つかわしめ の巻
30


 京三はそのとき山肌でうつ伏せとなり、うっすらまぶたを開けていた。
 何がどうなったのかは途中までしか覚えがない。思い出せるのは、山道から足を踏み外したその後、体を受け止めた木の音がけたたましかったことと、首根っこをへし折らんばかり転がった地が冷たく固かったことくらいだった。
 煙たい。
 思うままに、こほん、こほん、とむせてみる。どうや転げ落ちた時にしたたか打ち付けたらしい。拍子に腹が痛んで京三は顔をしかめた。おかげで忘れていたような体へ力は巡ってゆく。
 頭は山側にあるようだ。右手は剣を握り絞めており、左手には握りしめるほど砕けてなくなる落ち葉の感触がある。両の足は転落の衝撃に失せてしまったかのようだったなら、改め力を込めなおし、京三はゆっくり体を起こしていった。
 目の前がうっすら白い。
 煙たいわけはこれだと思う。
 吸い込み京三は、またむせた。
 何が起きているのかと周りへ目をやる。とたん真っ赤と燃える登りの山肌を目の当りとしていた。凄まじいまでのその勢いは、京三に息を飲ませる。
「避けた火の粉のせいでっ!……」
 思い起こし、その身を谷へもひねった。その所々からも、うっすら煙がのぼっているのが見てとれる。所によってはチラチラと、炎さえもがのぞいていた。
 もう消しとめられる広さでも勢いでもありはしない。思えばうろたえるまま、京三は瞳を揺らす。うちにも薄ら白かった煙は濃く立ち込め始め、ことごとく京三の前から木立の影を消し去っていった。
 澄んだ空気を求めて京三は、地へ身を擦りつける。それでも煙は目に染み、細めて袂を口へ押しあてた。このままではいずれ焼かれてしまうと思うが、斜面は手さぐりで下れるようなものでなく、雲太らを放って逃げ出すこともまたできなかった。何より煙を吸った胸の苦しさに、体はもう思うとおりと動いてくれそうにない。
 なら覚悟はすぐにも決まる。京三は山を見上げて袂を口元から引き剥がした。ありったけの力で登りの山肌へ声を上げた。
「うん、雲太ぁっ! 和二ぃっ! わたしはここですっ!」
 だが思ったとおりだ。それを最後に、一言も話せぬほどにむせかえる。悶えていればやがて霞むに加えてくらくらと、目の前が回り出した。おかしい、と思った頃にはすでに力は抜けた後となり、再び手足の場所があやふやとなってゆく。
 パチパチ弾ける枝葉の音が、小気味よかった。燃える前とほんのり暖かくさえあれば、包まれ京三は一足、早く訪れた夜に漂う。
 が、その時であった。
 声が、眠りかけた京三を揺り起こす。甲高いそれは和二のものだ。おっつけ雲太の野太い声もそこに重なった。二人は京三の名を呼んでいる。鈴を鳴らせと急かしていた。
 鳩だ。
 火を吹くもののけを相手に、二人は素手で苦戦しているに違いない。
 鈴を振らねば、と京三は思う。
 握る右手へ力を込めた。目を開けばそれだけで煙は染み、気力が奪われそうでならない。だからして目は開けず、うつ伏せになったままで京三は、剣をじわり、体へ引きつけていった。胸の下、左手で柄頭を探し、指先に布の端が振れたなら、つまんで息を整える。
 残る力はこれしかない。
 振り絞り、身を揺すった。
 ゴロン、寝返る勢いを借りて左の腕を空へ、振り上げる。
 腕は空に弧を描き、つまんだ布を一気に柄頭から引き抜いた。
 掲げて、ひとつ、ふたつ、どうにかみっつ、京三は剣を振る。
 だがそれが鈴を鳴らせるほどのものだったかどうか、定かではない。きっと鳴ったに違いないと京三は思う。思いながら山肌へ、両の腕を投げ出していった。


