赤い川 の巻
56


 帰って来たぞ、と雲太らの頭の上、櫓の見張り番が声を張る。手は忙しなく半鐘を鳴らし、雲太らはその下を風のように駆け抜けた。引いた手綱で走り詰めだった馬の足を止めたなら、寝ずに戦へ備えていたのだろう、鎧代わりと板切れを前後ろにあてがった者らが、一晩かけて削り出したに違いない槍を携え雲太らの周りへ集まってくる。マニワの後ろにヤマツを見つけるなり、帰ってきおった、やはりヤマツのせいか、と口々に囁いた。
 ミサクもまたその中に混じると、しょんぼり戻ってきたヤマツを見つけ、馬上の雲太へ顔を上げる。ままに切り出されては、話が長引きそうでならない。だからして雲太は馬を飛び降り、ヤマツが水源の社へ向かったわけを、そこで荒魂となった水の神がヤマツをそそのかし毒を川へ放ったことを話して聞かせた。休まず懐から兎を取り出し、今では祓い鎮められ兎におさまりし和魂となっておることもまた、しかと説く。
「川の神が毒を……」
 思いにもよらぬなりゆきにミサクの目は丸くなったままだ。食い入るように聞いていた村の者らも、川の神が起こした騒動だと知り、あっけに取られるまま互いの顔を見つめた。ただなかで雲太はひとつ、ミサクへうなずく。
「親方、野原は、いや、この地はいまだこのように明るく広がっておるが、明かせばわしらの知らぬところで大きな祟りにみまわれようとしておる。わしらはそれを知らせんがため、国造りを推し進めておられる御仁へ会いにゆく途中の者だ。この一件、その祟りのひとつで間違いなしと思われる。村も里もヤマツも、その祟りにのまれ、このような憂き目にあっておったというわけだ」
 掲げていた兎をおろした。ならミサクの丸まっていた目は再びシワへ埋もれてゆき、前へヤマツは転がり込む。
「親方、すまなんだぁっ! おいらが、おいらが、しゃんとしておらんかったせいじゃぁ。諦めて、村へ戻ればよかったんじゃぁ」
 額を地面へこすりつけ、馬上の続きとおいおい泣いた。
 様子に、意気込んでいた村の者らも肩を落としてゆく。泣き続けるヤマツを見おろし、ミサクもまた大きな息を吐き出した。マニワだけが、どうにかなだめてヤマツを抱え上げ、任せて半歩、京三が身を乗り出す。
「親方様は一度、この話を預かりたいと申されました。違わずこの件、お預けいたします。どうぞ、わたしたちにご指示を。時が迫っております」
 そのまっすぐな眼にミサクはうむ、と唸って返した。その続きを聞きとげんと、囲う村の者らに、おいおい泣いていたヤマツが顔を上げてゆく。
「まず、わしらに代わり真を見定め戻られたことへ、心より礼を申したい」
 ならミサクは、馬で駆け続け、埃まみれとなった雲太らへ頭を下げた。
「祟りであったとは。ヤマツのしでかしたことでないと分かり、命拾いした心持ちじゃ」
 そうじゃ、そうじゃ、周りもとうなずく。やがてぽつり、ぽつり、と雲太らへ体を倒していった。
「このことは取り急ぎ里へ伝えることとする。これでわらしべも助かるはずじゃ。しかし」
 下げていた頭を上げて、ミサクはそこで言葉を切る。
「そそのかされたとはいえ、ヤマツがかかわっておったことは間違いのない話」
 言い切る様に、雲太は目を細めていた。
「それもこれもを里へ話すことが、まことというものじゃろう」
 やおらおお、と周りからどよめきは上がり、押さえてミサクは声を張る。
「わしも里へ向かう。誰か馬をここへもてっ!」
 それは危ない、と止めてすかさず声が上がった。
「何を言うか。何から何まで、このお二方の世話になるつもりか。村としてけじめをつけるが筋じゃろう。わしがゆかんで、こたびをどうするっ!」
 丸まっていたミサクの背はその時ばかりは伸び上がり、ミサクは手ぶらでは行けんから、とも言って、菜と穀と染め物をみつくろうよう言いわたす。その目をヤマツへ裏返した。
「わかっておろうな。お前も行くんじゃぞ」
 たじろぎヤマツが後じさる。堪えてうぐ、と歯を食いしばり、やがてわずかに引いたアゴで涙交じりとうなずいてみせた。見届けたミサクの声はなお大きく辺りへ響く。
