尽きぬ富 の巻
71


 さて、厠へ行けば簡単なもので、もうすっかり和二は元気になっていた。だが少々時間を取りすぎてしまった様子だ。和二の手を引き京三が戻れば、当の雲太はそこからすっかり姿を消していた。
 いきさつをつくしは話し、聞いて京三はたちまち詫びる。
「ああ、まったく。落ち着きのない兄でございます」
「いいえ。つくしでもお役に立てて、うれしゅうございます」
 微笑み返すつくしは、京三にとってありがたい。助けられて気を取り直し、京三は急ぎ辺りを見回した。
「いくらなんでもまだ戻らぬとは、油を売っておるに違いありません。いざ、兄を探しにまいります」
 がってん、と胸を張る和二は調子がよく、腹が痛かったことも忘れてさっそく、つくしの手を取る。
「おいらがいるから安心しろ」
 まあ頼もしい、とつくしは返し、見えていないのだからそこから先はあてずっぽうだ。運を天に任せて京三は、人混みの中へ足を繰り出した。
 右の大屋根、左の大屋根。向こうのムシロに、こちらのムシロ。荷と荷の間をかいくぐり、馬を避け、牛を回り込んで通りを進む。ところが選んだ方向を誤ってしまったのか、通りの端まで行き当たったところで雲太を見つけることはできなかった。もしやすれ違いになったのでは、とあと戻ってもみたが、これまた姿は見当たらない。
 日はいつしか真上にまで昇り、有様は神隠しにでもあってしまったようで、京三らを気味悪くさせていた。加えて人の多さが心細くさせ、いやいや、と京三は横に頭を振る。
 雲太がいない今、和二とつくしを率いるのは己が役目だ。気を奮い立たせ、行き交う人をつかまえた。雲太のことなど知らない、とあしらわれようともくじけず手当たり次第に、話を聞く。するとそれはムシロを広げた番の者にたずねた時のことであった。
「ああ、のぞいとった人かいのう」
「ご存じでしたかっ!」
 ようやく聞けた話に京三は伸び上がる。
「向こうの大国の大屋根へ、もぐりこんでいきなさったかな。なんせタカラくじで大騒ぎしとった時じゃ」
 番の者は指差し教え、行って聞いてみなされ、と促してくれた。三人は声をそろえて礼を言い、久方ぶりの笑みを浮かべて足取りも軽く向かう。やがて混み合う人と舞い上がる砂埃の向こうに看板を乗せ、赤い布を垂らす大屋根が浮かび上がったなら、見えた、と和二が指さした。するとその赤い布を払って中へ潜り込もうとする者は二人、京三らの前を横切ってゆく。中でも一人は玉虫色の衣を羽織り、目に鮮やかだ。気を取られて見過ごしかけ、それが誰であるかに気づいて京三は驚きの声を上げていた。
「雲太っ!」
 見間違いでなかったのだから、布をくぐりかけていた、その足も止まる。
「なんだ、京三か」
 振り返り、間違いなく雲太は言っていた。だがその言い草こそ、許せはしない。たちどころに京三の細い眉は吊り上がる。雲太へたまらず声を荒立てていた。
「なんだ、ではございませんっ! つくし殿を一人、立たせておいて、一体、今まで何をしておいでだったのですか。ずいぶん探し回ったのですよっ!」
 しかしながら雲太は意に介さない。
「おお、それはそれはご苦労だったな」
 まるで他人事と言ってのけた。
 おかげで吊り上がったばかりの京三の眉は、たちどころにぐぐぐと、顔の真ん中へ寄ってゆく。
そうして見定めたのは、雲太の様子であった。
「まさか、目を離しておるすきにまた飲まれたのではないでしょうね」
 まったくもって性懲りもない。両の握り拳も固いまま、怒りをたずさえ京三は、雲太へ一直線と足を繰り出していった。
「これが兄かと思えば情けない。さあ、もう昼を過ぎてしまいました。じゅうぶんに飲まれたでしょう。出雲はすぐそこです。急ぎ、出立いたしま」
 とそれは、連れ戻そうと京三が手を伸ばした時だ。
 ぱしり、鋭い音は鳴り響く。
 伸ばしたはずの京三の手は、跳ね上げられると宙を舞っていた。
 払った雲太の大声は、やおら通りに大きく響き渡る。
「わしは行かんぞッ」
