くしみたま の巻
39


 確かに村は女、子供に年寄ばかりであった。相撲などと威勢のよいものとはとんとご無沙汰に違いなく、だからこそ唯一の働き手である雲太らがここで景気づけと名勝負、見ごたえのある大一番を繰り出せば、お神酒を片手に眺める神どころか村の者さえ盛り上がること間違いなし、と思えてならない。
 身を乗り出した和二の小鼻はすでに広がり、その気と荒い息を吐き出している。だが眉を跳ねたきりの京三はといえば、まるで真逆と尻込みしたように雲太の目に映っていた。
「なんだ、お前は気が乗らんのか? なんでもやってのけると、タカの前でいきまいてみせたではないか」
 拍子抜けと問うてやる。
「そ、そのとおり。気が乗るも乗らないも、これは受けた恩を返してのこと。い、嫌なわけが、ないでしょう……」
 京三が答えるまで、妙な間は空いていた。しかもどこか歯切れが悪く、なぜだ、と考え雲太は目を細めてゆく。たちまち気づいて、ははぁん、と鼻を鳴らし、浮かべた薄笑いのままこう確かめた。
「さてはお前、みなの前でわしに負かされるのが、嫌なのだな」
「まっ、まさか」
 京三は返すが、それがよけい雲太の鼻を、得た確信にぴーひょろ、得意げと鳴り響かせる。
「いやいや、無理をするな。のう、何しろ同じものを食っているのに、お前はひょろひょろときた。並べば貧相でならん。それだけでも恥ずかしいところを、娘御もおるこれだけの人前で、わしに無様とひっくり返されるのだ。それはもう、いてもたってもおれんだろう」
 きょとんと聞いていた和二が目を、心配げと京三へ裏返していっていった。
「そうなのか? けいにい」
 はっ、はっ、は。なにを、なにを。
 笑って言えない京三の胸のうちは、うまるところ図星である。だからして腕はそのとき、これでもかと雲太へ振り上げられていた。


