赤い川 の巻
50


 マソホの村は、元来、染め物を生業とする者らの集まりであった。それが村となり、村は染め物を市で売りさばくことで暮らしを立てている。
 色は、あの広い野原のひとところ、夏になると決まって咲く紅の花を絞って取ったものだ、ということであった。大甕の中へ花の汁を満たし、冬のうちに織り上げた麻布を何度も何度も浸して赤く染め上げるらしい。そのさい色が抜けぬよう、積み上げられていた灰が共に漬け込まれるとのことだった。そうして布がたっぷり色を吸ったなら、余分な灰と色を川で洗い流し、干される。美しい染め物はそうして出来上がるのだった。
 親方と呼ばれた年寄り、名前をミサクという、の話を聞きながら、雲太と京三は染めが出来るまでをなぞって歩く。ミサクと共に、村の者らの仕事ぶりを見て回った。中でも漬け終えた布が川で洗われる様は摩訶不思議で、その色の変わりようといえば娘御が言うとおり、川の神のお力添えがあってこそ、としか思えぬほどに鮮やかなものであった。
 だからしてマソホの村の者はとりわけ川を大事にするのだ、とミサクは言う。ゆえに水源には社が建てられ、村の守り神として (マツ)(アガ)められておるのだとも教えた。そんな村に、川へ毒を放つような罰当たりこそおるはずがなく、むしろ川を穢す者こそ村は許すことが出来ん、とさえ語る。
 そもそもマソホの者らは川と良い色の花を求め、数年前にここへ落ち着くことを決めたばかりらしい。下の里と争うことになったのは越してしばらくのことで、向かった水源で川の神への挨拶もすませ、力添えを乞うて社を建てた後のことらしかった。
 それまで下に里があることをマソホは知らない。それは里も同じだったからして、染め物を洗って流した赤い水が里の者を驚かせてしまったことは、まこと申し訳ない話であった、とミサクは振り返っている。しかしながら色の素は、花の汁と少しばかりの灰だ。食らって命を落とすようなことなどありえない、とも断言してみせた。
 同じ話は里の者らへも説いて伝えたらしい。だが怒り狂って村まで押しかけた里の者らだ。信じず、怒りに任せて村の中を、ひいては水源を改めさせよ、と詰め寄ってきたらしい。
 様子は目に浮かぶようで、なるほどそんな者らこそおっかなく、村や社へ通すわけにはゆかんだろうと雲太は唸った。
 くわえてミサクは、川を貴ぶマソホの村の者は川の水を飲む習わしがないと言う。口にするのは次の年の花の鮮やかさを願う秋のソホの祭りのみで、暮らしに使う水は里同様、掘った井戸からくみあげているのとのことだった。だからして手さえ荒れなければ川の水を怪しく思うことはできず、何もかもが手遅れになったのだ、と最後に肩を落とた。
 しかしながら布を染めて働く村の者らは、楽しげだ。見て回った雲太らは、紅色の布が幾本もの艶やかな筋となって、ぱんと干された場所へ辿り着く。
 馬はミサクのはからいで、村の馬と一緒に水を飲ませてもらっていた。染めの仕上がりを眺めて足を止めたミサクは、だからして雲太らもここいらで休んではどうかと、敷かれたムシロへ案内する。
 そこにはすでにひと仕事終えた村の者らが集い、他愛もない話に花を咲かせていた。見慣れぬ格好の雲太らが現れたことで、ちらりちらりとうかがうが、事もなさげにミサクと話す様子からそれ以上、気に止める様子はない。
 雲太は遠慮なく一息入れさせてもらうことにし、上がりこんだムシロの上であぐらをかいた。同じように向かいへ腰を落としてゆくミサクへ問いかける。
「ならば毒を放った者は、里の者でも村の者でもない誰かとなる。どうであろう? わしらはここへ着いたばかり。親方に、そのようなことをしでかす者の心当たりはないか?」
 しかし心当たりがあるならミサクらが捕えているだろうはずだから、答えるのを待たず、こうも続けてみせた。
「なければやはり、水源へ足を運びたいのだが」
 申し出る必要があったのは、上と下がいがみ合うようになってからというもの、水源へ向かう者はあの櫓で厳しく見張られているせいだ。
