つかわしめ の巻
31


 見て取り雲太は体を跳ね上げる。
「これはいかんッ」
 和二もわあぁっ、と叫んで地へしがみついた。瞬間、剣はぶん、と振られ、空がスパッと切れる。そこから風は猛烈に吹き出し、空がバリバリ音を立てた。なら勢いのままに切れ目は空を裂いて山の頂まで駆け上がり、パックリ裂けたそこからまさしく嵐と風を吐き出し続ける。
 ごうっ、と風が吠えていた。
 山が、覆って生えていた木立が、叩きつけられてざんざん音を立てる。とまる小鳥も忙しく鳴いて、折れて千切れた小枝に青葉が空へ舞い上がった。さらわれ雲太らの周りで砂は飛び、燃え尽き墨と化した木立も木端微塵と砕けて飛ばされる。あおられ炎も千切れて縮めば、ついにさらわれ雲太と和二の体は浮き上がった。
「うっ、うんにいっ!」
「離すでないぞッ」
 堪えて地面にしがみつき、二人は互いを引き寄せ合う。
 傍らで、炎がついに吹き消されていた。
 見て取り雲太は叩きつける風へ、その顔を上げてゆく。なら山をなぶった嵐はぐるり、空で円を描いていた。見る間に竜巻へまとまると、山の上に立派とそり立つ。
「ひゃぁっ!」
「うぉおおッ!」
 やがて素戔嗚が示したとおりと、竜巻はその身を逃げ行く鳩へ向かい傾けてみせた。そこから先は、まさに疾風怒濤の勢いだ。追いかけ地を走り出す。
 気配に振り返った鳩のはためきが、なおさら忙しさを増していた。だが小さな翼はかいなくひょい、と竜巻へ吸い込まれる。中で綿くずと、ぐるぐる回った。回りながら鳩は幾度か火の粉を吹いたようだが、枝葉に燃え移っただけで、竜巻が燃え上がるようなことだけは起きなかった。
 やがて枝葉に移った炎も消え去ったなら、鳩さえどこにいるのか見分けがつかなくなり、ひと仕事終えた竜巻も小さく力を失ってゆく。従い風も弱まって、吸い上げられていた枝葉がバラバラ、空から落ちてきた。
 そんな竜巻へこいこい、と手招いたのは素戔嗚だ。呼ばれて戻り来る竜巻の足取りは、くねり、よろめくが相当で、まこと頼りない。そうして辿り着いた竜巻を、素戔嗚の指先はつまんでくるり、結んでみせる。ならねじれた竜巻の中で風は滞り、結び目からふわり、ほどけて散っていった。様子はそれまでの勢いが嘘のようなほどで、恥じらい、いそいそ、山の隅へ逃げ去ってゆく様はまさに、そよ風だ。くすぐられて山も笑い、燃え残った木々がさわさわ、音を立てる。ついでに 劫火(ゴウカ)の穢れも祓っていったか、吹き抜けた雲太の周りで若葉に焼け跡が、そのときひとつ明るく色を変えていった。
 と、吹きぬけていった風の中から、それはぽとり、落ちてくる。おっ、と叫んで雲太は手を差し伸べた。のぞき込めばそれは見たこともないような、いや鳩の目のようであり吹く火の粉にも似た、紅い石はが手のひらに乗っている。
「これは見事な……」
「かの鳩は、龍と共にこの山に鎮まりし 和 魂(ニギミタマ)とならん。山行く者を導き、実りを豊かにするぞ。大事に扱え」
 告げたのはいうまでもない、素戔嗚であった。
 なるほど。思い雲太は、寝そべっていたそこから身を起こす。授かった紅玉をことのほか高く掲げ、素戔嗚へ頭を垂れた。
「さっそく祠を用意し、おさめて祀り申す」
 と山の頂から、ばぁっと黒い影は飛び立った。焼けた周りはとりわけ見通しがよく、雲太に和二はおろか素戔嗚までもが、何事かと空を見上げる。ふもとの村で目にした龍だ。空にまたもや泳いでいた。
「おおッ、これがもう一匹の龍かッ」
 だがそこに操る鳩はもういない。龍はすぐにも薄く透け、千々に乱れて山より消え去る。そのさい聞こえてきたのは、ここへ登って来るまでに幾度となく耳にしてきあの鳴き声であった。
「龍は、ヒヨドリだったんだぞ……」
 和二が呟き、雲太も応えて正体に目を見張った。
「……穀を食らうとは、そういうことであったか」
 ミノオの顔が浮かんでやまない。
 おっつけ引き止められた山道での出来事は、ミノオの上へ重なった。
「いや、京三だ。京三はどこへいったッ?」
 雲太は眉を跳ね上げる。紅玉を懐へ押し込むが早いか、下りの山肌めがけ駆け出した。だがひと蹴り、ふた蹴り、したところで、思いがけない暗がりに飲みこまれる。驚き仰ぎ見れば素戔嗚の腕だ。谷へ向かい伸びていた。
 雲太はあんぐり開けた口で見送り、素戔嗚の腕は見る間にすすけて残る谷の茂みへもぐりこむ。しばし探って木々を揺すり、中からひょい、と京三をつまみ出してみせた。
「けいにいっ!」
 見て取り和二が走り出す。
「……そのようなところまで、落ちておったか」
 いつからか立ち止まっていた雲太を、追い抜いていった。
 そうして引き戻されてくる京三は、すすにまみれて見る影もない。ただ離すまいと、剣を握りしめた腕をぶらぶら、宙に泳がせていた。素戔嗚が気遣いそうっ、と地へおろす。たちまちすがりついて和二がその身を揺すった。
「けいにい、けいにい、死んだのかっ? そんなの、だめだぞ。天照からいただいた魂なんだぞ。死んだりしたら、おいらが許さんぞっ!」
 だが京三が答える様子はない。和二が叩きつけた胸元から、ススだけをもう、と舞い上がらせる。だからして素戔嗚が手であおいだのは、そんなススを払ってのことだ。おかげでまたぶわ、と風は巻き起こり、舞い上がったススに砂がしばし雲太と和二の視界を奪う。払いながら京三の元へ、雲太は歩み寄っていった。咳き込む和二の肩へ手を置き、その頭越し、おっかなびっくり顔をのぞきこむ。
「おい、京三」
 素戔嗚が払ったせいか、そうして目にした京三は、いつも通りの白い顔をしていた。だが、だからこそなおさら息をしていないようで、雲太の方こそ息が止まりそうになる。
「お前がおらんと、わしはまた好きなだけ酒を食らってしまうぞ」
 言っていた。
 と、声はうーん、と返される。
 目をこすっていた和二が手を止めていた。
 雲太も思わず、お、とうめく。
「けいにいっ!」
 そうして和二が身を乗り出したなら、とたん京三の目はパチリ、開いた。面持ちには痛みも疲れも見受けられない。きょとんとした顔で、ただ辺りを見回す。挙句、雲太をとらえてこう言った。
「何をおっしゃいます。酒だけは許しませんよ」
 唖然としたのは和二もまた、だ。素戔嗚だけが、誰もの頭の上であっぱれ、あっぱれ、と笑い続けるのであった。

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