くしみたま の巻
36


 そうして話がついた頃には、もう日は真上を通り過ぎ、山の影は長く伸び始めていた。
 これはタカの願掛けでもあるからして、田畑には手を付けない。雲太らは祠を建てるべく、まずクメから譲り受けたいくらかのワラでしめ縄を編んだ。くわえて いくらかの道具を借り受ける。出来上がったしめ縄もろともたずさえ、日が暮れる前に山へと入っていった。
 あれほど腹を空かせて下った山道は、まるで別の道と雲太らの足に馴染む。
 いくらもいったところで道を逸れた。
 木立の並ぶ山肌へ踏み込んでゆく。
 息を弾ませながらひと足、ひと足、登ってゆき、時折、立ち止まっては空を見上げ、三人ははそこに重なる枝ぶりへ目をやった。
 言うまでもない。探すのは、魂を納めて遜色ない木だ。その木は大きければよいと言うものでもなく、勢いが良く、ふんだんに葉が茂り、そして何より同じ木切れを収めた雲太らにこそ感じ取ることのできる 清スガしさに包まれていなければならなかった。あきらめてこれにするかと言うことは許されず、求めて雲太らは右へ左へ、上へ下へ、しばし山をさ迷い歩く。
 果てにこれが良かろうと足を止めたのは、一本のヒノキの前だった。見初めたヒノキは、根が力こぶのように節くれだち、山肌をしっかと掴んで伸びている。ゆえに倒れそうもなく、幹は山を吸い上げる勢いで空へ向かい伸びていた。茂る枝の緑も包み込むように厚く柔らかい。そよぐ風が揺らしたなら、葉は空をなでて揺れ動き、透ける光が珠となってきらきら雲太らへ降り注いだ。
 うん、と雲太はうなずく。肩にしめ縄を巻きつけた京三もまた、見上げたままで微笑んだ。
「これであれば、魂もさぞお喜びになられることでしょう」
 聞きながら歩み寄り、雲太はぽんぽん、幹を叩く。返ってきた音は鈍く、中がしっかり詰まっていることを知らせていた。
「よい木だ。申し分ない」
 なら、まわらない腕でヒノキへぎゅう、と抱きついてせみたのは和二だ。幹へ耳を押しつけ、そのままそうっと、まぶたを閉じる。横顔へ、雲太は問いかけた。
「どうだ?」
 話す和二の口ぶりは、いつもとうって変わってねむたげだ。
「うん、おいらに話しかけてくるぞ。いかようにするつもりか……、と聞くので、おいらは倒して祠を建てるぞ……、と答えたぞ」
「なら、ヒノキはお前になんと言った?」
 雲太がさらに先を問えば、和二はそこでまぶたを開く。クルリ、回した目玉で雲太を見上げた。
「魂を納めるなら、それもよかろう」
 いつも通りと生意気に答えて返す。やおら抱きついていた手を離した。雲太の元へ急ぎ、駆け戻る。そうして三人、並んだなら、ヒノキを前に一歩、下がった。そうして深々、頭を下げる。
「ありがたく頂戴する」
 雲太が言えば、合図に山の空気は引き締まったようだ。察した京三も、少しばかり厳しい面持ちとなる。足早とヒノキへ歩み寄っていった。肩からしめ縄をおろし、幹へ巻きつけにかかる。終われば後は雲太の出番だ。雲太もたずさえてきた鋸を和二へ預けると、衣の袖をまくり上げた。ぺっぺと、手のひらへつばを吐きつけ気を入れなおす。改め差し出された鋸を和二から、受け取った。うちにもしめ縄はしっかと幹へ巻き付けられ、その身を山から神域と分け終える。そんなヒノキの元へ雲太は向かった。
 足場は傾き、木の根も張って落ち着かない。だが押して踏ん張り、固めて雲太はそこに立った。鋸の柄を握りなおして腰を落とし、ここだと見定めた登り側の木肌へ刃をあてがう。
 ひとつふたつ、整えるように息を吐いた。
 あてがった刃の一点へのみ、力を、気を、集中させる。
 定まればひと思い、雲太は鋸の柄を引いた。
 聞こえた音はしゅっ、と鋭い。
 とたん鋸と幹の間から木くずはぱっ、と噴き出した。それは後戻りできぬ傷を負わせた証のようで、血潮のように雲太の足へ降る。見定め雲太は鋸を押し戻した。再び力を込めて引く。鋸の刃は幾分、幹へもぐりこみ、茶色だった木くずが白に変わった。繰り返せば調子はつき、鋭い鋸の音と散る木くずが小気味よい合いの手を入れて雲太を励ます。なら巡らせた気はここぞとばかりに高まって、尽きぬ力を腹の底からわき上がらせた。鋸が幹へくいこんでゆくほど疲れは飛んでゆく。雲太はヒノキと一体になり、鋸を引き続けた。
