つくし の巻
61


「ちっ」
 一番上の兄神が舌打ちする。
「オオモノヌシのやつめ、考えれば考えるほどむなくそ悪い」
 二番兄が吐き捨てた。
 お忘れであれば一大事であるからして解説を挟めば、オオモヌシとは素戔嗚に大国主命の名をもらう前の、八十神の末っ子であった時の大国主命の名である。
 さておき、次いで三番兄も口を尖らせる。
「ヤカミヒメはどうなった。スセリとなんぞ結婚しやがって。まとめてフラれた我らの立場をどうしてくれる」
 アサクツの先で、転がる石を蹴り上げた。なら飛んだ石は前を歩く男の尻に当り、男は荷を背負ったままで、あひゃと跳ね上がってみせる。しかし目もくれず、後ろについて傍らを通り抜けたのは四番兄であった。
「オオモノヌシのくせにぃっ」
 唸り声を聞いて五番兄も言う。
「そのうえ何を言い出すかと思えば、素戔嗚から芦原の野の国造りを任されたゆえ、兄らも手伝ってくれ、などとは。調子づきおって」
 腕組みに合わせて大きな息を、両の鼻の穴から吹き出した。そうして憤慨する様子を、六番兄が見て取る。
「その通り。我らは兄だぞ。その兄がオオモノヌシの下で市を治めるなどと。オオモノヌシめ、そうして我らを国造りから追い払い、見張るつもりか」
 と最後に、ぎりり、奥歯を鳴らしたのは七番兄であった。
「くそう。三種の神器は、おいらも欲しいと目をつけていたのにぃ」
 大国主命がスセリと駆け落ちするとき、こっそり素戔嗚の元から持ち出した剣や弓矢に琴のことである。なら兄神らは眩いばかりの三種の神器を思い浮かべ、む、と唇を曲げた。惜しんで悔しがり、自ずとその目を細めてゆく。
 さて兄神らはいずれも髪を左右に分けると、 角髪(ツノヅラ)に結い上げていた。に結い上げていた。山を越えたせいで薄汚れた野の者らと違い、衣もさらさらと美しく、首からは勾玉の飾りを幾重もかけている。腰には剣が挿され、いでたちはどう見てもやんごとなき身分そのもの、立派と周りの目を惹きつけていた。
 だからして勤めは、このように通りを歩くだけすむことも多い。みなにその姿を見せて回れば、悪しき者は恐れて去り、そうでない者は安心して品を並べることができるのだった。そして大国主命のためになんぞ働いてやるものか、と思う兄神らにとって、それはこのうえなく楽な勤めともなる。だからして終われば酒など飲んで過ごすことも珍しくないほど、であった。
「しかし一番兄」
 五番兄が呼びかける。
少彦名 命(スクナヒコナノミコト)神避(カムサ)るとは、いいザマではないか。オオモノヌシのやつめ、一人では何もできんと困っておるらしいぞ」
「おやおや、少彦名命に葦で遊ぶと楽しいぞ、と教えたのは何番兄か?」
 六番兄が、面白げと口を挟み、それに二番兄は振り返った。
「何、聞こえの悪いことを言うでない。少彦名命が小さすぎただけ」
 おっつけ四番兄のくすくす笑いが雑踏へ混じった。
「ともあれ」
 割って入ったのは、やり取りのすべてを背で聞いていた一番兄だ。
「少彦名命を失くした今こそ、我らがオオモノヌシに目にもの見せてやる時。なんとかして、ぎゃふんと言わせてやることはできんものか」
 さすが焼き、潰して、大国主命を殺そうと企んだ兄神らである。考えを巡らせる目を真剣そのものと窪ませていった。
 と、声は混み合う通りの傍らから、かけられる。
「畏れ多くも、市を治められる八十神様とお見受けいたします」
 我に返った一番兄が足を止めていた。ならって弟神らも立ち止まる。声の聞こえてきた方へ振り返った。なら、それは人いきれの向こう側だ。目が合うかどうかというところで面を伏せた男の姿は、目に入る。男はそのままかしこまって腰を折り、すかさずさささ、と兄神らの前へ小走りと進み出た。さらに体を小さくすると、またそこで頭を下げる。
「知って往来で呼び止めるなどと、ぶしつけなやつめ」
