赤い川 の巻
48


「そなたが知らぬと言うのであれば、教えてやろう。こたびがいかほどであろうと、かつて赤い川の水を食らった者はみな命を落とした」
 辺りはしん、と静まり返り、雲太は結んだ口でモトバの声に耳を傾ける。
「水は田畑へも注がれておったせいで菜も穀も枯れ、この世の終わりと地もまた荒れた。恐れて我らは川と縁を切り、因果を明かすためマソホへ向かった。そこで村と水源を改めさせるよう申し出たがマソホは立ち入らせず、毒は流しておらん、とだけ言う」
 そこでモトバは目頭へ力をこめた。
「隠すわけなど、たかが知れたもの」
 じゃり、と踏みしめられた砂が音を立てる。
「まことを見極めんがため戦は始まった。しかししょせん田畑も水も乏しい我らの負け戦。なにひとつ確かめることができぬまま、口惜しい思いだけが我らに残った。果てた者を思えばこそ、これもまた忘れられるものではない。ならばいまだ何も終わらず。我らが言うているのは、そのことだ。覚えがあろうと、この者らは問うておる」
 そうしてモトバは、じいっと雲太の目をのぞきこむ。絶ち切り、立ち上がった。
「そうじゃっ! モトバ様は川に代わる水脈を探し当てて下さった方じゃ。おかげでわしらはようようここまでこぎつけたが、それもこれもマソホのせいにほかならん。マソホだけは、なにがなんでも許せんのじゃっ!」
「こやつらがしらばっくれるのなら、のうっ! 武士もついとる。みなでもう一度、マソホへ乗り込むぞっ!」
 人垣から声は飛び、途切れることなくまた別の声は上がって周りを誘う。応じていっとき人垣は奮い立ち、向かってモトバの直垂はひるがえった。
「ならぬっ! 忘れたか、毒も戦も同じことっ!」
 挙げられた拳はたちまち行く先を失い、怒りに満ちた声がつぶてとモトバへ飛ぶ。
「ならばまた、引き下がるとでもおっしゃられるのかっ?」
「そいつらは嘘をつきじゃ。マソホへ突きつけたなら、今度こそはっきりするっ!」
 モトバ様、と呼んで許しを請う声はそこへ重なった。
 浴びたモトバの眉間がきつく詰まってゆく。それきりモトバはまぶたを閉じていった。
 どうすべきか。思案は見上げる雲太へも伝わってくる。そこに己が身の行方もかかっていたなら、雲太もまた厳しい面持ちで次に放たれる言葉を、かたずを飲んで待ち続けた。その時間は長く、合間をぬって武士が、おもむろと馬上から雲太の肩を蹴りつけそそのかす。
「そら、きさま、マソホの者であろうが。早う白状せい」
 つんのめって雲太は振り返り、閉じられていモトバのまぶたはその時、持ち上がった。
「連れてマソホへ向かえども、認めぬなら通らぬ話にまた戦。言い分を信じて無罪放免こそ、ここにおる者が許さぬ話」
 流れた瞳が雲太らをとらえる。
「致し方ない。こたびはつぶての的と、晒してみなの気持ちを静めるか……」
 呟いた。
 やおら京三は顔色を青くし、あわわ、と声をもらした和二が、足をばたつかせ縛られたまま後じさる。だが無念、と言ってしまうに雲太らには天照より預かりし命があった。放ってこの言いがかりに屈しておれる身でこそない。
「ならばわしらが……」
 雲太はそのとき絞り出す。
 聞きつたけモトバが首をかしげ、向かって雲太はがば、とその顔を振り上げた。
「みなの探すまことを里へ連れ帰り、この身にかけられた濡れ衣を、見事晴らしてごらんにいれるッ」
 言い分に、人垣も驚いたようだ。馬上で武士も口をすぼめる。
「その時は無罪放免。わしらを野へ放つと約束するかッ?」
「……確かに。であれば、そのほうらがつぶてを受ける理由はない」
 モトバが浅くうなずき返していた。しかと耳にして雲太の口はニンマリ、左右へ伸びてゆく。丸めていた背を伸ばしていった。
「ようし決まったッ。ただちに参る。三人共の縛を解けッ」
 成り行きに、和二と京三がうなずき合う。両肩を張って、今や遅しとその時を待った。だが人垣から逃げるつもりだぞ、と声は飛び、雲太がちがう、と唸って返せばまたもや押し問答となる。
「静まれ! 言うとおり。口約束と逃げられてははなしにならぬ」
 またもや押し止めて、モトバの声は響き渡っていた。
「解くは二人まで!」
 その手を人垣へ振り上げる。
「その二人がまこと毒を放った者を連れて戻れば、この者らは無罪放免。戻らぬ時は毒を放ち逃げたと承知して、ここに留まる者をつぶての的と野に晒す。みなで好きなだけ投げるがよい!」
 聞いた雲太と和二に京三の口が、あんぐり開いていったことはいうまでもない。モトバはすかさず、そんな三人へ振り返った。
「時刻はあさっての夕暮れまで、それ以上は待てぬと心得よ」
 三人は閉ざした口でごくり、息をのむ。


