つかわしめ の巻
32


「うむ、そうか。鳩はそのようなことを言ったか」
 京三が無事だということは、もうそれ以上、確かめる必要がなかった。だからして言う素戔嗚の前で、三人は等しく頭を垂れる。
 傍らに置いて剣を肩へもたせかけた素戔嗚の、雲太の話へ耳を傾けるその顔は、先ほどから渋面だ。広げた小鼻から息を吐いてはぴゅう、とつむじ風を巻き起こし、アゴの先をコリコリと掻いていた。あおられ、時に吹き飛ばされそうになりながら、焼けただれた山道の真ん中で雲太はなおさら深く腰を折り、口を開く。
「探す神が荒魂になっていようなどとは、思いにもよらぬ一大事。畏れ多くも、このことを天照へお伝え願いたく申し上げる」
 と小気味よく、素戔嗚の肩でポンと剣は跳ね上がる。
「うむ。引き受けた。この素戔嗚に任せて間違いなしと心得よ」
 そうして素戔嗚は、ことのほか荒い息を吐きだしてもみせた。
「むうう、あほうの大国主め。何をしておるか、我が息子よ」
 睨んだ目は寄り、何を思い出したかその目をはた、と天へ向けなおす。
「なんとっ、芦原の野の乱れは 死人(シビト)も惑わすか。ええい、今、戻るわ。待っておれっ!」
 どうやら黄泉の国から伝令らしい。言うなり剣を持ち上げた。両手で握りなおせばそこから先はもう、あも、うも、言っているヒマがない。素戔嗚はぶん、と剣を振り回す。
「いかん。伏せろッ」
 雲太が叫んだ。
 見て取った和二の動きも、そら早い。
「い、一体、何事なのですかっ?」
 いきさつを知らぬ京三だけが、遅れて地へしがみついた。ならばわけを明かして切れた空から風は吹き、たちまち誰もの髪に衣ははためく。飛ばされそうにあおられる雲太らの前でまたもや竜巻は、すううっと一本、立ち上がった。
「愚か者がっ! 金輪際、大事な剣を手離すでないぞっ!」
 カミナリが、まさに吹き荒れる風の中から落とされる。一喝、食らって京三は、恐る恐るとその顔を持ち上げていった。目が、竜巻を身にまとわせた素戔嗚と合う。
「は、はいっ!」
 答えるだけで精いっぱいだ。
 そんな京三へ、素戔嗚もまた、小さく微笑み返していた。
 隠して竜巻が、素戔嗚の顔を覆ってゆく。
「やあやあ天照っ、いざ素戔嗚が参るっ!」
 もはや素戔嗚こそが竜巻だ。勇ましいかけ声と共に、地を吸い上げてぶおん、と空へ飛び上がった。吸い上げられて山はなびき、ごうっと唸って砂塵が飛ぶ。また天照が岩戸へお隠れになるようなことにならなければよいのだが。誰もが様子に不安を覚えたことは否めない。だが気にとめることなく竜巻は、覆われた素戔嗚は、高天原へ、黄泉の国へと帰っていった。
 見送り雲太が、和二が、京三が、山道に張り付けていた体を起こしていったのは、それからいくらか後のことだ。言えばバチが当たりそうだったが、ほとほと風になぶられた三人共が、ひどい目にあったとこぼしていた。だが嵐がおさまれば、辺りはまこと静かな山野だ。焦げてやつれた木々は無残だったが、透けた枝ぶりからさんさんと降り注ぐ日が、空の青さを見せつける。
「変わらず、荒っぽい神であることだ」
 舞い戻った小鳥のさえずりを聞きながら、雲太は衣の汚れを払い落とした。前に此度もまた、素戔嗚の残した塩の柱が真っ白とそびえ立っている。雲太は軽く息つき、そんな塩の柱へ目を持ち上げた。なら同様に見上げて京三も、そこに並ぶ。
「ですが、谷から風を吹かせ続けてくださったのは、かの 御柱ミハシラのごようす。おかげでわたしは燃えずにすみました」
 いつもの笑みが雲太をとらえていた。だからして雲太もアゴを引いて振り返り、そのようだな、と答えて返す。また塩柱を見上げていった。