 やがて吹き出した木くずが小山となり、雲太の足を隠し始める。
 さすがに息も荒くなっていた。
 にじんだ汗が玉と額に浮かび、鋸を握る手がしびれだす。
 しかしながら、しゅっと切り裂く鋸の音と、ぱっと散りゆく木くずの間合いは乱れることなく、ついにその時は訪れる。ビシリ、ヒノキから大きな音は鳴り響いた。それまで不動であった幹が、境にどこかふわふわ揺れだす。揺れがおさまったかと思えば幹は、谷へ向かいじわり傾いだ。残りつながるところもわずかなら、そうして傾いだ幹を支えることなどもう無理だ。次にヒノキがビシリと音を立てた時には、つながる幹から皮は剥げて弾け飛んだ。とうとう谷へ向かい、鈍い音と共にヒノキは倒れ始める。
 見上げて雲太は幹から鋸を引き抜いた。かたずを飲んで見守っていた和二と京三を呼び寄せ、ヒノキの下から飛びのく。別の木立の下へ身を隠した。
 追いかけ、埋めて、ヒノキは雲太らのいた場所へ身を投げる。
 さなか、周りに絡んだ枝が折れて飛び散り、囲う木立が揺れに揺れた。下になった枝もまた折れると、落ち穂すら跳ね上げ辺りへ飛び散らせる。勢いに厚い緑がわさわさ踊っていた。あおがれ風が雲太らのところまで、ふうんとヒノキの香を運んでくる。
 おさまれば、それきり動くものは何ひとつ、なくなっていた。静けさが辺りを覆い、誘われ、雲太と和二と京三は、そろそろと木立の影から抜け出してゆく。
 身を投げ出したヒノキは見上げていた時より、ずっと大きい。しばし見とれて辺りを歩いた。だからと言っていつまでも眺めておれば、たちまち日は落ちてしまうだろう。さて、鋸は雲太の持つ一本しかなかったが、枝払いの鎌なら和二と京三にもわたっていた。日暮れまでに必要なだけをふもとへ運んでおきたい。三人は、好きにするがよいと身を投げ出したヒノキへそぞろに群がってゆく。
 ならこの話は、たちまち村に知れ渡ることとなった様子だ。そうこうしている間にもヒノキの倒れる音を目印に、手に手に道具をたずさえた年寄りが、和二ほどの子供らが、水の入った筒を抱えた女どもが、山肌を登って雲太らの元へ集まってきた。雲太が礼を言えば、めっそうもないと手を振られ、皆で手分けしてヒノキの皮を剥ぎ、形を整えてゆく。運びやすい長さに分け、そーれ、のかけ声で滑らせながら、みなで力を合わせて引き下ろした。
 祠に要りような分が、雲太らの倒れていた山の入口まで運び込まれたのは、まさに空が真っ赤と染まる夕の刻であった。誰もがほとほと疲れ切っていたことは言うまでもない。だがどの面持ちも晴れ晴れとし、年寄りも子供も女も、笑って互いの労をねぎらい合った。それは今日この村を訪れたばかりの雲太らも同じだ。まるでとうの昔からここで暮らしていたかのように、村の者と笑い合った。
 その夜もまた、腕をふるうタカの御馳走になる。
 味付けに文句もなければことのほかすいた腹も手伝って、上がり込んだ土座の上、囲炉裏を囲んで三人は昼間にもまして粥をかきこんだ。そのうちにも集まってきたのは、穀や菜や、鹿肉の干物までもを手土産にした村の者たちだ。口々に、ぜひとも浜で暴れていた龍の話を聞かせてほしいとせがむ。気づけば囲炉裏の周りは好奇の目で埋め尽くされ、かたずを飲んで聞き入る村の者へ、雲太は一部始終を語って聞かせた。
 鳥居の身であることについては伏せたが、天からの助けで龍が虫と散っていったことを、祠におさめる和魂こそが操っていた鳩であったことを、包み隠さず伝える。途中つい力が入り過ぎて、龍と獅子の争う様を事細かに語ってしまったなら、泣く子供や怯える女がでたものの、最後はみな手を打ち、喜び踊るに終わった。
 囲んだ火は、いわずもがな暖かい。だが、そんな人いきれがなにより雲太らを暖めていた。その夜はまさに宴となり、賑やかなままふけゆくこととなる。


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