くしみたま の巻
34


 膨れた腹が、ずっしり重い。ふらふらしていた雲太の足も、今やしっかと地を踏みしめていた。
 雲太はそうして先に広がる山里を、背にそびえる次なる山並みを、気持ちも新たに見回す。まさに生き返った心持ちで、胸へ大きく息を吸い込んだ。
 止めてふん、と腰を落とす。
 傾けた体で右の足を振り上げた。
 つま先で天を指し、見せつけ地へ叩きつける。またふん、と息を吐いて力の限りに踏みしめたなら、低く身を沈み込こませた。すると力は、地から 膨れた腹が、ずっしり重い。ふらふらしていた雲太の足も、今やしっかと地を踏みしめていた。そうして先に広がる山里を、背にそびえる次なる山並みを、気持ちも新たに見回してゆく。まさに生き返った心持ちで、胸へ大きく息を吸い込んだ。
 止めてふん、と雲太は腰を落とす。
 傾けた体で右の足を振り上げた。
 そのつま先で天を指し、見せつけ地へ叩きつける。
 またふん、と息を吐いて力の限りに踏みしめ身を低く沈み込こませた。
 すると力は、地から伝わり腹の底へ湧き上がってくる。その力に押し上げられて雲太は再び、にじりにじりと体を押し上げていった。つま先まで伸び上がったところで、またひと思いに腰を落とす。今度は反対側の足だ。持ち上げ、振り下ろして地を踏みしめた。
「ふんッ」
 繰り返してシコを踏めば、粥を食った時にもまして雲太の体からは汗は吹き出す。気が満ちれば、ただそれだけで何もかもがうまくゆくような、大きな心持ちになっていった。
「ま、お見事」
 後ろで涼やかな声が言う。隣でトントン、真似てシコを踏む和二へもお上手、と褒めて声をかけた。
「すっかりお元気になられたようで、よかった」
 聞きながら、雲太はひときわ高く振り上げた足で、最後に地を踏みしめる。満ちた力を逃がさぬよう細く長く息を吐き出し、屈めていた腰を伸ばしていった。自ずと閉じていたまぶたを持ち上げたなら、整った体で振り返る。娘御(ムスメゴ)は、そこにナベを抱えて立っていた。
 姿は抱えた荷の重みなど感じさせぬほどまっすぐで、節のない竹を雲太に思い起こさせる。それでいて柔らかな輪郭は野花のごとく親しげな笑みを浮かべ、受けた日の光に明々と輝いてもいた。傍らには一仕事終わったといわんばかり、年寄りも一人、腰を下ろしている。聞こえていた話からして娘御の父だろう。身なりは二人とも質素で、雲太らへほどこしてやれるような身の上でないことはうかがえたが、浜の村で会った者たちのようにすさんだ雰囲気こそ見られなかった。
「あれだけあった粥が、ほら、もうからっぽ。当然ですよね」
 言って娘御が、抱えたナベの底を雲太へ見せる。鈴を転がしたような声で、また笑った。
 さて、腹を満たすことに気を取られ、雲太らはまだ名乗っていない。同じように笑って返すその前に、雲太は姿勢を正し娘御と向かい合った。
「これは和二」
 持ち上げた手で指し示す。ついで京三を探した。
「あちらが京三。どちらもわしの弟だ。そしてわしは雲太。さる魂を詣で、とある御仁へおめにかかるべく旅をしておる途中の者。このたびは腹を空かせて倒れているところ、双方には、たいへん世話になった。心よりの礼を申す」
 様子に、和二が踏んでいたシコの足を止めて駆け戻ってくる。少し離れたところで膨れた腹に合わせて袴の帯を絞めなおしていた京三も、その隣に並んだ。そろったところで頭を下げる。様子はよほど大袈裟と映ったらしい。たちまち娘御は、首を振ってまで後じさってみせた。
「どうぞよして下さいな。召し上がられたのは旅の方の穀ですし、わたしがここを通ったのは、お天道様のお導き。お礼ならば、お空へ手を合わせてくださればよろしいこと。わたしらは、なにもそんなことは致しておりませんから」
「何を言う、この頭、いくら下げたところでどうにもならんほど恩を受けたのだ。こうしておられるのも……」
 だからといってそのとき雲太が顔を上げたのは、そんな娘御の言葉に甘えてではない。なにをや思い当たればこそ、言葉を切って目を瞬かせた。
 様子に京三と和二も気づいたようだ。一体どうしたのか、と雲太へ振り返る。
 なら雲太は目を剥きぱん、と腹を打ちつけ声を張った。
「その通りッ。この頭を下げたところで、どうにもならんッ。ここはひとつ、この三人へ用事を申し付けてはくれんだろうか」
 申し出る。
「旅の身ゆえ持ち合わせはないが、元気になったこの体がある。なんなりと働き勤めて、受けた恩義をお返したい。いや、そうせねばわしの気がすまんときたッ」
 つづる様はまこと楽しげだ。なら提案に、聞いた和二と京三の目も輝き始める。顔を見合わせたうなずき合い、雲太に続けと矢継ぎばやに娘御と年寄りへ身を乗り出した。
「ええ、ええ、兄のいうとおりです。わたくし、見てくれはこのようですが、腹さえ膨れてしまえばご心配なく。力仕事だろうと何だろうと、やってのけてお見せします」