 見おろし言い放ったのは、一番兄だ。
「は、痴れ者のなすことと、どうぞお許しくださいませ」
 男は言うが、身に着けているものは藍の色も冴えた洗い立ての衣である。髪も綺麗にまとめ上げられてた様子は、行き交う者らと違っていた。
「ならばなにゆえそのような者が我らを止めた」
 見回し二番兄は、厳しい口ぶりで問いかける。
「わたくしは、この先の 大国(ダイコク)の遣いの者にございます。主がどうしても八十神様にお会いしてお話したいことがある、と申しますゆえ、ご案内にと参りました」
 答える男に淀みはなかった。
「大国、だって?」
 言い分にはて、と兄神らは顔を見合わせる。
「市でもっとも品をやり取りしておるのが、大国ではなかったか」
 三番兄が切り返せば、六番兄が割って入った。
「何よりダイコク銭がよいということで、あまた出回っておるというあの大国か」
 あまり勤めに熱心でないのだから、ピンと来るまで時間がかかる。やがてそうだ、そうだ、と兄神らはうなずいた。そして熱心でないのだからして、さて、大国の主とはどんな者であったろうか、と思い巡らせる。しかしどうにも思い出せない。うちにも男は、ささ、と誘って、通りを大国へ向かい歩き始める。
 ならばああだこうだと言っておるより、会った方が早いだろう。しかも市でもっとも羽振りのよい者であるのだから、治める兄神らが思い出せぬというのは勤めの建前も通りそうにない。本来なら大国が兄神らの元へ出向くべきだろうが、このさいだ、仕事ぶりにも目を通しおこうと、兄神らは男の案内する方向へ歩くことにした。
 やがてこちらでございます、と男が足を止めたのは、「大国」と看板を掲げた大屋根の前だ。真下には、奥を隠して赤い布が垂らされている。
 ついぞ中をうかがうように、一番兄がアゴを傾けた。男は始終、兄神らと目を合わそうとはしなかったが、間合いはまるで見えているかのようでならない。ささ、どうぞ、とまた誘って中へと身を滑り込ませた。一番兄がうむ、と答え、先頭を切る。身をもぐりこませたなら兄神らもまた次々と、大国の中へ足を踏み入れていった。
 どうやら品々のやり取りは、そんな兄神らの入った場所ではなく、続く隣の屋根の下で行われているらしい。間に壁はなく、兄神らは作り付けの台を挟んで繰り出されるやり取りを、片目で見ながら通り過ぎる。連れられるがまま屋根の下を、さらに奥へと進んでいった。大屋根を抜けて裏側へ出る。
 おや、と眩しさに目を細め、兄神らは辺りを見回した。そこはどうやら、裏手に設えられた庭だ。ゆえに通りの音は届かず、砂埃さえ吹き込んで来る気配がない。
 そのささやかな広がりの傍らに、小さな池はあった。中でゆらり、鯉は泳ぎ、池の傍らを抜けて小道は、ダイコクでやり取りする品にまつわる地神を祀っているのだろう、建てられた祠の前まで下草を割き伸びている。辿る男はすでにその中程を歩いており、兄神らも気を取りなおしてそぞろに後を追いかけていった。
 と、祠の影だ。積まれた石垣に、何者かが腰かけておるのが見えた。その何者かはさも退屈気に、穀のくずを袂から抜き出してはちびり、ちびり、と鳩へ投げている。案内していた男の足は、そのいくらか手前でぴたり、止まった。かしこまって頭を垂れる。
「遅くなり申し訳ございません。こちらに大国主命の兄神様をお連れいたしました」
 主だ。
 市にこんな者がおっただろうか。思うからこそ兄神らの眉は詰まっていた。なら主の手は止まり、祠の影からゆう、と身を持ち上げる。足が小道へ踏み出され、その身をさらして日の中に立った。
「気にするな。大義であったな、呼ぶまで下がっておれ」
 は、と男が答えて退いてゆく。
 兄神らはその時、目にした主の姿にあっ、と小さくうめき声を上げていた。

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