くしみたま の巻
38


 おうい、おうい、と上げる声に間違いはない。クメだ。丸めた背で息を切らせ、驚く雲太の前へ駆けくる。辿り着いたなら、抱えていた瓶子を差し出しクメは言った。
「御 神酒ミキにございます」
 確かに足りず、雲太は思わず問い返す。
「そのために山へ入っておったのか?」
 クメが切れる息の合間から、笑みを浮かべて返していた。
「はあ、猿酒の湧く木がありまして、魂をお迎えするのですから、そら汲まんとと思い登ってまいりました」
 話にたまげて京三は、寄り添いその背をさすってやる。
「それはそれは、またご苦労なことでした」
 そこへ驚き慌てて姿を現したのはタカだ。京三から、言うクメを預かり受けた。
「もう、お父さん、言ってくれれば、あたしが行ってきたのに」
「何を言いおる。娘が木になんぞ登るもんではない」
 などと出た言葉は、お転婆と呼ばれるタカならではだろう。やりとりすら微笑ましく眺めて雲太は、がははと笑った。改め、クメへ向きなおる。
「いや、最後の最後まで世話になるとは、かたじけない。さっそく、献上いたそう」
 すこうし匂いを嗅いで振り返り、積まれた穀の隣へ瓶子を供え置いた。なら守るヒノキについては言うまでもなく、紅玉の座りに照りさえもが様子を変えてしまったようだ。大きさなど関係ない。整った祠は神々しくも威厳を放ち、見守っていた村人がそぞろに一人、また一人と、そんな祠へ手を合わせてゆく。深く深く頭を垂れると、これで何もかもがうまく運ぶに違いないと、感極まってすすり泣く声が聞こえる中、思いはその時ひとつになった。
 雲太も和二も京三も、それほどまでにみながほっとしたことを知る。これ以上の仕上がりはないと目配せし合っ、村のこれからが健やかであることを祈ると慣れぬ仕事に荒れた手を合わせ、祠へ頭を垂れてゆくのだった。
 上げた面で空を仰ぐ。
 高天原まで高く突き抜けた空は、今日も闇をたずさえ押し迫りつつあった。
「これで働き手さえ戻ってくれば」
 差す茜色へ明日を託して京三が、こぼす。雲太も思うところは同じだ。そうだな、と言う代わりに、静かにうなずき返していた。そうして下ろした目へ、ぐ、と力を込める。それは急に時が止まってしまったかのような動きで、おっつけ京三を振り返らせていた。
「どうか、しましたか?」
 ならじいっと祠を見つめたままで、雲太は言う。
「いや、まだ終わっておらん」
「は?」
 わけが分からず京三は問い返していた。
「祭りだ……」
 雲太がこぼす。
「なん、ですと?」
 なおさら確かめずにおれず、京三はその横顔へ言葉を投げる。とたん、雲太はがば、と振り返っていた。
「祭りだ、祭りだ、京三ッ」
 繰り返す声は大きく、囲う村の者までが何事だろうと雲太へ視線を上げてゆく。浴びて雲太はもろ手を挙げた。
「地に鎮まった神へわしらの感謝を示し、祭りを企てるは当然のことッ。みなで豪勢にもてなせば、なおのこと機嫌よく山を護って下さることだろう。そのうえだ、そうして賑やかしくしておれば誰がこの村を龍の襲う村だと思うか? 働き手が帰って来るのをいつかなどと待ってはおれんぞ。祠が建ったことを周りへとくと知らしめてやるのだッ。そのための祭りを企てると、わしは決めたッ」
 などと思いつきは唐突で、村の者はなおさらポカンとし、京三はそんな雲太を押し止めて手を突き出す。
「ま、待ってください、雲太。だとして一体、何をどうしようというのです?」
 そうして過るよもや、にピシリ、眉間を割った。
「ま、まさか、あなたはまた裸踊りを披露するつもりでおるのではっ……」
「それではまた、荒ぶるんだぞ」
 あながち冗談におさまらないのだから、タチが悪い。和二ですら口を挟む。聞いて雲太はがはは、と笑った。
「何を言う、それはウズメだ。ここにはわしらしか働き手はおらんのだぞ。なにかこう、わしらにしかできんような……、こう、みながわっ、と盛り上がることを企てたい」
 それきり天を睨む。唸って地を見つめ、腕組みした。
 と、声はすぐにも祠を囲っていた村の者の中らから上がる。娘御たちだ。祭りなら、舞いを奉納すると申し出ていた。様子はすぐにも誰の目にも浮かび、それはよいと年寄りが声を上げる。きっかけに勢いついたのは祭りの相談だ。アレをやるのはどうだろう、と提案は矢継ぎばやと飛ぶ。ならアレとは曲芸のことらしく、得意な年寄りがここは目出度いおりであるから、とかって出た。子供らもそれをよく知っているらしい。心待ちにして早くもわー、わー、騒ぎだす。舞いも曲芸も、祭りそのものが龍の騒ぎでなおざりなら、久方ぶりの準備に誰もはとたん浮足だった。囲まれ雲太もポン、とそこで手を打つ。
「そうだッ」
 閃きは、確かに雲太らにしかできないものだろう。
「わしらは相撲を奉納するッ」
 京三が眉を跳ね上げていた。
 おお、と目を丸くした和二も身を乗り出す。


トップへ