 たとえ酔ったとしても、手を上げることなどなかった雲太だ。浴びせられて京三は、その目を大きく見開いていた。目の当たりにした和二も、鼻の穴を目ほど膨らませている。つくしさえ、眉間へ似合わぬ険しさをはりつけ身を固くしていた。
「銅銭が万枚だぞッ。すべて受け取るまで、わしはどこへも行かんと決めたのだッ」
 雲太は、その誰もへ吠える。
「な、何を? 雲太は一体、何のことを言っておられるの、ですか?」
 聞かされた京三が、ぎこちなく問うていた。
 ならふたりの間へ、雲太と共に大屋根へもぐり込みかけていたもう一人の男は割ってい入る。
「はいはい。こちらは今しがた、大国タカラくじの大当たりを出されたのでございます。ダイコク銭万枚の、タカラ者になられたのでございます」
 言うものだから、えっ、と和二につくしの身は伸びた。京三も、あんぐり口を開いてしばし言葉を失う。
「これより当たり銅銭を授かりに参るところ」
「なっ、ならっ! 早く万枚、お受け取りください。いただけましたら、ただちに出雲へ向かいますっ!」
 男は両手をすり合わせ、様子は京三を我に返らせた。だというのに、返された雲太の言葉はこうだ。
「ばかを言うな」
「ばっ、ばかではありませんっ!」
 なら、まあ、まあ、とまたもや付き添う男は間へ入る。
「おっしゃるとおりでございますよ。万枚を一度にお渡しするとなれば、牛に引かせるほどもの銅銭。到底、持ち運べたものではございません。ですから当り銅銭のお渡しは毎日、五枚ずつと決めさせていただいております」
 あしからず、で頭を垂れた。
 見つめる京三の瞳はそこで、わなわな震えだす。
「そ、それでは、いつここを出るおつもりでおられるのですか……」
「うむ。もう一生、出んかもしれんな」
 気にも留めない雲太は、空を仰ぐと答えていた。
 聞かされ、あああ、と声をもらしたのは京三だ。見て取ったかのように雲太はその時、空から目を引き戻す。
「のう、京三」
 呼びかける響きはどこか哀れむようで、京三は咄嗟にその身を強張らせていた。
「だいたい出雲へなんぞ行ってどうする。何か美味い物でも食えるのか? 楽しいことでも待っておるのか? なんの、わしらはいつもひいひい言っておっただけではないか。そこを毎日、五枚だぞ。五枚あればどれほど食えて、どれほど楽しい思いができると思う。放って離れるやつはばかだ。いただけるうちは、残るのが当然のことえはないか」
 言い分に、京三の開いていた口は閉じていた。それどころかぎゅう、と噛みしめ、次の瞬間、声も大と張り上げる。
「当然ではありませんっ! 雲太、一体、あなたはどうされてしまったのですかっ! わたしたちには大事な命が……」
 だがかぶせられた雲太のそれは、京三の何倍も大きいものだった。
「うるさいッ。わしの銅銭だぞ。わしがすべてもらい受けて、どこが悪いッ」
 眼差しが、荒魂を前にした時と同じに京三を睨んでいた。食らって京三は後じさり、周りで何ごとか、と人が振り返ってゆく。
 向けられた視線に雲太がふん、と鼻を鳴らしてみせていた。そうして剥き出していた目を引っ込めたなら、そこには前にもまして白い顔が取り戻されてゆく。
「なんの、それほどまでに行きたいというのなら、お前たちだけで行ってくればよいではないか」
 言いながら、探った袂からそれを抜き出す。
「そら」
 ちゃりん。
 音は鳴って、京三の足元へ銅銭は転がっていた。
「旅の駄賃だ。支度に使え」
 促し雲太は、付き添いの男へ振り返る。
「ようし、残りはどこだ」
 誘ってがはは、と笑い声を上げた。
 だが京三は見向きもしない。まるで屍でも前にしたかのように、投げ出された銅銭を見下ろし続ける。前で雲太が身をひるがえし、赤い布の向こうへ消えようとも、追いかけ傍らからつくしが駆け出そうとも、和二がその名を叫び、ダイコク銭が落ちているぞと行き交う者らが囁きあおうとも、顔を上げようとはしなかった。ただその手を、投げ捨てられた銅銭へ伸ばす。触れかけて一度、指を縮め、開いて地から剥がすように拾い上げた。そうして強く握り絞めたなら、向けた足先で雲太と行く先を分かつ。傾ぐ体のままに通りを果てへ、駆け出してゆくのだった。

トップへ