尽きぬ富 の巻
72


「いやはや、面目ない」
 大屋根の下、伸びる渡り廊下を歩きながら雲太は、大国の者へ頭を下げる。
 大国を取り仕切り、当たり銅銭を手渡す男、ダイボウは、そうして雲太らの目指す廊下の先、離れにおわすとのことであった。
 なんの、なんの、かまわぬことです、と大国の者はあしらうと、雲太を連れて廊下を渡り、辿り着いた離れの前でその足を止める。二人は満を持してダイボウに目通った。
 さて、このダイボウと言う男、山吹色の直垂をまとい、烏帽子をちょこんと頭に乗せた、実によく肥えた福々しい男であった。紺に白抜きで「大国」と書かれた布を奥の壁に吊り下げ座すと、受け取りに参上したことを告げた雲太らへ満面の笑みで何度もうなずき返している。やおら雲太らへ背を向けたかと思えばちらり、めくり上げた布の奥へ頭を突っ込み、どうやらそこには扉が隠されておった様子だ、開いてダイボウは、中から約束通りと銅銭を掴み出してみせた。
 じゃりじゃり、手の中に落とされる五枚の銅銭は、ことのほか重く感じられる。雲太はその一枚、一枚に目を輝かせ、大国の者はそんな雲太へ「秘蔵の蔵よりダイコク銭を取り出せるのは、お手に尽きぬ力を宿すダイボウ様のみ。あなた様は今、銅銭を市へ行き渡らせた銅銭の畑、その手業をご覧になられておるのですよ」と囁きかけた。
 おかげで雲太は、はっと気づかされることとなる。なるほどシソウが村へ持ち帰ろうとしておったのはこのことか、と微笑むダイボウを見つめ返した。
 ならシソウの言うとおりであろう。ダイボウに目通ったからこそ、雲太はシソウの目論見の大きさを知る。明日もうかがうことを約束し、大国の者にすすめられるがまま、銅銭で大当たり祝いの宴を整えていった。さすればあまた品の持ち込まれる大国の大屋根だ。あっという間に昨日の夕げよりも豪勢と宴は整う。その苦もない様子に、あの手業を持ち帰れば村もさぞ安泰であろう、と雲太は思い巡らせた。ずらり並んだ酒を満たした瓶子を見回し、このようにみなして楽しく暮らせるのだ、と想像する。
 シソウというやつは途方もないことを考える男だ。
 うなずき雲太は、酒の揺れるカワラケをあおった。その右から左から、女どもは酒を注いでゆく。ついでにわたしも大当たりを出してみたいわ、などと言ったなら、雲太はそんな女どもへ手業をまねて小さくなった釣り銭を、そうら、そうら、でばらまいてやった。女どもは先を争い袂へ銅銭を落とし、歌い踊って機嫌よく雲太をもてなす。その美しさに見とれて呆け、雲太は天へも昇る気持ちでがはは、と笑った。そうして酔いが回れば衣を脱ぎ捨てるのはいつものことで、雲太も心置きなく裸踊りを披露する。様子に、女どもはきゃあきゃあ騒ぎ、そのけたたましさに銅銭を逃してなるものか、と雲太は念じた。
 今や、その目が見えておらぬのは雲太も同じだ。
 傍らで、何をや堪えてつくしだけが、じいっと座り続けていた。