「なあ、京三、わしらは果報者であるとは思わんか」
 言葉に京三は首をかしげて返す。
「いかなる時も、わしらには強い味方がついておる」
 言葉にようやく伝わった様子だ。京三はそこで「はい」とだけ答えて返していた。
「それだけの命が、わしらにはあるということだな」
 雲太の口ぶりはそつなく、しかしながらこもる重みに京三は眉間へ力を込めてゆく。
「どうやら大国主命へ引き合わせるよりも、まずは荒魂となられた大国主の奇魂、幸魂を鎮めねばならぬ様子。これは大仕事になりそうです」
 雲太もまた唇を、む、と曲げた。
「祟りで野を治めるなど、国造りが滞るどころにはおさまらん荒ぶり。早々にも鎮めんと、大国主命へ引き合わせるまでもないことになるやもしれん」
 そうして雲太は、結んだ口を緩める。
「そのためにも、もう、剣をなくしたりするな」
 京三へ振り返った。さげたままの剣をことさら強く握りしめ、京三はこくり、うなずき返す。ならあやまちは二度と起こさぬようつとめるだけでしかなく、見て取った雲太の大きな口はここぞとばかり広がっていった。おもむろに、その手を懐へ差し入れる。
「ついては御柱から賜わったものがある」
 紅玉を取り出し、京三へ見せた。
「これはまた、なんとも (アデ)やかな」
「龍と対だ。鳩の魂もこの山に鎮まる和魂となられた。わしらで手厚く祀らねばならん」
 だが辺りは言わずもがなの焼け野原であり、ふさわしい場所とは思えなかった。京三も思うところは同じらしい。
「でしたら下った先、山の裏手によきところを見極め、そこへ祠を建てるのはいかがでしょうか?」
 勧めて促す。
「うむ。それがいいとわしも思う」
 と話す二人の足元で、和二の頭は見え隠れした。二人だけで話すのはズルイぞ、と跳ねて紅玉をみせろ、とせがむ。
「おお、確かにそうだ。これはぬかった、ぬかった」
 雲太は、さっそく和二の前へ腰を折った。はずが放って和二は、すぐにも腹を抱えうずくまってしまう。どうしたのかと思えば、何とも情けない声は雲太の耳へ届いていた。
「は、跳ねたら、もっと、もっと腹が、すいたぁぞぉぅ……」
「うむ、あれだけ走ったからな」
「まったく、後さき考えず走ってしまいましたからね」
 確かに、忘れ去るにかなわぬ腹具合は、雲太も京三ももうここいらが限界だ。
 雲太は、ひとまず紅玉を懐へしまいこむ。ようし、と気を入れ替えた。
「ここらで残りの穀を炊いて食うてしまうことにするかッ」
 なら手繰り寄せるのは、浜から背負い続けてきたナベだ。京三もそうですね、と懐へ手を忍ばせる。
「ほら、和二、ごらんなさい。ここに猪から奪い返したイナゴがありますから、粥の用意が整うまでこれを分けてしのぎましょう」
 がそこで止まったのは、雲太と京三の手だ。やおら雲太が背へ振り返り、京三が開いた懐へ頭をもぐりこませた。声は一時、双方から上がる。
「な、なんとッ、ナベがなくなっておるぞッ」
「ああっ! 包が、イナゴの包がありませんっ!」
 言うまでもない。ナベはあの風で吹き飛ばされ、包は山道から転げ落ちた時に振りまいてしまっていた。食う方法も、食い物もなくして三人は唖然とする。とどめと腹が、ぐううと鳴った。前で和二が今にも泣き出しそうに頬を潰したなら、慌てて雲太は塩の柱を指示す。
「な、何を言うッ。そら見ろッ、塩だ。塩ならここに山ほどあるではないかッ」
 だがそれこそ食えたものではなかった。なおさらしょっぱく頬をすぼめた和二と京三が、雲太へ振り返る。

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