尽きぬ富 の巻
67


「いや、良い物を食った」
 おかげでことのほか気も満ちる。雲太は言ってまた通りを進み、京三もその隣で微笑んだ。
「野にはまだまだ、知らぬものがたくさんあるのですね」
「つくしも、たいそうよい思いをさせていただきました」
 つくしが頭を垂れ、どうしても欲しいとせがんだ貝のカラを両手に和二も、ふんぞり返って三人の先頭を歩く。
「このように素晴らしいものを譲って下さった武士には、心より感謝せねば」
「確かに。わしらがモトバからの褒美を譲ったからして、市と同じくダイコク銭と交換してくれたのであろう。こうも便利であると分かれば、もらい受けた時にもう少し厚く礼を言っておくべきであったな」
 京三は目を伏せ、雲太もぬかったとばかり、心の中でもう一度、礼を述べる。
 と、そんな一行の前に漂い始めたのは、魚の焼ける香ばしい匂いだった。かしこまったのもの束の間、おや、と雲太の眉は跳ね上がる。吸い込み小鼻をひくひく動かせば、辿ったところで和二と京三の目と目は合った。ままにひとつうん、とうなずく。そこから先、話すことはなにもなかった。すたすた通りを渡ってゆく。なにしろダイコク銭はまだあるのだから心配に及ばない。つくしを引き連れまっすぐに、三人は匂いを追いかけ通りを進んでいった。
 それからというもの、最初ここへ足を踏み入れた時の弱気はどこへやら。雲太らはムシロの上をのぞき込み、大屋根の下へ身をもぐり込ませ、八百万の神がもたらす恵みの品々を巡りに巡る。さなか、どうしても味わってみたいものがあればつくしを入れて相談し、ダイコク銭と交換した。ただそれだけで味わったことのないものを口にし、触れて、嗅いで、眺めて、雲太らは心より満足する。
 市の者はそんな雲太らにみな愛想がよく、優しかった。囲まれて、時もたちどころに過ぎ去ってゆく。
 おかげで何時であるのかに気づかされたのは、大屋根へ隠れるほども傾いたその日に、袂を赤く染められてからであだった。まったくもって足が進んでいないこともさることながら、今夜の寝床さえ決めておらぬありさまなのだから、雲太が慌てふためいたことは言うまでもない。らしからずうつつを抜かした京三もまた、髪を逆立て悲鳴を上げた。
 すっかり人足の失せた通りを見回し、落ち着くところを探して目を走らせる。だが通りの両脇は屋根に塞がれると、休めそうなところは全て昼間、ムシロを広げておった者が陣取っていた。雲太らが横になれそうな所はもうなく、見限り、市を出ましょう、京三が鋭い眼差しで促す。迷わず雲太もうなずき返したなら、つくしを袖に、足早やと通りを歩いた。
 だが大きな市の通りは果てが見えない、人足の途絶えたその空は、待たず冷たげな色へ次から次へ覆われてゆく。なおさらこれはいかん、と雲太の足は早まった。そこで手助けしたのはほかでもない、これまた大いに役立ってきた銅銭であった。雲太は大屋根の前、油に灯した明かりの前で、おやすみは (ヨロズ)こちらへ、と呼びかける前掛け姿の男を見つける。
 さて、頼み込んでも、呼び集めておる者など見たことがないのだから、おっかなびっくりだ。雲太は男にわけを聞く。なら男は品と引き換えに屋根を貸しておるのだ、と説いて聞かせ、これを逃す手はあるまい、雲太はうなずいた。何より、明日にはここを出てしまうのだから、かまいはしない。残る銅銭をすべて渡し、雲太は夜を過す段取りをつけることにする。
 ところが屋根を借りただけのはずが、案内された場所でたいそうていねいに足を拭われていた。土座どころか高く設えられた床板へ通され、腰を下ろすと共に、昼間、市で目にした肉に魚に菜に汁が、盛られた白い穀が、次から次へ運び込まれて来る。驚いて何事かとたずねたなら、運び入れた女は微笑み、みなもらい受けた銅銭のうちにございます、と雲太らへ教えた。
「屋根を借りておるうえに、このようなことまでしていただけるの、ですか……」
 女は去り、御馳走を前にして京三が半ば腰を抜かして呟く。
「……ダ、ダイコク銭とは、まったくもってすごいものだな」
 雲太もどうにかうなずき返し、その傍らで和二がそろりそろり、と皿へ手を伸ばしていった。盛られた飴色の大根をぱくり、頬張る。とたんその背を伸び上がらせた。両手で頬を押さえつけると、それきりぎゅう、と持ち上げてみせた。
「……ぅお、おいらのほっぺが、おちてしまいそうなんだぞ」
 様子にぷ、と吹き出したのは、見て取った雲太に京三に、耳にしたつくしだ。その滑稽な面構えと大げさな口ぶりに、誰もが我を取り戻していた。
「まったく和二は食いしん坊ですからね」
 投げ出していた足をおさめて京三が、いさめる。
「きっと大きくなられますこと」
 つくしも口元へ手をあてがい、笑って添えた。
「ようし、見ておっても仕方がない。わしらもありがたく食わせてもらうことにするか」
 呼びかけ雲太が皿へ両手を合わせる。拾い上げた箸をつくしへ握らせ、その先を適当なものへ導いてやってから、おっつけ自身も目についたものを口へ放り込んだ。
 驚かされていた。
 なんの、和二の言うとおりである。これが飛び抜けて美味い。向かいで箸をくわえた京三も同じ様子だ。目を丸くしたまま固まっていた。迷いながらも口にして、つくしもまた、ぽ、と頬を桜色に染める。それもこれもが、武士のおかげであった。いや、もらい受けた銅銭のおかげとでもいうべきか。とにかくこの御馳走もそのうちだというのなら、遠慮などしておれる美味さでこそない。雲太らは目が覚めたように食らいに食らった。その美味さに笑いに笑った。食うや食わぬの旅路を埋めて、続いた旅の疲れを癒して、体の隅から隅までを心地よさで満たしてゆくのだった。
 やがて腹は膨れ、笑い過ぎた体も疲れる。夜も更けたなら、まぶたはゆるりと落ちてきて、見計らったように現れた女どもが空いた皿をさげていった。代わりに、お眠りになるさいにお使いください、と雲太らへ柔らかい布を置いてゆく。
 何だろうと広げて雲太らは、うならされた。これまたよい香りのする衣だ。もう何も言うことはない。くるまり包まれ雲太らは、驚きと心地よさのままに一日を終えた。
 その夢見心地の夢の中で、銅銭はしゃらりしゃらり、舞い飛ぶと、声はどこからともなく聞こえてくる。
 あなめでたや、ダイコク銭。
 あっぱれ、おみごと、ダイコク銭。
 光は差して賑わう市の通りを照らし、雲太らを遠く夢の彼方まで誘うのであった。

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