「そらそら、何をぼうっとしておるっ! 早う、早う、用意じゃっ!」
 それはそれでえらいことになった。村の者らは着ていた鎧もどきを脱ぎ捨てると、我先にと出立の準備を整えんがため散ってゆく。
 雲太らは、そんな村で馬を乗り換えた。
 一晩、休み、元気を取り戻した武士の馬にまたがる。
 菜と穀に布を用意するには、まだ少しばかり時間がかかりそうだ。だからしてミサクは整い次第、後を追うから、ヤマツを連れて先に行け、と雲太らを促す。ふまえてマニワもヤマツが心配でならないからと、里まで共に送り届ける役目をかってでた。なら雲太らに待ち、断れるだけの余裕はない。両方へかたじけない、と目配せを送り、またがる馬の鼻先を村の外へ向けなおした。
 と気遣い、走りづめの雲太らへ駆け寄ってきたのは、村の女どもだ。水を差し出し飲んで行け、とすすめる。戦に備えて用意していたものだろう、塩のたっぷり振られたムスビもまた差し出した。雲太らは馬にまたがったまま水をあおり、ムスビを二つ三つ、口の中へ放り込む。飲み込むのを待つことなく、村から飛び出していった。
 見上げた日はもう真上から、じりり、この成り行きを見守っている。
 天照がついておるのだから、日はきっと雲太らが里へ着くまで沈まずに待っていてくれるに違いない。信じて雲太は馬を走らせた。だが、なぞって下るあいだ一度も色を変えなかった川が赤く染まったのは、何をかくそう傾いた日の仕業となる。
 晒され馬も赤く焼けた。地を滑る影が長く伸びる。
 時がないことを知ってか馬も喘ぎ走るが、忍び寄る夕闇の早さにはかなわなかった。日の尻は野原の彼方に触れて滲み、青空は欠片もなくなってしまう。
「雲太っ! 日がもうっ!」
 京三が声を上げていた。
 分かっている。
 答える間さえ惜しく、雲太はただ息を弾ませ馬を駆る。
 すると赤黒く焼けた野原の先だ。かたまり浮かぶ影は現れた。端を暗く変えつつある空に紛れて見えにくい。だが近づくにつれてそれは、あまた人垣が作る影だと雲太の目に飛び込んできた。里の者らだ。武士もいるらしい。とそこで雲太は、細めていた両目を見開く。そんな人垣からいくらか離れたところに一人、ぽつねんと立たされた小さな影は見えていた。和二だ。なら馬に合わせて吐き出す息へ、自ずと力はこもってゆく。そのとき声は、ヒヅメの音にも負けぬほど大く野原へ放たれていた。
「待たれぇいッ」
 だが届かない。二度三度と、雲太は繰り返した。それでも振り返る様子がないなら、四度、五度と叫びに叫んだ。やがて雲太の声ではなく、駆け来る馬のヒヅメに気づいて人垣は振り返る。雲太はその手に、今まさに投げんとかまえられたつぶてや、棒切れを見て取ると、あ、と小さく口を開いた。固く閉じなおせば、なおのこと待ち構える人垣を睨む。睨んで馬を走らせた。
 沈む日が、馬の背より低いところで揺らめいている。馬の足はそんな日が沈み切るのを嫌うように蹴りつけていた。その最後のひと蹴りで、雲太はついに人垣の前へ踊り込む。
「待たれぇいッ」
 勢いにおおっ、と逃げて人垣が後じさっていった。ならいくらか開けたそこへ、すかさず京三の馬とマニワの馬も躍り込む。辺りへもう、と砂煙はと舞い上がり、ぶふう、ぶふう、馬の鼻息もまた荒く重なった。落ち着かせて京三が、すかさず後じさった人垣を呼び集める。
「真を携え、ただ今戻りましたっ。どうぞ、兄の話をお聞きくださいっ!」
 応じてなにを、と人垣は揺れ動いた。
「う、うんにいぃっ! けいにいぃっ!」
 たまらず和二が、二人の名を呼んでいる。
 よう頑張ったぞ、和二ッ。兄らは戻ったからして、もう安心しろッ」
 振り返ることなく雲太は答え、今だおさまらぬ砂埃にかすむ人垣を、かっと開いた目で見回した。
「そのとおりッ。毒を放ったはマソホの者にあらず。川の神が荒ぶっての祟りであった。魂はすでに鎮まり、毒はもう流れんッ。ここに証と、魂をおさめて持ち帰ったッ。しかとその目で、お確かめあれッ」  

トップへ