと言うかッ?」
「われ、 (マツ)られず、愚かなりし野を呪いて荒ぶる魂となりにけり。 八百万(ヤオヨロズ)、国津神を束ねて国造る命あらば、すなわち祟りて国津神を束ね、芦原の野を治めて枯らさん。愚かなりし野に島に、われの怒りを果てまで示さんっ!」
 とたんごう、と前に後ろで炎が勢いを増した。照らし出されて鳩の身に瞳が真っ赤と染まる。雲太の袴を掴んで和二はそうっと顔をのぞかせ、雲太もまた炎にあおられた片頬を赤く火照らせると、驚くままに鳩を睨み続けた。
「歩く鳥居は野の者にあらず。木切れは薪ぞ。燃して祓わんっ!」
 と鳩が、両の翼を天高く広げる。打ち付けたかと思うとパアッ、と空へ舞い上がった。追いかけ雲太はアゴを持ち上げる。見下ろす鳩が、そこでまたもや喉を詰めた。雲太らめがけて火の粉を吹く。だとしてそう何度も同じ手にはかかるまい。見定め雲太も、和二もろとも後ろへ飛びのいた。火の粉はそんな雲太の足先へ落ち、ジウと焼いて土を焦がす。だが火が消える気配はなかった。見る間に山道を塞いで広がり、登りの山肌につもった落ち葉を燃え上がらせる。ままに伝って木立を駆け上がると、青葉をむしばみ火柱へと変えていった。それどころか枝を走って雲太らの頭上にまで広がると、屋根と覆うこずえを燃やし、はらはら火の粉を降らせる。
「わぁっちっ!」
 あっけに取られて眺めていた和二が、雲太の背で声を上げた。雲太も降り注ぐ火の粉を払い、声を荒げる。
「ええいッ、大八島はいずれ天津神らの治めし地。和魂の鎮まりし芦原の野のまほろばッ。魂こそ、祓われ鎮まれる魂なるぞッ」
 だが鳩は、めがけてさらなる火の粉を吹く。
 伏せろ、と雲太は和二の頭を押さえつけた。
 おかげで火の粉をやり過ごすことはできたが、後ろ、登りの山肌へ火の粉は吸いつく。
「しまったッ」
 言うがすでに手遅れだ。炎はそこでも立ち上がり、ぼむ、と黒い煙を吐き出す。たちどころに木立を飲みこむと、肥え太って退路を遮り、雲太と和二をそこに囲んだ。
「う、うんにいっ! みんな、みんな燃えているぞっ! おいらたちも燃えてしまうぞっ!」
 雲太の尻に背を貼りつけた和二が叫ぶ。
「ええいッ、わかっておるッ」
 なら和二が、やおら爪先立った。
「けいにぃっ、どこだぁっ。けいにいぃっ! けいにぃっ! おいらたちも燃えてしまうぞぉっ! けいにぃっ!」
 呼びかけその手を打ち鳴らす。なるほど、あるとすればそれしか手はない。雲太も慌てて手を打った。
「京三ッ。聞こえるかぁッ。聞こえておるなら鈴だッ、今すぐ、今すぐ、鈴を鳴らせぇッ」
 だが鳥居は、うんともすんとも言わない。うちにも頭上でまた、鳩が大きく翼を打ち下ろす。あおられ周りで炎がごう、と勢いを増した。その先はよじれて空へ、壁と伸び上がってゆく。ならそそり立ったその先に、炎の毛皮をまとった山犬の群れは現れた。その丸めた背からは黒い煙がもうもうと吐き出され、山犬たちは熱の牙を剥き出し低く唸る。仰ぎ見る二人めがけて身を躍らせた。


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