「けぇにぃいっ!」
 おかげで和二は一人ぼっちとなっている。取り残されて声を上げ、ともかく京三の背を追いかけ走った。その頭がふらり、大屋根の切れ目へもぐり込んだなら、たがわず同じ切れ目へ身を飛び込ませる。そんな大屋根と大屋根の間はどうやって京三が通り抜けたのか、と思うほどに狭い。和二は体をすりつけ奥へと進んだ。どうにか外へ躍り出る。
 とたん目の前に野原は広がった。遠く山はそびえ、品々に気を取られて下ばかり向いていた目に久方ぶりの雲が映る。ようやく息ができるようになった気がして和二は胸いっぱい、そんな空気を吸い込んだ。
 そうして見上げた空はまだ青い。だが日はもう真上を通り過ぎていて、和二へ日暮れを予感させていた。気にかける様子もなく京三はその下を、背丈に伸びた葦の茂みへ向かっている。
 見失っては大変だ。和二は再び跳ねて駆け出した。追いかける背が茂みの中へ姿を消したなら、和二も前で前で立ち止まる。右、左、生える葦へ手をかけ中へ肩を押し込んだ。思いのほか混んでいたなら、かき分けふん、ふん、息を弾ませる。
 やがてさらさら、茂みの向こうから水音は聞こえていた。
 辿るようにかき分けた葦の隙間についに、京三の背はのぞく。そこで座り込んだ京三は、川を前に立てたヒザの間へ顔を埋めていた。
 丸いいその背へ、お、と和二は伸び上がる。見定め、また両手へ力を込めなおした。最後、葦を押しのけて、ついに京三の後ろに立つ。
 ふう、と大きく息を吐いた。
 ままに黙ったまま、京三の様子をうかがう。
 気づいているだろうに、京三は見向きもしない。
 だからして和二は、隣へ腰を下ろすことにした。
 真似ていそいそ、ヒザを抱える。
「うんには、おかしいのだ」
 言った。
「出雲へ行くのは、おいらたちの大事な命なんだぞ。あんなことを言うのは、きっと酒を飲んでいるからなのだ。いっつも見ているから、おいらにはわかるのだ。そんなうんにいの尻は、おいらがぺんぺんしてやるのだ。な、けいにい。今すぐ、うんにいを連れ戻しにゆくぞ」
 自信満々、呼びかけた。
 だが京三は動かない。
「どうした、けいにい?」
 和二は首を傾げる。もしや、と京三へ尋ねることにした。
「けいにも、腹が痛いのか?」
 けれど京三は、それにもうんともすんとも返してこなかった。弱って和二は眉をへこませる。
「なあ、けいにい。つくしはついていってしまったぞ。おいたらちはいいのか? それに、もう日が暮れてしまうぞ。いつまでここにいるのだ? また屋根を借りるのか? ぺんぺんは明日でいいのか?」
 これにも京三は何も答えなかった。まさか眠っておるのではなかろうか。思い、和二はそうっと京三の顔をのぞき込む。
 どきん。
 胸が鳴るのを聞いていた。
 銅銭を握りしめた京三は、そこで声を殺して泣いている。
これまで何があろうと大丈夫です、と和二を励まし、雲太をいさめてきた京三だった。その京三が泣いているなどと、これはとてつもなく大変なことになっているに違いない。初めて和二は、強く思い知る。一体これからどうなってしまうのか。和二の胸にたちまち心細さはこみ上げていた。跳ね返すに和二はまだ小さく、見る間に両目へ涙は溜まりだす。
 と見つめる先で、京三がヒザの間からわずか額を浮き上がらせる。
「……わたしたちは食うために、歩いておったのではありません」
 それは絞り出すような声だった。
「……楽しむために、ひもじい思いを堪えておったのでも、ありません」
 その声は怒りに震えてもいた。 
「それもこれも野が……、野が、ひもじい思いをすることもなく、みなが楽しく暮せるようにと願えばこそっ!」
 などと怒鳴るものだから、当てられついに和二はわぁっ、と泣きだす。
 聞かされごり、と京三が奥歯を噛みしめていた。だが堪えていたのもそこまでとなる。吹き出すように嗚咽はもれていた。それきり声を上げると京三も泣く。悔しくて情けなくて、おいおい泣いた。心細くて怖くて、ぶえぶえ、びいびい、和二の声はそこに重なる。なだめる者がいないのだから、仕方ない。二人して川べりで、涙が果てるまでぶえぶえ、びいびい、泣き続けた。
 なでてさわさわ、風が渡る。そのたび揺れる葦の先は、少しづつ空の色を暗く染め変えると、二人へ優しく夜を引き入れていった。
 果たしてどれほど経った頃だろうか。そんな空を突き破り、涙も乾かぬ顔でがば、と立ち上がったのは京三だ。
「わかりましたぁっ!」
 まだ喉は、ひっくひっくと音を立てていたがかまわない。
「当てたというなら、すべては雲太のダイコク銭に間違いなしっ! だのに分けて与える大国が間違っておるのですっ! 行ってわたしがすべてもらい受けます。牛だろうと馬だろうと、引いて抱えて出雲へ向かいますっ!」
 閉じた唇は、それでもまだ言い足りない何かにうごめく。こらえて結び京三は、肩で風切りきびすを返した。大股で、ざくざく茂みをあと戻りはじめる。おかげで置いて行かれそうになった和二が、血眼とその背を追いかけた。気遣う京三が振り返ることはない。大国が閉まっておれば話にならぬから、と明日の朝一番に向かうことだけを和二へ告げた。
 その夜、二人は、どこぞの大屋根の裏で身を丸める。ナベがないのだから粥は炊けない。果たして雲太が騒いでいるのかどうなのか。通りから聞こえてくる喧噪を耳に、川の冷たい風に身をさらして、芯まで冷えて眠りについた。

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