「そうだぞ。子供だからってバカにするな。おいらだって何でもやれるぞ」
 鼻息も荒い三人に、娘御と年寄りはしばしあっけにとられて立ち尽くす。だがやがて娘御の肩は揺れ出しっていた。クスクス声はもれ、かと思えば堪えきれず、大声を上げて笑いだす。
「な、何がおかしい」
 雲太はむすっと頬を膨らませた。前にしても娘御の笑いは止まらない。
「だって、本当にお元気なんですもの」
 滲んだ目じりの涙を拭いながら言った。どうにか顔を整えなおし、その瞳をまっすぐ雲太へ持ち上げる。
「そのご様子なら、今すぐにでも次のお山を越えられそう。失くされたナベでしたら、うちにひとつ余っておるものがあります。それをお持ちください。ほら、日の高いうちに出られた方がいいです。もしお泊りになられるのでしたら、屋根くらいはお貸しできます。どうぞその時は、わたしらへこそおっしゃってください。何しろ久しぶりに村へいらしたお客様ですもの。なんだか、いいえ、きっといいことがありそう。そんな方へ下働きなどいいつけたら、バチが当たってしまいますわ。お気持ちだけでもう十分」
 否や、風にしなる竹のように体をたわませ、また笑った。隠してくるり、年寄りへ振り返る。
「ね、おとーさんっ!」
 座り込んでいた年寄りは、やれやれといった具合で聞いている。えっちらおっちら、その腰を上げた。
「そうでしたか。魂詣でとは、またご苦労なことです。わたしはこの村のクメという者。これは娘のタカと申します。なにぶんこのように生まれもってのお転婆で、無礼の数々、どうぞこの年寄りに免じて許してやってくださいませ」
 右へ左へ肩を振りながら、雲太らの前にまで歩み寄ってくる。これまたゆったりと頭を下げていった。
「しかし娘の言うとおり。このところしばらく山を越えてやって来る人足も絶えておったものですから、山へタケをとりに向かった娘が登り口に人が倒れておる、と騒ぎおりましたときは、ほんに驚かされました。ゆえに本当かと疑って足を運んだだけのこと。お助けしようなどと。なり行きは、まことお天道様の良い巡り合わせという次第にございます」
 静かにほほえむ。
「とはいえ……」
 なそと言葉には続きがありそうだった。持ち上げられた手も、まばらに生えたアゴヒゲをジョリジョリすりはじめる。
「なんなと用をいいつけてくれ、と申されますか……」
 やおら遠くへ投げた目で呟いた。
 その体を、タカが隠したヒジでつく。
「おとうさん」
 口ぶりは咎めるようで、返すクメの声も渋い。
「言うても村から働き手がおらんようになってから、ずいぶん経つじゃろう。そこへ見ての通りの若者じゃ。ここは甘えさせてもろうてはどうじゃ?」
 タカの表情はそのとき初めてくもり、雲太らは互いの顔を見合わせることとなる。伝わり腹の底へ湧き上がり、その力に押し上げられて雲太は再び、にじりにじりと体を押し上げる。つま先まで伸び上がったところで、またひと思いに腰を落とした。今度は反対の足だ。持ち上げ、振り下ろして地を踏みしめる。
「ふんッ」
 繰り返してシコを踏めば、粥を食った時にもまして雲太の体からは汗は吹き出した。そうして体に気が満ちれば、ただそれだけで何もかもがうまくゆくような、大きな心持ちになってみる。
「ま、お見事」
 後ろで涼やかな声が言っていた。隣でトントン、真似てシコを踏む和二へもお上手、と褒めて声をかける。
「すっかりお元気になられたようで、よかった」
 聞きながら、雲太はひときわ高く振り上げた足で、最後に地を踏みしめた。満ちた力を逃がさぬよう細く長く息を吐き出し、屈めていた腰を伸ばしてゆく。自ずと閉じていたまぶたを持ち上げたなら、整った体で振り返った。娘御(ムスメゴ)は、そこにナベを抱えて立っていた。
 姿は抱えた荷の重みなど感じさせぬほどまっすぐで、節のない竹を雲太に思い起こさせる。それでいて柔らかな輪郭は野花のごとく親しげな笑みを浮かべ、受けた日の光に明々と輝かせてもいた。傍らには一仕事終わったといわんばかり、年寄りも一人、腰を下ろしている。聞こえていた話からして娘御の父だろう。身なりは二人とも質素で、雲太らへほどこしてやれるような身の上でないことはうかがえたが、浜の村で会った者たちのようにすさんだ雰囲気こそ見られなかった。
「あれだけあった粥が、ほら、もうからっぽ。当然ですよね」
 言って娘御が、抱えたナベの底を雲太へ見せる。鈴を転がしたような声で、また笑った。
 さて、腹を満たすことに気を取られ、雲太らはまだ名乗っていない。同じように笑って返すその前に、雲太は姿勢を正し娘御と向かい合った。
「これは和二」
 持ち上げた手で指し示す。ついで京三を探した。