「なっ、何をおっしゃいますかっ! そもそも誰が雲太なんぞに負けると言いましたかっ。相撲は体の大きさのみならず、心技体がそろってこそっ! とりわけ心と技が重要なのです。ならわたしこそ勝って当然っ! 図体だけのでくの坊は、それこそ押されてすとん、と倒れておればよいのでぇすっ!」
 拳を握りしめる京三の口ぶりは似合わぬ力の入りようで、おかげで気迫もみなぎる。様子は心配げだった和二の目を輝かせ、うん、そうだ、とうなずいた。その体をさっ、と京三の傍らへ翻したなら、京三にならいビシ、と雲太へ指を突きつけ言い放つ。
「そうだうんにい、覚悟するのだっ!」
 前にした雲太の、ぴーひょろ鳴っていた鼻はピタリおさまっていた。眉は不敵と詰まってゆき、やがて決して笑ってはいない目で二人を見下ろす。
「ほほう、これは面白い。なら、どちらからでもかかって来い。いや、両方まとめて投げ捨ててみせようッ」
 共にクワ、と両目を見開いたなら、勝負はもう始まったも同然となっていた。三人はすでに土俵の上と睨み合い、やおらばちばち、火の粉を飛び散らせる。成り行きを見守っていた村の者らの目が、そんな互いの間を忙しく行き来した。
「そらっ! どちらも負けるなっ!」
「よっ、雲の海っ!」
 これは勝負が楽しみだと思ったか、合いの手は上がる。絡め取って雲太は、迷うことなく山の頂を指し示した。
「ようしッ、明日だッ。日があの真上にかかった頃を取り組みと定めるッ」
 土俵だ。塩だ。力水だ。村の者らから上がった声は、一斉だ。舞いと曲芸も控えていたなら、はてさて鳴り物はどこへやったか、道具はどうした。合図にみな一目散と散ってゆく。
 そうして日は暮れ、夕げの支度ができたことをタカが知らせに来るまで、雲太と和二と京三はシコを踏み、相手と見立てた木立へ手を打ちつけ、明日の一番に備えて稽古に励んだ。良い取り組みは真剣勝負あってこそだろう。だからしてその間中、誰も口をきかない。眠る時でさえひと塊にならず、表でおのおの横になった。
 朝げはいつもの粥だ。だが勝負を控えた三人のため、タカはいつもより濃い粥を用意してくれていた。前にして雲太らはタカに感謝の言葉だけを伝え、これまたものも言わずにさっさとたいらげる。
 たくわえた力を確かめ、田畑を前にシコを踏んだ。
 誰が合図するでもなく、連なり祠へ向かい歩く。
 そこで雲太らが目にしたのは、祠のしめ縄に揺れる、稲妻にも似た白いシデだった。前には力水と、清めの塩、そして地面に描かれたものだったが土俵が用意されているのも見て取る。行われる相撲が神事であることを示し、シデは土俵の真ん中にも揺れていた。
 雲太らの気はなお引き締まる。三方へ散ると、き好きに体を整え時間を過ごした。
 そんな土俵前へ、最初に姿を現したのは曲芸を披露すると言っていた年寄りだ。クワと瓶子をたずさえると、子供らをまといつかせ、祠の前へ現れていた。そうして子供らにせがまれるまま土俵を背に、クワを持ち上げてみせる。その先へ瓶子を乗せた。そこからそうっと、手を離す。これが驚いたことに瓶子は倒れない。ちょん、とクワの先に立ったままとなっていた。見て取った子供の間から驚きの声は上がり、雲太らも思わず体を休め振り返る。
 と、年寄りは、クワを振って瓶子をポン、と宙へ放り投げた。
 雲太らの目も子供らの目も瓶子の行方を追いかけ、跳ね上がる。そこで瓶子はクルリ、一回転すると、またもやぴたり、クワの先に立ってみせた。
 おおっ、とどよめきは起こり、手を打ち鳴らして子供らがはしゃぐ。おっつけ現れた大人たちがそこに加われば歓声はなお大きくなり、披露する年寄りの調子も上がって、曲がった腰のままで身振り手振りと、おどけた様子で瓶子を回しに回した。その度にみなはどよめく。年寄りの素っ頓狂な動きに腹を抱えて笑い転げた。
 笑い疲れたころだ。年寄りは瓶子をクワに乗せたまま、囲うみなの輪へ戻りっていった。入れ替わり滑り込むように、手に手に鈴を携えた娘御たちは現れる。衣こそ、そのままであったが、娘たちの束ねた髪には花が挿され、唇には紅がひかれていた。その姿に子供も年寄りもほう、と息をついて見とれてしまう。それは見守る神も同じか、風がさわさわ、土俵の前を吹き抜けていった。
 合図にクメが、携えていた笛へ息を吹き込む。笛は風と共に謡うかのごとく山へ、里へ、細く枯れた音色を響き渡らせた。身にまとわせて娘御たちは、乱れることなくたおやかと舞い始める。姿は、指の先から衣の裾までが流れるようで美しかった。向けられた眼差しの行方もまた儚げで、誰もがそこへ惹きつけられる。断ち切り娘御らが身を切り返せば、鈴はシャン、と鳴って、呼び寄せられた風がまたさわさわ吹き抜けていった。
 曲芸にわいていたのも今は昔。みなその心地よさに黙り込む。ならそれは山も祠も同じことか。気づけば神も人も隔たりはなくなっていた。ひとところへ肩を寄せ合ったかのような光景は、そこに広がる。
 さすれば時は知らぬまに過ぎてゆくものであった。笛の調べはついに果て、誘われ漂っていたこの世と神の世の狭間から、みなはふうっと村へ舞い戻る。感嘆のため息さえもらすと、今ここへと正体を取り戻していった。
 そのころの日は、と見上げたなら、真上をわずかに過ぎたちょうど山の頂あたりで照っている。
 見計らったように娘御たちが、最後まで楚々と舞台を退いていった。
 代わってきびきびとした動作で土俵へ姿を現したのは、軍配代わりの扇を手にした年寄りだ。そこで曲がった腰を目いっぱい伸ばす。広げた扇を前に掲げ、仕切ってそこで土俵を東西に分けた。
「これより祭りの大一番、村相撲の取り組みを、納めて披露いたしまするうっ!」
 そら、きたと、みなの背もピンと伸び上がる。待ってましたの声は飛び、「雲の海」としこ名を呼ぶ声が方々から上がった。なら贔屓は人それぞれだ。「京の山」やら、「ちびの国」と、応援すらも勝負と入り混じった。
 囲まれ聞いて雲太と和二と京三は、チラリ互いを盗み見る。三人が三人共、負ける気などさらさらなかったなら、たちまちプイ、とそっぽうを向いた。手早く衣を解いて履物を脱ぐ。下帯一丁となって意気揚々と、それぞれの土俵際へ向かっていった。

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