赤い川 の巻
51


 もう日は暮れかけていたが、次に昇れば沈むまでに里へ戻る約束がある。眠っておれる時間などなく、雲太と京三は疲れた馬を村へおき、代わりに村の新しい馬を借り受けた。
 あいだにもミサクは、集めた村の者らへことと次第を話して聞かせている。暗がりゆえ水源の社までの案内を、マニワと名乗る男がかってでてくれもした。
 全てが整えば、ミサクは確かめることをはばかってきたまことをたくす、と強いまなざしを雲太らへ送り、ミサクの話を聞いてからというもの震え上がったままの村の者らへ雲太は、怯えず待たれよ、と言い残す。暗がりに端を消し始めた野原へ向かい、馬の腹を蹴り上げた。
 聞くところによれば目指す水源の社は、村を抜けてさらに続く川をさかのぼることいくばくか。そびえる次の山のふもとに転がる大岩の隙間にあるらしい。そこから水は湧き出ると、岩の中、囲って社は建てられているとのことだった。
 馬の足なら夜明け前には必ず着く。ミサクは言う。信じて雲太らは、ひたすら野原を駆けた。
 だというのに暮れゆく日が地平へ隠れてしまうのは、ことのほか早い。入れ替わり、空を覆って星は広がり、その光を受けた真っ黒な川面が鋭い輝きを放つ。右へ左へくねりながら水源へ案内するかのごとく、雲太らを闇の彼方へ誘った。
 そんな川のおどろおどろしさに恐れをなしたか、気づけばすっかり地は息をひそめている。夜の静けさが雲太らを試し、だからこそ裂いて雲太らは声を張ると、なるに任せて交代で先頭を切りながら一心不乱と野原を駆けた。
 眠りかけたマニワが一度、馬から落ちそうになったなら、休みを取って馬を降り、タカの村で貰い受けたシカ肉の干物を分けて腹へ詰め、再び気をたくわえなおす。また馬へまたがり、水源の社を目指した。
 星のひとところが欠けていることに気づき京三が声を上げたのは、そうしてしばらくも経ってからのことだ。誘われ、雲太もマニワも空を見上げれば、それは山の仕業であった。その影に、星も月も隠れてしまっていることに気づかされる。
 様子にすぐさま、マニワが川の形をよみ、山の入口までもうわずかしかないことを雲太らへ知らせた。なら山は、やがて影ともいえぬ黒く大きな塊となって雲太らの前へ押し迫り、ついに辿り着いたふもとで雲太らは、走り続けた馬の手綱を引く。
 馬は夜でもよく目が利く生き物だ。飛び降りたなら、すぐにもふんふん鼻を鳴らして、見つけた川へ口を浸した。放って休ませ、雲太らは馬を手頃な木立へ結わえつける。まず火を起こさねば、と薪を探して闇に散った。薪は、一晩、過ごすためのものではない。すぐにも数本、抱えてひと所へ戻り、組んで落ち葉をかき集め、打った石で火を移した。
 パチパチ燃え始めた薪が馬を、川を、照らし出す。
 なら川はもう、またいで渡れるほどの細いせせらぎとなって雲太らの目に映った。なぞれば果ては、山の中へ消え、その向こう側をのぞきこみかけ目を引き戻す。
 雲太らはまず、携えて来た竹筒を腰から解いた。その水で手を拭い、口をゆすいで水源の社へ向かうべく身を清める。終えて順に、火のまわった薪を手に取った。
 闇が明かりに蹴散らされ、その逃げ足のような風が辺りを吹き抜けてゆく。そうして不気味な声となり、山は見上げる雲太らの前に立ちはだかった。
 ごくり、とマニワの唾を飲む音が聞こえてくる。しかしながら気丈と胸を反り返らせると、雲太らを水源の社へ誘ってついに歩き始めた。うなずき合って雲太と京三も、その背につく。夜の山へとその身を紛らせた。
 そうして入った山は、入ってすぐのところで右へ折れている。だがマニワはそちらへ向かおうとせず、反対側の茂みへもぐり込んだ。その道らしからぬ道に、迷ってしまうのではないかと雲太らは気をもんだが、見透かしたようにマニワは石を辿ってください、と雲太らへ教える。
