赤い川 の巻
49


 地を叩き重なるヒヅメの音は重いが早く、馬はそのたびぐい、ぐい、風の中へ鼻先を押し込んでゆく。勢いに地はたわみ、下草が千切れて無用と空へ舞い上がった。
 衣に髪をなびかせた雲太と京三は、そうして走る馬の息へ己の息を合わせる。ただ前だけを睨みつけ、一心不乱に野を駆けた。
 昇りはじめたばかりの日は、そんな雲太らを左より暖めている。
 昨日、川へ流れ込んだ赤い水はそれきりで、さかのぼる雲太らの片側で日を受けると、下草に残る夜露同様、きらきら真白と光り輝いていた。だが浅く照りつけていた日も時と共に真上から差すようになれば、光は眠たげと地を覆い、今度は走り詰めた馬の首に、背に、汗を浮き上がらせゆく。しがみつく雲太らの疲れもまたごまかせるようなものでなくなってきた頃には、もう昼になろうとしていた。
 いくら急くとは言え、ここらで休まねばなるまい。雲太は思う。馬に飲ませる水もまだ青いなら、とうかがい川へ目をやった。たちまち、や、と胸の内で声を上げる。あろうことか赤い水は、またもやひたひた川へ流れ込んでいた。
「雲太、川がっ!」
 気づき京三も声を上げる。なぜゆえ、とはやる気持ちが、川の果てへ二人の目を向けさせた。そこに川は昨日のごとく赤く横たわると、その先をかすかに見え始めた村の中へもぐり込ませている。
「村ですっ! 雲太、村が見えてきましたっ!」
 言う京三に、あれがマソホの村か、と雲太は目を細めた。
 帰りもあるだけに馬を潰してしまうわけにはゆかなかったが、もう着いたも同然で、雲太はまず疲れた己の体へ鞭を入れる。それからこれが最後と、馬の腹を蹴り上げた。
「ゆくぞ、京三ッ」
 馬が喘ぎ、後ろ足へ力を入れなおす。はい、と答えてすかさず京三も馬を駆ったなら、並んだ鼻先はまたもや力強く風へめりこんでいった。
 近づく村には、下の里で見たような門番こそ見あたらない。ただ村の中へ吸い込まれてゆく川べりに、 (ヤグラ)はひとつ、作りつけられていた。番の者だろう。のぞく頭が一直線に川を駆け上がってくる雲太らの方を見ている。なら間違いなしと示して人影は、慌てて木の半鐘(ハンショウ)を打ち鳴らした。コンコンコンと高く乾いた響きはヒヅメの音と混じることなく、雲太らの耳にまで届く。
 そこで雲太は手綱を引き、走り詰めた馬の足を鈍らせた。
 浅瀬を探して川を渡る。
 あいだ馬は何度か頭を振ってぶるる、と鼻を鳴らし、雲太はその背へ久方ぶりに尻を着けた。なら半鐘の音を聞きつけた村の者らは、もう川の左右へと集まっている。なるほどモトバが雲太らの身なりを疑ったはずであった。誰もは見たこともない赤茶けた衣をまとい、川を上って現れたといういきさつからしても、その身なりからしても、雲太らを (シモ)からきた里の者であると厳しい面持ちで待ち構えていた。
 ゆく手はその眼にも塞がれ、雲太はそこで馬を止める。
 京三と二人、半日ぶりに馬の背から降りた。
 馬の息はまだ荒い。鼻筋を撫ででいたわり、雲太は集まった者らへ向きなおった。
「こたびは急なことと驚かれたむね、お察し申し上げるッ。わしは雲太、こちらは弟の京三。旅の途中の者である。わけあって取り急ぎ、この赤い川のことで尋ねたくこちらへ参った。< ruby>(オサ)は、話の通る者は、どちらにおられるか。お目通り願いたいッ」
 結んだ唇で返事を待った。だが互いの間には探るような沈黙が広がるばかりで、返事はない。雲太はあたう人影を探して見回し、その目が行き過ぎたところで、声はひょうひょうと雲太へ投げかけられていた。
「はあ、わしでございますが」
 振り向いたそこに立っていたのは、一人の年寄りだ。組んだ両手を赤茶けた袂へ忍ばせ、背を丸めている。雲太はすぐさまそちらへつま先を向けなおした。ひとつ頭を下げる。
「明日、日が沈むまでに川へ毒を放った者を探して連れ帰ると、里の者と約束をした。でなければつぶての的となるべく、兄弟が里に残されておる。まだ幼子ゆえそのような目には合わせたくない。長には、ぜひとも力添えいただきたく願う」
 とたん集まった者らの間から、ざわめきは漏れた。 (シズ)めて京三も口を開く。
「色が毒と下では騒ぎとなっておりますが、上ではあらずとのこと。ですが村も水源も改めさせずと聞き受けました。そして今もなお赤い水はこうして村より流れ出しております。毒でないとおっしゃられるのであればこそ、まずは色のゆえんを知りたく、わたしたちを村へお通し願いますっ!」
