つくし の巻
65


 日が昇れば、前へ進むもまた雲太らの勤めだろう。
 四人はナベの残りをさらえて朝げをすませる。
 また迷ってしまわぬよう、雲太は道を確かめるべく先に出かけた。京三は薪に残る火種をつぶしてならしにかかり、和二はつくしと川までナベを洗いに向かう。
 昨日、約束したとおり、つくしの手を引き教える和二は、兄らとばかり過ごしていたせいで初めての遊び相手を見つけたかのごとく楽しげだ。つくしもつくしで和二となら気楽に過ごせるらしい。教えられるままに手を動かし笑う様は、眺める京三の頬をようやく緩ませていた。
 そうして二人が洗い終えたナベを片手に戻って来たなら、おっつけ雲太も帰ってくる。
「もうしばらく行けば、村があるようだ。人がおるから、この道で間違いない」
「村? それは市のことですか? 出雲もだいぶ近いはずです」
 荷を担ぎ上げ京三が問い返した。雲太もまた、マソホの赤い布を差した荷をくくりつける和二を手伝う。
「いや、畑が見えておった。ただの村だろう」
 思い当るところを並べて返した。
「早く大国主命の元へ向かわなければ。国が危ういことを知らさねばなりません」
 整った身支度に、京三が胸を張る。
 和二を手伝った雲太も、屈めていた身を起こしていった。
「む、急ごう。行方知れずの神も、ここまでくれば近くでお隠れになっておられるやもしれん。見つかれば話も早い」
 よし、と三人はうなずき合い、見て取ったかのようにつくしが雲太の袂を握る。連れて雲太はこっちだ、と帰って来たばかりの方向を指さした。
 歩き出せば雲太の話したとおりだ。四人の前に村は見えてくる。市とは確かにほど遠い、それはなんともささやかな村であった。うねを耕す者を見かけて三人は、この辺りのことをたずねる。すると市はこの先にあり、出雲はその向こうにそびえる山を越えたところだ、と教えてくれた。
 雲太らはていねいに礼を言い、目指して先を急ぐ。小さな村はますます小さくなり、気づけば背から消えてなくなっていた。伴い人の気配も消えて、辺りは緑で覆われるばかりとなる。
 はずであった。だがこの道に限って、違うようだ。そのころから雲太らの周りには囲う山々から次々に下りてくる人が、目立ち始める。その誰もが驚くほどに大きな荷を担ぎ、馬に牛をひいていた。そんな馬に牛もまた、山のような荷が結わえつけられている。足は一様に、雲太らと同じ方を向いていた。みな市へ向かっているらしい。その数の多さが、ひたすら雲太らを驚かせた。
「す、すごい人です」
 前に後ろに見回した京三も目を丸くしている。
「これでは市から人があふれてしまうのではないか?」
 心配でならず、雲太もこぼした。なら見えぬつくしが音に怯えて、雲太の袂を引く。
「雲太さ、つくしらの行く道は、どうなってしまったのですか?」
 雲太はあらため辺りを眺め、つくしへ様子を教えてやった。
「ずいぶんたくさんの人だ。みな、この先の市へ向かっておるらしい。離れずついてくれば、蹴られることはない。ついてこれるか?」
 案ずれば、つくしは、はい、とだけ答えて返す。自らが繰り出す足へ、気を注ぎ込むようにうつむいていった。よし、それでこそわしの嫁だ、と雲太は讃える。気を確かについてこい、と前を見据えた。
 道は今や、あふれんばかりの人と馬に牛で埋め尽くされている。その果てに、すべてを飲み込み連なる大屋根は、うっすら姿を現していた。 


 その一角、大国裏手のぽっかり開いた場所で、重たげな笑みはまさに兄神らの頬へじんわり、広がってゆく。
「よくぞお誘いくださった。我ら八十神、オオモノヌシにひと泡、吹かせることができるなら、勇んでその話、お引き受けいたそう」
 一番兄が、これまでにないほど瞳を輝かせた。
「さて、時は?」
 隣から二番兄が身を乗り出す。
 大国の主は、話すあいだも祠の傍らに立ったままだ。
「自ずと知れるもの。ただしそう、遠くはない。それまでに国津神らを……」
 言葉は切れ、聞いた一番兄が何度もうなずいてみせた。
「オオモノヌシに芦原の野など、もったいない。野は、我ら八十神、国津神の治めて鎮まる地」
 言い放てば、添えて主も口を開く。
「いずれも共に治めて興すが道理と、心得たり」
 互いに互いの目をのぞき込んだ。浅いものだったが、やがて一番兄が主へ静かに頭を下げてゆく。通りへ向かい、きびすを返した。残る兄神らも次々に面を伏せる。表通りへ戻っていった。
 見送って主は一息つく。
 祠の石垣へ、再び腰を下ろした。
 照りつける日がわずかな地を白く焼きつけている。脇の池で鯉は跳ね、話すあいだどこぞで地面をつついていた鳩が主の元へ、ぱさぱさ戻った。また袂へ手を差し入れると、穀のくずを取り出す。くうくう鳴いてせがむ鳩へ、投げて与えた。ままにこちらへ、と呼びかける。なら池の向こうで影は動き、兄神らをここまで案内してきた男は滑るように主の前へ進み出た。一度たりとも面を上げることなく、主の前で足を止める。すぐさま片ひざをつき、小さくそこにうずくまった。
「明日のくじを見届けてのち、ここを離れる。後のことはダイボウが取り仕切るゆえ、従い大国を切り盛りせよ」
 主は告げ、聞き入れ男はひとつ、体を沈み込ませる。なら主はぱっぱと鳩へ餌をまき、こうも男へ話しかけた。
「そういえばお前との約束も、もうそろそろであったな」
「は」
「欲しいものがあったとか」
 鳩が、少し遠いところに転がった穀のくずを求めて翼をはためかせる。ばさばさいう羽音に重なり、男は言った。
「は、食うだけではなく、大国の力を授かり、尽きぬ富を村へ持ち帰りとうございます」
 ふん、と主はうなずく。
「望みのものはダイボウから受け取るがよい。そのようにわたしからも都合をつけておこう」
 聞いて驚いたのか喜びからか、沈み込んでいた男の体は一時、浮き上がった。沈んでこれまでにないほど深く主へ頭を下げる。
「ありがたき幸せ。村の者らもたいそう喜ぶことと、代わり、わたくしから深く感謝申し上げます」
「なに、そなたは大国へよう尽くしてくれた」
 目もくれず主は讃えた。
「村の者らも救われて当然であろう。遠慮せず、持ち帰るがよい」
 最後の穀を庭へまき切り、払ってぱんぱん、手を叩く。音に鳩が舞い上がっていた。追いかけ主もまた、石垣から立ち上がる。
「勤めを終えたあかつきには、早う戻ってやるがよいぞ。の、シソウ……」
 男へそう、呼びかける。


 おうおう、よかった、よかった。
 烏が胸をなでおろしたのは、大屋根の下へもぐりこんでからというもの兄神らの姿がさっぱり見えなくなってしまったせいである。
 このようなスラムとはいえ、お見かけしたのだ。何も言わず立ち去るのは失礼というものであろう。そのうえこの辺りにおられたのであれば、探す神のことをたずねても損はないはずだと想えてならない。
するとそれは、大屋根の中から飛び出してきたような鳩に驚かされた後のことだった。見下ろす市の外れに、歩く兄神らの姿を再び見つける。
 狙い定めてかあ、と烏は鳴いた。きゅるり、翼をひるがえす。どんどん市を離れてゆく兄神らを追いかけ、市の空を抜け出してゆくのだった。

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