赤い川 の巻
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(イナナ)く。
 蹴上(ケア)がり剥き出された腹が、京三の目へ倍ほどの大きさになって映り込んだ。
 気圧され和二が川へ落ちかけ、京三はそんな和二の肩を抱きとめる。
 今一度、駆けつけたばかりの馬へ顔を上げた。
 宙をかいていた足はちょうど地へついたところだ。前でぶるる、と馬は荒い鼻息を吐き出している。ままに大きなヒヅメで右、左、と行き来する。目で追えば、そのとき雷鳴がごとし声は降った。
「なるほどきさまが川へ毒を放った者か!」
 武士(モノノフ)だ。 鎧帷子(ヨロイカタビラ)を胸に当て、腰に二本、 太刀(タチ)を差し 馬の背から見下ろしていた。そんな鎧帷子や衣へは、馬のヒヅメが跳ね上げた泥がこびりついている。申し訳程度に結った髪もざんばら同然、駆けてきた勢いのままに散っていた。向けられた眼差しのみならず見るからに 猛々(タケダケ)しいいでたちに、しいいでたちに、京三は思わず息をのむ。だが言いがかりは、怯む理由にならぬほどひどく、すぐにも詰めた眉間で京三は口を開いた。
「違います、わたくしどもは川より水を汲んでおっただけですっ!」
 ところがかっ、と両目を見開いた武士は、それ以上の声で京三へ吠え返す。
「嘘を申すな! この川を (ケガ)す者を狩るが、我らの役目。その色が変わったと聞いて駆けつけてみれば、このざまであった。汲んでいたなど嘘八百! わしはきさまが筒を川へ浸しておるのを、この目で見たぞ。きさまが放ったのは毒だ。その身、即刻、里へ連れ帰り、モトバ様へ引き渡す。里で大人しく処罰を受けい!」
 そんな武士の後へ、次から次に似た風貌の武士らは追いつくと、並ぶ馬はたちどころに三人を囲っていった。
「なにをっ! ご覧ください、赤い水は遥か川上より流れてきておりますっ!」
 だからして一人一人へ知らしめて、京三は川へと伸び上がる。しかし武士らが川を確かめることはなく、京三の前で太刀を引き抜いた。この者らをとらえよ。声は上がり、すぐにも「おう」と合いの手は返されて、並ぶ馬上でシャラリ、シャラリ、太刀を引き抜いてゆく。
 雲太がぶはっ、と川から頭を引き抜いたのは、まさにその時であった。
「おいッ、京三ッ。目を開けば川が真っ赤に……」
 呼びかけ、武士らに気づき、すぐさまその目を丸くする。
「な、何事だッ?」
 ならその顔を見た武士らこそ、おおっ、とどよめいた。
「こ、これにおるは、鬼か!」
 仕方ない。今日の雲太はそんな顔つきだ。声は上がり、「そうだ」「おぞましい」と言い合う声は飛んだ。否や、退かせた馬は入り乱れて、辺りはたちまちわあわあ大騒ぎとなる。
「そ、それほどまでか……」
 見回し雲太が呟くも致し方なしだ。
 だがただ一人、先頭に立つ武士だけは逃げずその場に止まっていた。手が手綱を短く握りなおす。怯えるどころか飛びかからんばかり、馬上で背を膨らませた。
「むむ、鬼までおるとは。毒の出どこは、なおさらこやつらで間違いなし!」
「ど、毒だとッ?」
 聞き逃せず雲太は唸る。
 放って武士は、雷鳴がごとしあの一喝を轟かせた。
「たわけどもが、おそるるな! 鬼とてたかが一匹! わしらの手にかかれば赤子の手をひねるようなもの! 鬼は首でもかまいはせん。もろともただちにひっ捕えろ!」
 それはふともすれば、面と向かった鬼より恐ろしい響きであった。逃げ惑っていた武士らはおかげで落ち着きを取り戻し、間髪入れずぬかるな、かかれ、の声に合わせておおう、と 鬨トキの声をあげる。なら千々に乱れていた馬の鼻先は次から次へと雲太らへひるがえり、身を引いてか突き出してか、押し止めて雲太は武士らへ手のひらを向けた。
「まっ、待たれいッ。鬼も何もわしは人だッ。くわえて毒などとッ」
 だがもう間に合わない。馬は蹴上がり、雲太らめがけ飛びかかってゆく。かなわぬ相手を見上げて退けば、ざぶんと雲太の体は川へ転げ落ちた。赤い水は跳ね上がり、目で追い振り返った京三がその名を叫ぶ。
「雲太っ!」
 行方を見届けるまでもなく、馬の足はそんな京三の周りにも並んでいった。蹴りつけられそうになって和二を抱きしめ、京三は小さく身を縮める。その鼻先へ太刀は差しこまれ、なぞって視線を持ち上げれば、見下ろす武士の目と目は合った。
 かたや落ちた川はヒザほどまでの深さしかない。雲太は死にもの狂いで寝返った。水を吸って重くなった体を引き抜き、次から次へ飛び込んでくる馬の水音に追い立てられて、喘ぐように向かいの岸めがけ逃げる。
 だが一歩、二歩と進んだところで、深くえぐれた川底に足を取られ、またもやざぶん、と川へ沈みこんでいた。あがけばそんな雲太の傍らを、馬の細い足は軽々、跳ねて追い抜いてゆき、再びがば、と起き上がった雲太の周りをいともたやすく取り囲んでしまう。
 逃げ場を失い武士らを、馬を、雲太は交互に睨んで身構えた。
 そんな雲太の視界を埋めて、武士らは次から次へ馬の背より川へ飛び降りてくる。しっかと流れに突き立てた足の、雲太へ向けたつま先へ重みを乗せた。早いか、頭の上まで太刀を振りかざす。雲太は見上げて後じさった。だが今や光景に、前も後ろもありはしない。
「待たれいッ。誤解であると言っておろうがッ。斬るな。話せば分か」
 言いかけて、そこでどん、と背を蹴りつけられる。
 息は詰まり、むう、と唸って雲太は伸びた。赤いしぶきは吹き上がり、雲太の体はゆらり、川の底へ沈んでゆく。

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