 年寄りが下の里はまた面倒なことを、と呟いた。集まった者らは親方、となり行きを問うて声を上げ、親方と呼ばれた年寄りはうむ、と唸って、シワに囲われた目を片方だけ持ち上げる。
「わらしべが捕まっておると言うのは、本当の話で?」
 雲太は深くゆっくり、アゴを引いた。その隣で京三も、垂れた前の髪を分けて昨日、赤くした額をみなの前へ突き出す。
「それまでは、わたしたちが毒を放った者と罵られ、つぶてを投げつけられておりました」
 目にして村の者らは気の毒気に、と嘆き、恐ろしい輩だ、と里の者らは鬼か、と縮みあがった。年寄りも、片目だったところを両目でとらえたきりだ。うつむいてしまう。
「時が惜しい。身に覚えのない言いがかりであればこそ、今すぐ中を改めさせよッ」
 雲太は詰め寄り、応じたか年寄りのしわがれた声は、やがてうつむいた胸の奥から聞こえてきた。
「そのとおり……」
 伏せていた顔を雲太へ持ち上げる。
「村は毒など流しておらん」
 言い切ってみせた。
「立ち入らせなんだは、里の者が押しかけて来たからこそ」
 やおら漂い始めた雰囲気に、察した村の者らがまさか、と浮き足立ち始める。察して大丈夫だ、と年寄りは目配せし、袂から手を引き抜いた。
「里の者でもなければ、わけありの身とのこと。なに、わしらにやましいところは、ありはせん。言うとおり、里の者へ語れるだけを見せてやろう。そら、ついてきなされ」
 くるり、踵を返す。集まっていた村の者らが、そんな年寄りに道を譲って左右へ退いていった。年寄りはえっちらおっちら、その中を歩き始める。なら、雲太らの目に止まったのは曲がった背へ乗せられた年寄りの手であった。あろうことか両方ともが、衣と同じ赤い色に染まっている。
 気づいて雲太ははっ、と息を飲んでいた。
 京三も目にした様子だ。その手に目を向けたままで動かなくなる。
 だが赤い水が毒であるのかどうか、毒であったとしても流しておるせいでその手が赤いのかどうかは、村の中で見定めることだろう。二人は我を取り戻し、口を閉じた。目と目を合わせてひとつうなずく。馬を引き、年寄りの後についていった。
 さて、川をなぞって歩く年寄りについて見て回った村は、下の里に比べると田畑も小さく、住まいの数も少い。どこか浜の村を思い起こさせる実につつましやかなものであった。だが暮らしぶりにこそ窮しておる様子はなく、行き交う者はみな肌艶もよければ、手入れの行き届いた小ぎれいな住まいがとりわけ雲太らの目を引いた。
 そんな住まいの傍らには、並び置かれた大甕が目立つ。その大甕には、あの赤い色がなすりつけられ、雲太の顔をくもらせた。ほかにも何かを燃した後らしい。掘り下げられたところに灰がうず高く積まれているのも見つける。なぜゆえ、と眉をひそめたなら、捨てられた貝のカラや魚の頭が目に止まった。果たして川で獲ったのだろうか、と毒が流れるという川であればこそ、京三もろとも首をひねる。
 半鐘の音に集まった者らの目つきは厳しかったが、里とは真逆で、こうして年寄りについて歩けば雲太と京三を怪訝な目で見る者は誰一人いない。みな朗らかだ。己が仕事に一生懸命と励んでいる。
 するとそれは川沿いをさかのぼって幾らも歩いた頃だった。
「みな、ご苦労、ご苦労」
 呼びかける年寄りの親しげな声に、雲太らはあちこちみまわしていた視線を引き戻す。川のたもとに作りつけられた台を見つけていた。そこには幾人もの村の者が屈み込んでおり、その誰もが川へ両手をつけ、何かしらを浸している。
 はて、この赤い川で洗い物かと思えば、澄んだ水と赤い色は、そんな村の者らの手元で混じり合っていた。そう、赤い色はまさに浸された何かから、どんどん染み出していたのである。
「これはッ……」
 雲太は目を剥き、京三もぐっ、と奥歯を噛みしめた。
「やはり何かよからぬものをっ!」
 だが年寄りの声に振り返った村の者らは、ここでもみなにこやかだ。年寄りへ代わる代わる頭を下げ、何の、何のと言ってのける。
 と中から一人が、立ち上がった。それは髪を二つに結い分けた桃花のような娘御だ。娘御は、弾けんばかりに浮かべた笑みで年寄りへこう呼びかける。
「親方様、こたびは川の神もご機嫌がよろしい様子。ほら、ご覧ください! いつもより鮮やかに染まってございます!」
 そうして川へ浸されていたそれを、広げてみせた。
 とたん雲太と京三は、あ、と言ったきり、口を閉じることができなくなってしまう。
 濡れて透けた織物は、そこで実に鮮やかな紅色を揺らしていた。  

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