 一晩明ければ、やぶ蚊に咬まれた雲太の顔はずいぶんましになっていた。だが今度は、和二の顔が真っ赤と腫れ上がる番となる。仕方ない。まこと毒を放った者を探して表へ出るにあたり、縄を解くことにしたのは雲太と京三の二人だった。
 留まる者は人質であり、縄で縛られた子供を置いてゆくのは雲太も京三も気が引けたが、よもやの時を考えたならば鈴と社は対がよく、雲太と和二のどちらが行くかと相談した夜は、察して和二もおいらが残ると言ってのけたのだ。
 しかしながら日が昇り、成り行きをこの目でしかと見ておかんとする里の人々に送られ門扉の前まで来たなら、和二の頑張りもそこまでだった。たちまちうぉう、うぉう、力の限りに泣いてむずかり、いやだ、いやだ、おいらも一緒に行く、とすがって首を振りに振る。
「しっかりなさい、和二。大丈夫です。兄らは必ず毒を放った者を連れ、あさっての日暮れまでには戻ります。和二をつぶての的にするようなことこそ致しません」
 おかげで鼻ちょうちんは膨らんで、割れてはまた膨らむを繰り返した。縛られたままだからして涙も拭えぬ和二を前にヒザを折った京三は、先ほどからこうしてずっと、和二へ言い聞かせ続けている。
「よいですか、それまで和二も辛いでしょうが、兄らを信じ、気を強く待っておるのです。そら、男子(オノコ)であればなおのこと、みなの前でみっともない」
 つまんだ袂を和二の頬へちょん、ちょん、あてがった。
 川をさかのぼったところにあるというマソホの村は、人の足で行って帰るだけでも日が暮れてしまうらしい。ゆえに雲太らは武士らから栗毛の馬を二頭、預かり受けている。二人の様子を眺めて雲太は、早速その背へ飛び乗った。手綱を手に、馬上より振り返る。
「ほ、本当に、帰って、ぐ、来るか?」
 睨むような目を向ける和二の問いかけは、むしろ嘘だといわんばかりだ。
「帰ります」
 言う京三の顔はまるきり雲太からでは見えなかったが、声の調子で笑っていることがうかがえた。その笑みに助けられてか、どうにか和二もぐっ、と口を結んでみせる。
「わ、わかった」
 なら頃合いだろう。雲太は先を急がせ京三の名を呼んだ。引いた手綱で、馬の鼻先を川上へ向けなおす。振り返ることなく立ち上がった京三は、最後に二言、三言、和二へ別れを告げた様子だった。なら行く先を見据えて雲太も口添える。
「和二ッ、食うて眠ればあさってなどあっという間だッ。縄が解けた時は、わしが一番のたかい、たかいをしてやるッ。心待ちにしておれッ」
 開けばまた泣きそうなのだから、和二は黙ってうなずき返しただけだった。
 うちにも京三が馬へ飛び乗り、引いた手綱で馬の向きを変える。
 見て取り雲太は、体に大きく弾みをつけた。
「しからば御免ッ」
 蹴り上げる馬の腹。
 首を縮めて馬は嘶き、蹴上がったかと思うとたちまち野原へ身を躍らせる。
 追って京三も短く握った手綱を叩きつけた。はっ、と短く張った声と共に、跳ねた馬の背で立ち上がる。
 そうして駆け出せば、二頭はまさに風となった。心細さにいやだ、いやだ、と泣きじゃくる和二の声を背に、しかしながら振り返ることなくマソホの村へと駆け出してゆくのだった。

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