赤い川 の巻
59


「まこと祟りとは恐ろしいもの」
 モトバがミサクへ語りかける。
「毒を食らった者のみならず、我らの心へも弱さを流し、疑わせ、真を見誤らせる。こうしていがみ合うまでに蝕むと、恨みばかりをつのらせていった」
 聞いたミサクの頭がおずおずと、持ち上がっていった。
「祟りを手伝い、毒を放っておったのは憎しみ、怯え、まことを見誤った里の我らも同じこと。だが我らはそうして祟られるがままつぶてを投げ、気を晴らすための的を探しおったのではないのだ」
 そうしてついに、ミサクの両目はモトバをとらえ、だからこそモトバもまた雲太も聞いたあの言葉をミサクへ放つ。
「無念のうちに去った者らを思えばこそ、真を探しておっただけ。鎮まられた魂も今しがた、この目でしかと見届けた。親方……」
 モトバがミサクへ呼びかけていた。
「すべてはまこと、あわれな行き違いであったことよ」
 その首を、痛々しげと振ってみせる。
「……そう、言うてくださるか」
 言うミサクの声は、絞り出すかのようであった。
 なだめてモトバは、ミサクの肩へ手をあてがう。
「戦などと。祟りに惑わされ、おろかなことをしでかしたもの……」
 成り行きが、人垣をざわつかせた。だがモトバが気に留める様子はない。
「知った我らがなすべきは、今ここで和を結び、祟りをこの野から消し去ること。二度と繰り返さぬよう、手厚く魂を祀ること。これら永劫、共に我らがなすべきことと、わたしは今、見極めた。さて、親方はどう思われる」
 モトバの炭で一本、キリリと引いたような眉がミサクをのぞき込んでいる。なら答えるまでもないことと、その顔へ。ミサクも何度もうなずき返していた。
「ただし」
 見届けたモトバは、こうもつけ加える。
「それはまだ我ら二人の話。村と里の者らの気持ちは、まだこれからのこととなろう」
 そうして兎を、ミサクの前へと持ち上げていった。
「まとめるのもまた、我らのつとめ」
 答えてしかと、ミサクもまた兎を受け取ってみせる。
「それこそ魂のお力を借りし、上も下も共に和をもって末永くあらん」
 言えば互いの間から笑みはこぼれ、聞いてヤマツが、またおいおいと泣き声を上げた。ならばなだめてヤマツを立ち上がらせるより先、すませておくべきことはあるだろう。モトバは人垣へ振り返る。
「さあ、何をしておる。誰か、わらしべの縄を解いてやる者はおらぬのかっ!」
 しこうして二日ぶりとなる。和二の縄は解かれていた。自由の身となった和二はたちまち京三へしがみつき、わぁ、わぁ、声を上げて泣きに泣き、京三もよく頑張りました、とその頭をなでつける。なら腕の中、和二の目が雲太をとらえた。交わした約束はそのとき互いの頭を過り、だからして雲太もこい、と身構えてやる。ぱんぱん、ヒザを叩いて和二を呼び寄せた。
 京三の胸から飛び出した和二は、頭から雲太へ突っ込んでゆくような勢いだ。逃さず雲太は、その体をそうら、ですくいあげてやる。一番のたかい、たかいだ。掲げてそのまま、思うがままにくるくる回った。
 振り回された和二が、心から笑う。雲太の頭で星はくるくる回り続け、そんな星も、和二も、見ておればほうっ、と力は抜けて、雲太もわきあがるがまま笑いに笑った。おかげでくるくるは止まらず、そんな二人を素っ頓狂と村と里の者らは見つめ続ける。
 やがて目が回り、足が取られて雲太は野原へ身を投げだした。それでも笑い転げる二人の様子に、ついに村に里の者らも、じんわり頬を緩ませ始める。ならそれは初めてのことであった。ひとつ野原で村も里も分けへだてなく、同じ景色を眺めて笑う。ひとつところで初めて互いは、穏やかな笑みを浮かべ合ったのであった。


 そののち焚かれた火の元、マソホの品々は丁重に里へ献上され、モトバはそれをまこと川へ毒を放った者を連れ帰った褒美として、雲太らへ与えた。だが雲太らにこそそんなに多くは必要なく、山を越える間に食うて失くした分だけを頂戴することにして、いきさつに手柄を横取りされたとつまらなさげな武士らへ残りを譲ることにする。
 よほど褒美が欲しかったのだろう。武士らの機嫌のなおりようは豪快だ。川ではひどいことをしたと謝り、雲太らが出雲へ向かっていることを知ったときは、次に越える山の向こうには市があるからして役にたつだろうと銅の銭を数枚、持たせてくれまでした。大事な馬をくれてやることはできないが、次の山のふもとまでなら馬の背に乗せひとっ走り、送り届けてやろう、とさえもちかける。
 確かに川を越えたその向こう、山まではまだいくらもありそうだった。昨日今日の疲れもあったなら雲太らの足もうまく進みそうにない。雲太らは申し出をありがたく受け入れ、出立を明日の朝と約束した。
 間、ミサクとモトバは、これからのことをいくらか話し合った様子だ。ヤマツもまた、帰ったなら染めに精を出すことをしきりに約束している。だが彫り物の出来は驚くほどで、目にしてミサクも考えを変えたらしい。これは新しい売り物になりそうだ、とヤマツに無理強いすることはなかった。別れ際、雲太らへひと巻の染め物を手渡すと、村の者が心配しているから、と身軽となった馬で村へ帰ってゆく。


 みな、末永く健やかに。
 翌朝、手綱を握る武士らの後ろにまたがり、雲太もまたモトバへ別れを告げた。そのさい上下、仲よく野原を豊かなものに、ともつけ足せば、気負うことなく、しかと承ったとモトバは返す。こたびは疑い申し訳ないことした、とも雲太へ詫びた。だがそれもこれも祟りのせいだ。和二もつぶてを投げられずにすんだなら、雲太は仕方のないことと笑って返すにとめおいている。
 ただ、モトバもミサクもこの野原で尽くす限り、一刻も早く探す神を大国主と引き合わせ、三輪の山へ静まってもらわねば、と強く心に思い浮かべた。でなければ尽くすべくして二人の立つこの野こそ、恨みにのまれてしまいかねない。
 しからば、と武士の挟んだ合いの手は、間合いもちょうどであった。
 腹を蹴り上げられた馬が嘶く。
 間際、京三が魂を大切に、と告げていた。
 和二もすっかり上機嫌だ。蹴上がった別の馬の背で、やー、と手足を振り上げている。
 そうして走り出せば、馬が後ろを振り返ることはなかった。
 雲太らの行く手には今や村と里をつなぐ川が横たわり、その果てに次なる山が、今日の日に照らされて連なっている。見定め雲太は、京三は、そして和二は、天照より分け与えられた命が少し熱くなったように感じていた。だからして結んだ唇へぎゅっ、と力を込める。
 必ずや、成し遂げてみせる。
 そのとき心の声は重なり、三人は高く空を仰ぐのであった。

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