くしみたま の巻
40


 さて取り組みは、どう見ても横綱風情の雲太を相手にした、和二と京三の一番づつだ。東が横綱、雲太の側で、西が二番手、京三と和二の側であった。
 辿り着けばそこに付き人代わりの年寄りが控え、前に雲太は握った拳でふん、と息を吐く。両の肩へ力を張り巡らせると、足の具合も確かめ手繰った五本の指で地を掴んだ。なら地は雲太の味方のようだ。倒すまいと雲太の足裏へ吸いつき馴染み、支えて背にまでその気を巡らせてゆく。なお奮い立たせて右、左と、雲太は腕を叩きつけた。鋭い音がぱんぱん、と耳を刺し、勢いに任せて両の頬も叩く。思いがけず入っていた力にまだ寝ぼけていたのかと思えるほど目は冴えわたり、頭を振って紛らせた。
 背にした土俵の向う側では、雲太らへ背を向けた和二と京三が、同じくそれぞれ手を振り、足を上げ、念入りに体をほぐしている。雲太の立てた音を耳にしたなら、負けじと体を叩いて音を鳴り響かせた。
 聞いて雲太は振り返る。
 間合いはちょうどだ。
 土俵越し、そこで互いの目は合った。
 裂いて行司が間へ立つ。
 まず東を向いて、軍配を持ち上げた。
「ひがぁしぃ、ちびのくぅにぃ」
 なら小さな体をしならせ、呼ばれた和二が土俵の中へと躍り上がる。
 反対側へ向きなおった行司は、続いて雲太のしこ名も読み上げた。
「にぃしぃ、くものぉやぁまぁ」
 囲う村の者の間から歓声はわきおこり、その声に背を押されて雲太も土俵の中へ足を踏み入れる。そこで見る和二は、やはり小さかった。この間、捕まえ損ねた猪にも劣る薄っぺらさだ。だがその身は雲太より遥かにすばしっこく、何やら知恵を巡らせた両目が怪しく光を放ってもいる。油断ならならぬ相手だと雲太も見つめて返し、互いは向かい合った土俵で一礼した。
 柏手を打つ。
 爪先立ってまっすぐ腰を落とし、つくばいの姿勢をとると軽くシコを踏んだ。
 返した踵で、再び西と東に分かれる。
 付け人代わりの年寄りが、二人へそれぞれ力水を汲んで渡した。含んで吐き出し、これまた手渡された力紙で口を拭う。返して塩を握った。ぱあっ、と撒けば雲太の前で塩は光り、向かいで和二もえい、と投げつけ土俵を清める。互いの間にある仕切りの線もまた、地を引っ掻き描いたものだ。下帯の締まり具合を確かめながら、静かに歩み寄っていった。
 前において前屈みの姿勢を取る。
 右、左と、雲太はねじ込むように土俵へ拳を置いた。そうして面を上げたなら、真ん中へ目を寄せ睨む和二の顔は、真ん前となる。ならば和二から見て取った雲太も同じだろう。手加減なく狙い定めて、雲太も目を寄せ、和二を睨みつけた。
「両者、見合ってぇっ!」
 飛ぶ、行司の声。
「はけ、よぉいっ!」
 ぐっ、と前へ、重みを乗せた。
 のこった、と同時に軍配は跳ね上がる。早いか雲太は土俵を蹴り出した。だがそれは同じく和二が仕切りから手を離した瞬間だ。雲太の前でパン、と何かは弾ける。虚をつかれて雲太は目を白黒させた。おかげであれほどまで勢いづいていた体の動きもピタリ、止まる。和二の体さえ見失っていた。いかん、と我を取り戻した時にはもう片方の足を抱え上げられた後で、前へ重みが乗っていた体はぐらり、傾いている。打った手で相手を翻弄する猫だましであったか。雲太は和二の巡らせていた考えを思い知らされながら、そのままの格好で数歩、土俵を跳ねた。む、と奥歯へ力を込め、どうにか飛び越えてしまう間際で踏みとどまる。抱え上げられた足へ首をひねっていった。そこであとひと踏ん張り、和二は押出さんと顔を真っ赤にしている。
 行事が鼓舞して、のこった、のこった、と二人の周りを跳ねまわった。囲う村の者らは番狂わせとも取れるこの展開に、手を振り上げてまで盛大な声援を飛ばしている。
 だが和二の力では、それ以上、雲太を外へ押し出すことはかなわない様子だ。土俵間際で踏みとどまれた雲太自身、確信していた。雲太は小枝のような和二の腕へ、手を伸ばす。わわわ、と和二の声は上がったが、ここは勝負だからして手加減なしだ。掴んだその腕を引っ張り上げた。和二が抱え上げる己の足で、逆に和二の両足さえ払いのけ、和二の体を宙吊りにする。それきりぽい、と土俵の外へ放り出した。
 すとんと腰をつけた和二の顔は何が起きたのかが分かっていない様子だ。あっけなくついた勝負に歓声も一時、止むと、代わって笑いは巻き起こっていた。もちろんそこには和二の奮闘を称える声も混じっていたが、和二には聞こえていない。ようやく負けを知って駄々をこね、土俵の外で手足をばたつかせた。雲太と一礼を交わしたのは、付け人代わりの年寄りになだめられてどうにか土俵へ戻ってからのことだ。
 土俵を降りるさい、京三へ向けた和二の目はまことすまなさげだった。その顔を京三は、心配無用と深くうなずきなだめて返している。ままに持ち上げた目で雲太をとらえていた。
 苦もなく取り組みを終えた雲太は、そこで余裕ありげに顔なんぞを拭っている。睨みつけて京三は、両の肩を張った。間をおかずして行事が京三のシコ名を呼ぶ、応じて京三は右、左、と土俵の土を踏みしめた。
「そら、それはなんじゃい?」
 言ったのは、行事だ。わけはない。背に結わえつけていた剣のせいだった。一時の油断から剣を手離し危うい目にあったところなら、たとえ相撲の間だけとはいえ京三には手放すことができず、背負うことにしていたのである。おかげでしばし、行司との間にすったもんだは起きた。雲太が間を取り持つことで、そのままでよい、ということに落ち着く。
 仕切り直して柏手を打った。
 シコを踏んで力水を含む。
 塩をまき、ついに互いは仕切り線の前で額と額を突き合わせた。
 近くで見れば見るほど浅黒いうえ、雲太は手足も太く腹も大きい。比べたなら色も白く、アバラも浮いて掴むとっかかりもない京三の見てくれは、貧相さが目立った。だが見劣りするなどと気にかかっていたのは初めだけだ。そんな体にどん、とぶつかられて吹き飛ばされずにおれるかどうか。京三は少しばかり恐怖を覚える。覚えて心、技、体、を思い起こし、させてなるものか、と雲太へ集中していった。ならば京三の周りから村の者らの姿は抜け落ち、その目は落ち着き払った雲太の出方をうかがうばかりとなる。
「手加減、無用」
 仕切り線の前、押しつけた拳の感触を確かめつつ、京三は雲太へ言った。
「請われたところで願い下げだ」
 雲太が低く言うのを聞いて、なお気持ちをたぎらせる。
 番狂わせがあるのかどうか。囲う声が勢いを増していた。
 間へそうっと軍配は差し込まれる。
 瞬間、はっけよいが空を裂いた。
 のこった、の響きと共に、二人は上背を跳ね上げる。  

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