「あちちっ!」
 雲太と和二の頭の上を右へ左へ、煙を引きずり炎をなびかせ、山犬は次々と襲いかかってくる。その度に袂をひるがえし、二人は背中合わせで前へ後ろへ入れ替わった。だがしかしそれ以上がままならない。掴んで振り払うにしても、相手は炎の塊だ。触れればやけどするほどの熱の毛皮をかぶっている。むしろ雲太らが炙られて煙に息を詰め、次第に動きを小さくしていった。
「ええいッ。このままでは火に食われるぞッ。京三ッ」
 呼んでまた、雲太は手を打ち鳴らす。
「けぇにぃっ!」
 和二が悲鳴にも似た声を和二が上げた。
 ならその時だ。
 ついにふたりの手へぽうっ、と光は灯る。
「きたっ!」
 見つめて和二が伸び上がり、目にして雲太も声を張った。
「でかしたぞ京三ッ」
 刹那、わずかに残っていた湿り気が、地から湯気となり噴き上がった。滅するが早いか、重みはズンと二人の足へのしかかる。支えて二人は、背中合わせと腰を落とした。なら鳥居は高天原とを通して風を吹かせ、ぐるり周囲を駆け巡る。浴びて山犬が退いていった。失った勢いのまま、ただの炎へ身をひそめてゆく。
 見て取り雲太と和二は手を開く。塩は、そこへもさもさ噴き出すと、結ばれ、雲太の手からは益荒男の頭が、和二の手から何やら長い棒のようなものが姿を現した。様子に思い出されるのは建御雷とタケノコだが、雲太の手から天へ反り上がったは四方へ髪を跳ね上げた嵐の神、素戔嗚だ。和二の手からは抜き身の剣が現れ出る。炎の中でたちどころに、両者はむりむり、天へ向かいせり上がっていった。
 させるものかとめがけて鳩が、再び火の粉を吐きつけた。
 迎え撃ち、結ばったばかりの頭で素戔嗚が、雲太の手の上、ぷう、と、頬を膨らませる。尖らせた唇から、ぴゅうと息を吹きつけた。なら火の粉など、あられもない。あっという間に飛ばされて、ジウと滅して灰と散る。
 見届け鳩は、これではおいつかぬと、ひとたび翼を打ちつけた。なら雲太らの前で後ろで両脇で、ごう、と再び炎は勢いを取戻す。そり立ち揺らめくその先に、またもや山犬を数多、作り上げた。
 囲まれて雲太も和二も素戔嗚でさえもが、あんぐり山犬の群れを見上げて固まる。そんな雲太らを見下ろし山犬たちは、一気呵成と襲いかかった。
 これまでか。
 雲太に和二は目を閉じる。
 刹那、二人の頭をまたぎ、それは伸びた。結ばったばかりの素戔嗚の腕だ。残すは切っ先ばかりといずる剣の握り手をガシ、と掴み、力任せと引き抜いてゆく。なら結び切れず残った塩はしたたり飛んで、四方へ散らせて素戔嗚は、頭の上でぐるり、剣を振り回した。
 その切れ味は格別だ。
 やおら薄絹のごとく空が、描かれた円のままにすっぱり、切れる。
 そこからびゅう、と風は吹き、かまいたちとなって、触れた山犬の胴を前と後ろに切り分けた。
 ぼう、と重い声で山犬が、鳴き声を上げている。血潮とばかり黒煙を、切れた胴から噴き出した。己が煙にのまれるまま、やがて山犬は燃える躯体を千々と散らして消え去る。
「なん、と……」
 鮮やかさに、ついぞ雲太の口から声はもれていた。
 気づけば周りに残るのは、次をうかがう炎だけとなり、薙ぎ払った剣を肩にかついで素戔嗚は、ついにむすばった足を地へ突き立てる。太の手から離れて立てば、逆立つ髪の隙間から、のぞく瞳でしかと鳩をとらえて睨んだ。
 察した鳩は、どうやらこの場を見限った様子だ。くるり、素戔嗚へ尻尾を向けている。めざして素戔嗚は肩より、もたせ掛けていた剣を持ち上げると、切っ先でピタリ、鳩をとらえてみせた。ままに雲太らへ声を張る。
「よいか木偶ども、吹き飛ばされぬよう、しかと地面へ伏せておれッ」


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