昔々 の巻
3


薬師(クスシ)で、いらっしゃるのですか?」
 酒を満たした瓶子の口はが浮き上がり、女もまたクルリと光る目を雲太へ向ける。 
 つまり期待されているのだとして、なるべくよい返事をしたいと雲太は思うが、問いかけはあまりに陳腐でならなかった。雲太はしばしカワラケの酒を眺めたまま、押し黙る。ついにこらえかね、天を仰いだ。
「なに、このわしだ。どうみても薬師だけにはみえまいッ」
 ガハハと笑えば、つい酒をこぼしてしまう。
「おおっと、これはもったいないことをした」
 手は濡れ、慌てて持ちかえた酒の残りを迎えにゆいった。なら見かねて女が、懐から取り出した布を濡れた雲太の手へあてがう。
「まあ、まだじゅうぶん残っておりますのに、もう酔っておいでなのですか?」
 ひとしきり拭うが、しかしながら取れぬものに気付くと目を瞬かせた。
「あら、おかしな」
 再び布をこすり付ける。
「ああ、それはだな。生まれた時から授かったものだ。アザだな」
 二口目の酒へ舌鼓を打ち、雲太は教えた。
「アザ……」
 なるほど、女がなおまじまじと見つめる雲太の手のひらには、四本の線の端をそれぞれ重ねて組んだ青黒いイゲタのような印があった。
「まあ、拭いても取れんから、そのままにしておいてくれ。いや、世話をかけた」
 言ったものの、女はそれきり雲太へ見向きもしなくなる。そろえたヒザを雲太へ詰め、両手で雲太の手を取りなおすと、額を擦りつけてまでアザをのぞきこむ。
「なんともまぁ、気色の悪いアザですこと」
 言った拍子だ。張った女のヒジが瓶子を突いて倒してしまう。瓶子はぼん、と音を立て座間を転がり、口からはすうっ、と酒は流れ出た。だがもう女が慌てて拭うことはない。
 見て取り雲太の眉間は詰まる。女を見下ろし、なるほど、とその口をすぼめていった。ままに最後の一滴までを、カワラケからすすり上げる。
「どうやら、ずいぶん気になるようだが。それともこれを、よくご存じか?」
 ならその時、雲太の手を取る女の両の手に、力はこもる。爪が雲太の手へ食い込み、やがてふいごがごとし荒い息を、力んで尖った両肩から吐き出した。
「……薬師であろう、はずもない」
 その体から、女とは思えぬほど低い声は放たれる。あおられ囲炉裏で炎はちらつき、副屋の中に伸びた互いの影がチロチロ揺れ動いた。表でも、同じくあおられたように雨がいっそう激しく打ち付ける。さらってごう、と風も唸った。
 間違いない。
 思えばこそ、雲太は飲み干したカワラケを背へ投げ捨てる。
「だからして、わしは笑ったではないか」
 組んでいた足もまた解いていった。
 うちにも女の体はわなわな震えだし、やおらその顔を、がばと雲太へ持ち上げる。晴れた夜の月などどこへやら。とたんその唇は黒くぬめると、女の耳から耳までをつなげて裂けた。
「けがらわしいっ! 歩く鳥居か、このでくの坊っ!」
 カッと見開かれた両眼へ、血がにじむ。そのままこぼれ落ちんばかり、ぎょろり裏返した女はまさに、 醜女(シコメ) となって雲太を睨む。だがこれこそが待っておったものであれば、雲太に怯む道理などなかった。むしろ笑って歯を剥き出し、醜女へ酒の匂いが残る息を吐き返す。
「承知の上の様子見とは、それがわしらの定めというやつか。さて、問うぞッ。 (ミタマ)は獣か、地神の荒魂かッ。病の因果は、これにありと見たッ」
 受けた醜女の両眼が、またもやそこで裏返った。
「こざかしや……、ならこれもまた」
 絞り出すが早いか、握って離さぬ雲太の手を引き寄せる。
「わしがさっぱり拭ってやろうぞっ!」
 耳まで裂けた口これでもかと開き、雲太の手を食らうべく、醜女はその身を踊らせた。


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