 と、それまで朗らかに話していた村の者らが口を閉ざして、雲太へと振り返った。雲太は気にせず、ミサクへ語る。
「何も荒らそうなどとは思っておらん。魂を敬うは当然のこと。ただそこも清らかであることをこの目で確かめたなら、わしらの口で見聞きしたことを語ることができる。村の者でもなく、兄弟を預けたわしらが言うのだ。里の者も疑いはしまい。そうして誰も心得ぬ者のしでかした悪さにより、村も里と同じく悔しい思いをしておるのだと知れれば、里も気を静めて誤解をとくやもしれん。毒を放った者を捕えて帰ることができずとも、それでつぶてを投げる気も失せるのではないかと、わしは考えておる。ひいてはこの村のためだ。そのためにも水源へ向かうことを親方より、お許しいただきたい」
 京三もしきりにうなずき返し、勧めてミサクの目をじっと見つめた。だがミサクは何も言おうとしない。ただ赤い手を、再び袂の中へもぐり込ませてゆく。様子にとうとう雲太は痺れを切らせて声を張った。
「どうなのだ、親方ッ。わしらにはわらしべの身がかかっておるのだッ」
 すると言葉は届いたか、すぼまっていたミサクの口がわずかに開く。
「心当たりも、水源へも」
 絞り出すような声がつづっていた。
「どちらも、ならん……」
 とたん、雲太の眉は跳ね上がる。
「どういうことだ?」
 まじまじとミサクを見つめて問い返した。
「どちらとも、とは、水源どころか怪しい者を知っておっても言えんと親方は言っておられるのかッ?」
 なら雲太の声をかいくぐり、後ろから村の者がそっとミサクへ身を乗り出した。
「親方、それは……」
 消え入った言葉尻がなんであるのかなど、もう疑いようがない。
「そうなのですね。親方様は毒を放った者を、ご存じなのですね?」
 京三もまたミサクへ詰め寄る。
「どうぞ、わらしべのためにお教え下さい。それは一体、誰なのですかっ?」
 だがミサクの答えは、甚だ見当はずれだ。
「さて、ようようこれで村の様子は分かったことじゃろう。村と毒にかかわりはありはせん。それは別の者の仕業。そうと里へ伝えて、早うわらしべを自由にしてやるよう言いなされ」
 立ち上がろうと身を揺すった。
 そのときごん、と鈍い音は鳴り響く。
 叩きつけられた雲太の拳だ。ムシロにまっすぐと突き立っていた。
「村の言い分だけを持ち帰っては、里が納得せぬッ。わしは和二に安心して待て、と言った。子を、つぶての的にするつもりなどないッ」
 目は、やぶ蚊に喰われた昨日より鬼とミサクを睨みつけ、村の者がひゃっ、と身を縮めてすっ転ぶ。雲太はそんな村の者へも吠えた。
「何を隠しておるッ。怪しいやからを知っておきながら、なぜ戦になるほどの仕業をしでかした者を、この村は放っておくッ。やはり里の者が疑うように、毒を放ったのはこの村かッ」
 そこではた、乗り出していた身をさげたのは、京三だ。過る思いにその瞳を落ち着きなく揺らしてこう呟いた。
「……それこそ、村の誰かが毒を放ったゆえ、みなでかばっておられるのでは」
 なら声は、ミサクの後ろから投げ込まれる。
「ヤマツはもう、村の者ではありゃせん!」
 雲太と京三の視線はそちらへ飛び、そこで村の者は一人、隣の者にぺしり、頭を叩かれていた。間違いない。思えば得たばかりの名を、二人はミサクへ浴びせかける。
「ヤマツ、ヤマツとやらがやったのですね?」
「そのヤマツをかばってのことかッ」
 ミサクの顔はいっそう渋くなり、言う二人を見比べた。ついに違う、と癇癪を起し、どうにか取り戻した落ち着きで、うって変わって静かに目を閉じてゆく。そこにしばし、唸るような間はあいた。
「水源へ向かうとして、そこで目にしたものは、いったんわしに預けると約束して下さるか」
 ミサクが考え込んで伏せた顔のまま、雲太らへ確かめる。
 ならここはその通りに、と言うしかないだろう。
