赤い川 の巻
58


 止まれ、と両手を広げる武士らを、マソホの馬は右左にかわす。向かい合う雲太とモトバ、そして地に伏せたヤマツの前で、引かれた手綱に足を止めた。
 数えた頭は九つか。
 荷はどの馬にもことごとく振り分けられ、またがるマソホの者も負っている。中には加えて、一人で二頭の馬を操り走ってきた者もいる様子だった。疲れているだろうにその足で、次から次と馬から飛び降りる。
 睨んで里の人垣は、数と勢いに一時、身を引いていた。つぶてに棒切れを握りなおせばなお揺れ動いて、人垣はわあっとマソホの者らへ踊りかかってゆく。
「慌てるでないっ!」
 モトバだ。そのときピリリ、張り上げた声は野原へ響き渡っていた。そうしてかざした腕で背中越し、里の者らを押し止める。
 また風が、野を吹き抜けていった。
 あおられモトバのたもとは揺れ、やがてその口はこう開かれる。
「押しかけるばかりであったが、初めて里までおりてこられたか」
「最後におうてからひとつ、冬を越したの」
 ミサクは返し、その息がまだ整っていなかったなら、整うまでを待ってモトバは制していた腕をゆっくり下ろしていった。やがてミサクがモトバへ歩み寄ったなら、双方は対峙する。
 雲太の入るすきなど、もうなかった。
 いまだ地へ貼りついたままヤマツもあわわ、と声をもらすばかりとなっている。
「話しておかねばならんことができた。不躾じゃったが、それもこれも見ての通り、急ぎのことと分かってもらいたい」
 一歩、半歩と後じさった雲太の前で、ミサクは言った。
 なら答えず、答えぬことで答えてモトバは分かった、と示す。静かに先を促した。
「そうまで急ぎ、来ぬ者が来たとは、よほどのこと。さっそくお話いただきたい」
 ならばふい、とミサクは、ヤマツへ目を落とす。
「こやつはもう、話したのか?」
「毒を流すのを手伝ったと」
 言うモトバの顔色は変わらなかった。ただ背で、人垣が途切れ途切れと罵声を投げる。
「しかし自分は村の者ではなく、非はすべて自らにあると悔い、つぶてを投げよと申し出たところ」
 押さえてモトバはそうも続けた。
「しかし、それもこれも祟られての所業と、あの者がわたしへ説いて聞かせたところ」
 ちらり、京三へ視線を向ける。戻してミサクをまっすぐとらえた。受けたミサクはうつむいてしまう。
「そうか。しかし確かに、かつては村の者じゃった」
 声は見えぬところから聞こえており、耳にした雲太はぐぐぐ、と奥歯へ力を込めてゆく。
「その者の仕業と疑い、わしらは恐れて確かめず。そもそもこたびのいさかいを大きくしたのは、こやつのせいでもなんでもない。ほんにわしらが臆病風を吹かせたせいじゃった。この者らが真を確かめに訪れたからこそ、もうこれ以上はならんと心が定まったようなもの」
 そうしてミサクはゆっくりと、伏せていた目をモトバへ持ち上げていった。
「まこと、ふがいない親方であった」
 言い切る口ぶりに、淀みはない。
「そのうえこれほど遅くなろうとは。マソホの親方として、心よりこのたびのことを詫びたい」
 そこでひとつ、息をのんだ様な間は空き、やがてミサクは深く頭を下げていった。ならって村の者らもその背で、頭を垂れる。
 逃げ隠れすることないミサクの様子を、モトバはぐっと引いたアゴで見下ろしていた。背でいきり立っていた人垣も、一部始終をつぶさと目の当たりにする。だが誰も何も言わなかった。望んだ通りマソホは罪を認め、こうして頭を下げているというのにだ。それは実におかしな成り行きであった。そうして誰もが、願い叶ったその後を、そもそも願いは叶うのだということを、まるきり考えていなかったことに気づかされる。気づかされてそのとき、まったくもって闇雲に、憎むことばかりに心奪われていたことを誰もが思い知っていた。
 顛末が握るつぶてに棒切れを投げることさえ忘れさせる。人垣は息をのみ、ただ空で一番星がキラリ、光った。それは尾を引き、流れ星と夜空を去る。
 と、止まったような時を動かしたのは、モトバだ。
「……だが、そのほうらが相手にしておったものこそ、祟りというもの」
 声は穏やかきわまりなく、耳して雲太は我を取り戻す。
「臆病にもなろうもの」
 言うモトバへと、雲太は目を見張っていった。

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