「あちらが京三。どちらもわしの弟だ。そしてわしは雲太。さる魂を詣で、とある御仁へおめにかかるべく旅をしておる途中の者。このたびは腹を空かせて倒れているところ、双方には、たいへん世話になった。心よりの礼を申す」
 様子に、和二が踏んでいたシコの足を止めて駆け戻ってくる。少し離れたところで膨れた腹に合わせて袴の帯を絞めなおしていた京三も、その隣に並んだ。そろったところで頭を下げる。様子はよほど大袈裟と映ったらしい。たちまち娘御は、首を振ってまで後じさってみせた。
「どうぞよして下さいな。召し上がられたのは旅の方の穀ですし、わたしがここを通ったのは、お天道様のお導き。お礼ならば、お空へ手を合わせてくださればよろしいこと。わたしらは、なにもそんなことは致しておりませんから」
「何を言う、この頭、いくら下げたところでどうにもならんほど恩を受けたのだ。こうしておられるのも……」
 だからといってそのとき雲太が顔を上げたのは、そんな娘御の言葉に甘えてではない。なにをや思い当たればこそ、言葉を切って目を瞬かせた。
 様子に京三と和二も気づいたようだ。一体どうしたのか、と雲太へ振り返る。
 なら雲太は目を剥きぱん、と腹を打ちつけ声を張った。
「その通りッ。この頭を下げたところで、どうにもならんッ。ここはひとつ、この三人へ用事を申し付けてはくれんだろうか」
 申し出る。
「旅の身ゆえ持ち合わせはないが、元気になったこの体がある。なんなりと働き勤めて、受けた恩義をお返したい。いや、そうせねばわしの気がすまんときたッ」
 つづる様はまこと楽しげだ。
 なら提案に、聞いた和二と京三の目も輝き始める。顔を見合わせたうなずき合い、雲太に続けと矢継ぎばやに娘御と年寄りへ身を乗り出した。
「ええ、ええ、兄のいうとおりです。わたくし、見てくれはこのようですが、腹さえ膨れてしまえばご心配なく。力仕事だろうと何だろうと、やってのけてお見せします」
「そうだぞ。子供だからってバカにするな。おいらだって何でもやれるぞ」
 等と鼻息も荒い三人に、娘御と年寄りはしばしあっけにとられて立ち尽くしていた。だがやがて娘御の肩は揺れ出すと、クスクス声はもれる。かと思えば堪えきれず、大声を上げて笑いだした。
「な、何がおかしい」
 雲太はむすっと頬を膨らませる、だが娘御の笑いは止まらない。
「だって、本当にお元気なんですもの」
 そうして滲んだ目じりの涙を拭った。どうにか顔を整えなおし、その瞳をまっすぐ雲太へ持ち上げる。
「そのご様子なら、今すぐにでも次のお山を越えられそう。失くされたナベでしたら、うちにひとつ余っておるものがあります。それをお持ちください。ほら、日の高いうちに出られた方がいいです。もしお泊りになられるのでしたら、屋根くらいはお貸しできます。どうぞその時は、わたしらへこそおっしゃってください。何しろ久しぶりに村へいらしたお客様ですもの。なんだか、いいえ、きっといいことがありそう。そんな方へ下働きなどいいつけたら、バチが当たってしまいますわ。お気持ちだけでもう十分」
 言うや否や、風にしなる竹のように体をたわませ、また笑った。隠してくるり、年寄りへ振り返る。
「ね、おとーさんっ!」
 座り込んでいた年寄りは、やれやれといった具合で聞いている。えっちらおっちら、その腰を上げた。
「そうでしたか。魂詣でとは、またご苦労なことです。わたしはこの村のクメという者。これは娘のタカと申します。なにぶんこのように生まれもってのお転婆で、無礼の数々、どうぞこの年寄りに免じて許してやってくださいませんか」
 右へ左へ肩を振りながら、雲太らの前にまで歩み寄ってくる。これまたゆったりと頭を下げていった。
「しかし娘の言うとおり。このところしばらく山を越えてやって来る人足も絶えておったものですから、山へタケをとりに向かった娘が登り口に人が倒れておる、と騒ぎおりましたときは、ほんに驚かされましたな。ゆえに本当かと疑って足を運んだだけのこと。お助けしようなどと。なり行きは、まことお天道様の良い巡り合わせという次第にございます」
 つけ加えて静かに笑んだ。
「とはいえ……」
 そうして切られた言葉には続きがありそうだ。持ち上げられた手も、まばらに生えたアゴヒゲをジョリジョリすっている。
「なんなと用をいいつけてくれ、と申されますか……」
 やおら遠くへ投げた目で呟いた。
 その体を、タカが隠したヒジでつく。
「おとうさん」
 口ぶりは咎めるようで、返すクメの声も渋い。
「言うても村から働き手がおらんようになってから、ずいぶん経つじゃろう。そこへ見ての通りの若者じゃ。ここは甘えさせてもろうてはどうじゃ?」
 タカの表情はそのとき初めてくもり、雲太らは互いの顔を見合わせることとなる。


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