つくし の巻
62


 ありました、こちらです。
 と、京三が手を振ったのは、雲太らがひとつ目の山を越えてさんざん道に迷ってからのことであった。
 山のふもとまで送り届けてくれた武士は、出雲へ行くならこの山を越えて次の山へ入るおり、三つに分かれた道の真ん中を行けばよい、と教えてくれている。正しい道を選んでおれば先に蛇をあしらった祠が現れるからして、それを目印にすればよいとも雲太らへつけ加えていた。
 だからして雲太らは、分かれ道で真ん中の道を選んで進んだはずであった。だが行けども行けども蛇をあしらった祠は出てこず、足元が登りへ変わってようやく間違ったことに気づかされる。慌てて戻り、残る道を選びなおしてまた進むが、これもまた誤ったようであった。引き返して最後の道をたどってようやく、雲太らは蛇をあしらった祠へ辿り着くことができたのである。
 今までこれほど道に迷うことがなかっただけに、武士が勘違いでもしたのかと雲太らは首をひねったが、その実、ひそかに案内して見守っていた八咫烏が雲太らの空を離れたせいであることは、気づいていない。
 さておき、馬を走らせてきたものの、おかげで旅路はすっかり遅れてしまっていた。しかしながら雲太らには前を向いて歩くしか手立てはなく、くよくよ考える代わりに一生懸命ふたつ目の山を越えることにする。
 そうして辿る山もまた、ずいぶん涼しい山であった。道中、苦労させられたことがあったといえば、剥き出しの岩がごつごつ積み上げられた道が、行く手に立ちふさがったことくらいだろう。おかげで雲太らは両の手足でしがみつくと、ぱらぱら崩れて落ちる石に肝を冷やしながら山を越えてもいた。
 だが頂を越えてしまえば、それもこれも険しさは影をひそめる。穏やかな下りは続き、三人の足取りも軽くなると、雲太が投げる銅銭をちゃりちゃり響かせながら、一路ふもとへ向かうのであった。
「ですがどう考えても、それが役に立つとは思えません」
 舞い上がる銅銭を眺めて言う京三は、武士から譲り受けてからというもの、ずっとこの調子だ。なら投げていた手を止め雲太は、そのうちの一枚をつまんでみせた。
「武士が話すには、これはダイコク銭、とかいうものらしいぞ」
 顔の前へ持ち上げ、真ん中に開いた四角い穴から向こうのぞく。
「市でこれほど役立つものはない、と武士は言っておった。そらナベや火打石のように、わしらのためにおおいに働いてくれるものなのだろう」
 穴から見える景色もまた、山道がたがわず奥へ向かって連なっており、眺めて雲太は銅銭を下ろした。
「本当でしょうか?」
 当てにしていない京三は話半分だ。そんな二人の足元で、飛び跳ねる和二の手がふいに揺らめく。
「おいらにもひとつ貸せ。食って確かめるぞ。甘かったら、うんにいと、けいにいと、おいらとで一枚づつだ」
 確かに銅銭は三枚あった。だがこれが食い物でないことくらいは、雲太にもお見通しだ。
「よせよせ、食ったりなんかしたら腹をこわすぞ」
 いさめて銅銭を遠ざけた。和二は飛び跳ねていた足を止め、ならばと雲太へ問いかける。
「食わないなら、どうするのだ?」
 しかしながらそれこそが雲太にも解せない。雲太は唸って眉をひそめる。次の瞬間にもぱっ、と開いてがはは、と笑った。
「それもこれも、市へ着けば分かることよ。それまでは大事にせんとな」
 呟いて、袂の底へしまいこむ。
 銅銭が見えなくなったせいで和二は、つまらなさげだ。だからして雲太は和二の前へ首を突き出し、誘うことにした。
「どうだ和二、あれこれ考えておったらわしは小便がしたくなったぞ。お前もついて来るか?」
 なら和二が、腹へと手をあてがう。
「え、またなのですか?」
 京三が眉を跳ね上げ、傍らであんばいをはかった和二は、ぷるぷる雲太へ首を振り返した。
「そうか。ならお前たちは先に行っていろ」
 ひと息つく。雲太は山道の脇の茂みへひょい、と身をもぐり込ませた。
 さて、とはいえここは山の中である。 (カワヤ) など探したところであろうはずもなく、だからしてどこですませようがかまいはしなかった。だが落ち着くところを探してしまうのが、人の心というものだろう。どの辺りがよいか。雲太もたがわず山肌を下って歩いた。前に茂みが立ちふさがったなら、この向こうがよさげだ、とがさごそかき分け通り抜ける。
 とたん風は吹き上がっていた。目の前がぐううん、と開けて空は広がる。また鳩の仕業ではなかろうか。思わずにはおれない光景だった。雲がとうとうと流れ、遠く山々は連なっている。その青は深く果てなく、めざして白い岩は一枚、雲太の足元からせり出していた。
「おお……」
 見回した雲太の目も丸くなる。誘われるがまま一歩、一歩、と岩へ足を繰り出していった。中程まで歩いて立ち止まる。あらためぐるり、己が周りを見渡した。
「野は、これほどまでに広いのか……」
 言わずにはおれないほどの光景だ。同時に雲太は、創りたもうた天津神らの力を、今さらのように思い知る。うぶぶ、と身を震わせた。なに、残念ながらこの震えは天津神らの力を畏れてのものではない。そろそろ我慢もこの辺りまで、という合図である。
 だとすれば、これほどの場所はなかった。たどりついたことこそ天のお導きか。ようし、と雲太は岩の上でくくり袴の腰ヒモをほどく。岩の縁に立つと空へ向かい、そうら、そらそら、で小便を放った。
 たちまち小便は緩やかな弧を描いて空へ伸び、日の光を浴びて虹がごとくきらきら、輝く。そんな虹の下に芦原の野は広がると、これが気持ちよくないはずがない。もう得意満面、有頂天だ。雲太は天まで届けと、小便を飛ばした。
 と、その背でがさごそ、茂みは揺れ動く。やっぱりおいらも行く、というのは、これまでにもいくらかあったことで、雲太は和二が思いなおしたのだと思っていた。和二め来たな、と胸の中で呟き、迷わず茂みへ振り返る。
 たちまちうひゃ、と跳ね上ていた。
 小便が散ってまた、うひゃひゃ、と雲太は跳ね踊る。
 なにしろ茂みをかき分け姿を現したのは、見も知らぬ娘御だ。
 だからして、これはえらいところへ現れたものである。とにもかくにも雲太は小便を切り上げにかかった。だがそれこそ思うように止まらない。そして娘御に、叫んで逃げ出す気配はなかった。それどころか岩の上を、まっすぐ雲太へ向かい歩きだす。なおのこと雲太はおうおう、うろたえ、娘御はそんな雲太へ目もくれずその背をそそと通り過ぎていった。
「な……」
 見送るうちに、娘御は岩の先へ立つ。だが歩みはそこでも止まらなかった。空へ向かい足を繰り出す。

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