 なるほど、見下ろした足元には、踏めば隠れるほどの石が置かれていた。村の者が参道として据えたのだろう。それは生える木立の合間をすり抜けると、山肌を上へ上へ連なり伸びている。これは心強いと導かれるまま、雲太らは踏みしめたどった。思いがけず急な登りであったなら、石を辿るごとに息を切らす。どこにお岩が、流れ出る水源があるのか、と思えばついにマニワは知らせた。
「もうそこです。お岩が見えてまいりました」
 咄嗟に闇へ目を凝らす。雲太と京三は、やがてうっそうと茂る木立の間にザラリ、光る岩肌を見つけ出していた。
 その数は二枚。
 沿わせて目を持ち上げてゆけば、互いに互いを支える格好で天から突き刺されたか、地より生え伸びたもうたか、お岩は茂みを突き抜け反り立っている。
「これはなんとも、凄まじい……」
 見上げて雲太は思わずこぼした。
「水源の社は、あの隙間から入っていくらか奥に」
 慣れた様子でマニワは教え、こうもつけ足す。
「ヤマツを連れ戻しに行った者は、この辺りで酷い目にあっておりしてまして……」
 驚き、雲太と京三が慌てて火を振ったことは、いうまでもない。だが動く者は見当たらず、足元以上、怪しい人影に気を配りながら、お岩の足元までを登ることにする。
 さて、そうして辿り着いたお岩の前は、なんともヒンヤリした場所であった。ひりり、とどこからともなく虫の音も聞こえてくる。探すでもなく足元へ火を近づけたなら、なるほど言うとおり、お岩の隙間からちょろちょろ水は流れ出していた。流れはそのままお岩に沿うと、雲太らが登ってきたのとは別の方向へ向かい、山肌に小さな滝を作ってぱしゃぱしゃ、野へと落ちている。
 飲むことさえ年に一度の尊い水だ。決して川の水を踏むことだけはないように、とマニワは念を押し、雲太と京三は肝に銘じて約束する、とマニワへ返した。
「でしたら……」
 マニワが口元を引き締める。少しばかり身を屈めて、お岩の隙間へ火を差しこんだ。それからゆっくり、中へ身をもぐりこませてゆく。見届け雲太も、その後から京三も、お岩の中へと足を踏み入れていった。
 お岩とお岩の狭間は、当然のことながら真っ暗だ。広さは、二人並んで歩けるほどもあるだろうか。だが片側に水が流れているせいで踏まぬように避けて歩けば、三人は一列にならざるを得ず、雲太と京三はマニワを先頭にお岩を手繰り、奥へ進んだ。
 水音が、囲われたそこで大きく鳴り響いている。繰り出す三人の足音は低く、重く、重なって、盗人のようで後ろめたい思いを雲太らへ抱かせた。
 と、そのとき誰もの目に灯る火は映る。無論、三人の掲げる火ではない。まったく別の明かりだ。その火はひとつ、いや、ふたつ、行く手に浮かび上がった。
 人だ。
「やはりヤマツが、悪さをしおったかぁ……」
 見据えたマニワが絞り出す。
「ここが?」
「水源のお社についたのですね?」
 雲太は目を細めて問いかけ、京三もまた確かめた。
「へえ、そうでございます」
 マニワはうなずき、いっとき止まっていた足を、再び前へ繰り出し始める。
 なら言ううちにも進んだ分、見えていた灯りのひとつは松明であることが分かった。さらにその灯りで、そこがいくらか広々とした行き止まりであることを雲太らへ教える。しめ縄を張って中をマソホの赤い布で覆い隠した社は、そんな行き止まりの岩肌へ半分、埋もれるような格好で、床も高く建てられていた。
 水の流れはその高い床の下へ向かい、伸びている。
 もうひとつの灯りはぼんやり、飲み込んだ社の中で光りを灯していた。

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