くしみたま の巻
42


「な、なんと……?」
 見上げていた雲太の口も開いてゆく。
 おさまった風に、村の者らが様子をうかがい顔を上げていた。あんぐり眺めて、それきり流れゆく塩の玉を見送るりつづける。やがて恐れることもないと分かったか、子供らが掴めやしないかと手を伸ばしはしゃぎ出した。だが掴めず塩の玉は、日を透かしては七色に輝き、受けた風に割れそうなほどもたわみながら、山道のその奥の、木立の間へ流れゆく。
 果たしてそれがなんであったのか、当の雲太にさえ説くことは出来なかった。むしろどこかしら光景は夢のようで、最後のひとつが消えてもなお、誰もがその行方を見つめ続ける。
 と、そこでなにかしら影は動いた。
 うねる道山道の向こうだ。
 影はひょこひょこ、姿を現す。おかげでぼんやりしていた村の者の目は、覚めたように瞬きを繰り返した。
 薪を背負った男だ。一人、山道を下ってくる。
「ヒナじゃっ!」
 年寄りが指さし声を上げていた。ならすぐさま違う名を呼んで別の声も上がる。
「おおっ、サヨウもおるぞっ!」
 影はヒナと呼ばれた男の姿あった。もう一人、別の男もまた肩に天秤を担いだまま、山を降りてきくる。いや、その二人だけとは限らなかった。少しばかり驚いたような面持ちで辺りを見回し、男どもは次から次へと姿を現す。
 方々からその名を呼ぶ声は上がっていた。雲太らの回りで一人、また一人と、村の者は駆け出してゆき、働き手が帰って来たぞ、とついに誰ぞは唱えると、みなが、行司さえもが、知った顔を探してわーっ、とそこから駆け出してゆく。
 その通り。山道を降りてくる男どもの姿は絶えなかった。
 出迎える娘御は舞いのためにめかしこんで美しく、大一番に胸躍らせて声を張った誰もの顔は晴れ晴れと明るい。待ちかねていたなら恨み言などこぼすはずもなく、様子は男どもへすっかり村は変わってしまったのだ、と気づかせていた。ならむしろこれまでの無精を詫び、同じだけ許す声は重なる。再会を喜び合う感極まった人の輪はそこここに出来上がっていった。
「そうか……」
 眺めて雲太は呟く。
 高く空の彼方を仰ぎ見た。
「みなの願いは働き手が帰って来ること、ひとつ。祈りはしかと高天原まで運ばれたか……」
 そうっと己が手ひらへ、視線を落としてゆくのであった。


「それもこれも、みなさんの思いが届いたからこそ。 ()(ミタマ)のなせる業。 なおのこと祠を大事に、みなさんでよりいっそう、ここを良い村にしてください」
 翌朝、村の者らは、雲太らの出立を見送りにタカの住まいへ集まっていた。その数は最初、ここを訪れた時に比べると倍ほどもある。そしてなにより違うのは、その中に働き手たちのたくましい顔が数多く混じっていることだった。
 見回し京三は、こうもつけ足す。
「浜の村も同じく安泰となっております。山を越えるには男の足でなければ無理でしょう。戻られたみなさんがまた以前のような行き来をしていただけると、浜の村も活気づくかと思われます。まだまだ苦しい生活をされておるところゆえ、手助けをぜひともお願いしたく、わたしたちから申し上げます」
 すかさず雲太も、身を乗り出す。
「道中、ミノオというわっぱどもが現れたなら、村へ連れ帰ってやってもらいたい。父母を失くした兄弟四人だ。浜の村の事情ゆえ、山賊に紛れて暮らしておる。ぜひとも、ぜひとも、よろしく頼みたい」
 別れ際を思い出せばこそぐっ、と唇をかみしめ、繰り返して頭を下げた。聞き入る頭は承知した、とそこ、ここで揺れ、雲太らへ感謝の印として持ち寄った穀に芋に菜を差し出してゆく。すでに手持ちの穀は食いつぶしてしまいもうなく、雲太らは持ち運べるだけを有難く頂戴し、なくしたナベもまたタカから譲り受けた。
 それにしてもどういうわけか、タカの旦那、シソウだけは戻ってきていない。
「きっと神様もお見逃しになるような、帰って来れない大事なわけがあるに違いないのだと思います」
 タカは言ってみせるが、もしやその身に何か起きているのではと思えばこそ、様子に力はなかった。そんなタカと幾人かの働き手たちが、次に越えねばならぬ山の入口まで雲太らを見送りにきている。
 山はまた深く木立を茂らせると雲太らへ険しい顔を向け、前にして足を止めた雲太らは言ってうなだれたタカへ振り返った。
「確かシソウは、この山の向こうの市へ稼ぎに出たと言っておったな」
 雲太は確かめる。あのまっすぐな瞳は雲太をとらえてそうです、と言い、聞いて雲太はおおいに胸を反り返らせた。
「ようし分かった。わしらはまだその先、出雲へ向かうところだからして、シソウと出会ったなら、必ずタカが帰りを待っておることを伝えると約束しよう」
 ほんとうに、とタカの目が輝く。そうしてはたと思い出し、タカは束ねた髪へ手を伸ばした。髪は何本かの麻ひもでひとつにくくられていたが、そのうちの一本をほどいて雲太へ差し出す。
「でしたら、これをシソウに」
「ほう、これは?」
 それは真ん中に黒く光る石が飾りと結び付けられた麻ひもだ。
「シソウが昔、わたしに作ってくれたものです。渡して下されば、きっとわたしの思いも伝わるでしょう」
 軽く目を伏せタカは説き、で、なければ、などとは考えず再びその目を雲太へ持ち上げた。応えて雲太は麻ヒモを受け取る。懐の深いところへおさめかけて、いや、とそれを己の髪へ結びつけた。
「こちらの方が失くさずにおれるだろう。しからば、しかと預かり受けた」
 タカがクスリと笑い、京三はそんな二人の間へ控えめと割って入る。
「では、そろそろ……」
「本当に、旅の方は良いことのしるしだったのですね。それに不思議な手」
 別れ際、節のない竹はまた清々しく揺れ、鈴を転がしたような声で笑いかけた。
「わしも、初めて知ったところだ」
 雲太もつられて笑い返す。
 京三と和二が、そんな雲太の後ろで顔を見合わせていた。
 おさめてしからば、と頭を下げる。
 タカがどうぞお気をつけて、と見送っていた。働き手たちもまた深く体を折ってみせる。雲太らはそんな村の者らへ、過ごしたひと時へ背を向けた。ならば出会いは別れの始まりとなり、別れはまた出会うための長い道のりとなって、雲太らの前に木立を茂らせ深く伸びる。
 果たして市がたつほどの大きな村で、シソウと顔を合わせることが出来るかどうかは誰にも分からない。だが分け入る足はタカの安らぎを願い、ひいてはこの野が和魂の護り給う地となることを願う。願うまま雲太らは、また奥へ奥へと小道を辿ってゆくのであった。

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