 聞き遂げミサクは、再び袂から手を引き抜いた。その手がひざ頭を握りしめる。話はヤマツと言う男のことから始められていた。
 このヤマツという男、少し変わった者だったらしい。染めを手伝わず野原の虫をじいっと眺めていたかと思えば雲をぼうっと仰ぎ、兎を追って跳ねたかと思えば馬の足元に座り込んで、日がな一日を過ごすような男であった。
 見かねてある日、村の者らはヤマツを叱りつけた。するとヤマツはぷい、と村を飛び出したきり、水源の社でで一人、住まうようになってしまったらしい。しかしながら社とは神のおわす清められた場所だ。人が過ごしてよいような場所ではなく、村の者らはすぐにもヤマツを連れ戻しに社へ向かった。だがヤマツは、そんな村の者を襲ってまで追い返したということだった。
 そのさい怪我を負った村の者の話を聞けば、襲いかかってきたヤマツは鬼神がごとし。そら恐ろしい光景だったという。
 それからというもの、誰もヤマツのことを語らなくなった。ヤマツはもう村の者ではない。思うようにもなっていった
。あの騒ぎはその後に起きたもののようだった。
「里の者が押し寄せて、初めて川に毒が流れておると知った時は、とっさにヤマツの顔が浮かんで消えなんだ。わ
しらへのあてつけに川を穢したのかと、村の者もみな思うて震え上がった」
 ミサクの丸い背が、そこでなお丸められる。
「じゃがそれもこれも、まだこの目で確かめておらぬこと……。まさかと思えばこそ、確かめるに恐ろしすぎる話……」
 見かねて親方様、と呼ぶ声がミサクの周りで囁かれた。ミサクは大丈夫だと振り返り、いくぶん力を取り戻した口ぶりで立ち消えた話へ戻る。
「わしらはなんもしておらん。ヤマツももう村の者ではない。襲われるやも知れぬ水源へ確かめに向かったとして、万が一、ヤマツのしでかしたことと分かってしまうのであれば、わしらに何の得があろうか。だからしてこのまま里の者へ言い分を通し、すべて忘れようと、みなで心に決めた。……そんなわしらが、臆病者じゃた」
 また消え入りそうな声は呟く。慰めていたはずの村の者らも、その声にしゅん、とうなだれてしまっていた。
「そら、ヤマツなんぞが社に寝泊りしておるから、川の神がお怒りになったんじゃ……」
「いんや、知ってフタをしてきた臆病者のわしらに、天罰が下ったんじゃぁよ」
 誰ぞの言う声が弱々しく響き、いさめる別の声も雲太の耳に届く。
 そんな雲太の拳は、もうムシロから離れていた。抜いた袂の中、懐で深く絡めると、両目を閉じて鼻からも大きな息を何度も吐き続ける。その目が不意に開いた。ギロリ、ミサクを睨みつける。
「もしヤマツという男のせいであれば、いったん話を預かると言うが、親方はどうするつもりでおるのだ?」
 うなだれたままのミサクは、しかしながら迷わなかった。
「それがまことじゃ。これ以上、隠し通すなど、厄介ごとにはわしらも疲れた。村の者らにありのままを伝えてヤマツは送り出そう」
「わしらはそれで助かるが、かばったと知れれば里の者がまたここへ押しかけるやもしれんぞ」
 里の様子は見てきたところだ。おそらく戦になる。雲太の顔つきはなおのこと厳しさを増し、ミサクは繰り返した。
「だからこそ、いったん預かるというた」
 なら備えるつもりでおるということなのか。
 成り行きにおののいた京三が雲太を見上げた。しかしながら雲太は何も言わずミサクを睨み、ミサクは馬を呼んで、みなをここへ集めるよう、背にした者らへ言いつける。そうして、うつむいていた顔を雲太へと持ち上げていった。
「お天道様はあざむけんものよ。いつもわしらを見ておられる。そんなわしらへ、ろそろまことを見届けよと、おっしゃっておられるのだろう。そのためにお二人を村へ連れて来られた。そのとおりじゃ。わしも覚悟がこれで決まった」
 少し疲れたミサクの目の中で、鋭い光が再び息を吹き返そうとしていた。

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