尽きぬ富 の巻
73


 翌朝、川のせせらぎに肩を叩かれ目を覚ましてからというもの、和二と京三は言葉を交わしていない。互いは黙ったまま川へ下ると、口をゆすいで腫れぼったい顔を洗った。朝げはいつもナベの残りであったが、炊いていないのだからあるはずもない。投げ与えられた銅銭を使う気にこそなれず、二人はそそくさ出立の準備を整えると、早くから賑やかな通りを大国の大屋根目指し歩いていった。
 もうどの大屋根にもムシロの品にも、惑わされない。
 ただ大国の看板だけを一心に目指す。
 辿り着き、赤い布を払いのける京三の手元は食っておらぬとは思えぬほどにも、力が入っていた。それ以上、大きな声を大屋根の下に響かせる。
「早くから失礼いたしますっ! こちらにおられるダイボウ様とお話しいたしたく、お目通りを願いに参りました。どなたかダイボウ様へのお取り次ぎを、急ぎお願いいたしますっ!」
 入ったところは土間で、奥に台は設えられていた。その向こうに高い床は広がり、次のタカラくじの準備に追われているのだろう、あぐらをかいた大国の者らが筆で紙へ絵柄を描き込んでいる。その手を止めた大国の者らはみな、あまりの剣幕にポカンと京三を見つめたきりだ。おかげでじれったくなり京三は、また声を張った。
「どなたか急ぎ、お取り次ぎをっ!」
 なら、ああ、と目を覚まして、大国の者らが互いの顔を見合わせる。その目はやがて、ひと所へと集まっていった。そこで男は一人、立ち上がる。そそ、と京三の前へ進み出て、衣の裾を叩くように整え座した。
「恐れ入ります。ダイボウ様はわたくしども大国の者か、大当たりのタカラ者としかお会いにはなりません。お話でしたら、このわたくしが代わっておうかがいいたします」
 言う口ぶりは、ずいぶと落ち着いている。
「いえ、わたしはダイボウ様にお話があるのです」
 返しながら京三は、そんな男の元へ歩み寄っていった。やおら大屋根の奥へ目を向け、伸びるひと所を見定める。早いか京三は、左、右、と背へ足を蹴り上げ脱いだ履物を手に取った。束ねて懐へねじ込むと、失礼、と入れた断りで床板へ上がり込む。
「何を」
 驚く男が尻を浮かせていた。押し止めてその手を京三へ伸ばすが、京三は見向きもせずにその手をぺしり、叩きつける。あいたたた、とうめく男が手を引っ込めていた。見て取った大国の者らはとたん、おおっ、と目を丸くしてゆく。
「お通し願えぬのなら、こちらからおうかがいするまで」
 かまわず吐き捨て京三は、いぶり出すかのようにダイボウの名を呼びつつ、奥へ奥へその足を進めていった。その背を追いかけ和二もまた、脱いだ履物を両手にえい、と床板の上へ飛び上がる。ここでもお戻りなさい、と男はいさめるが、その顔へ、がお、と吠えて京三の隣についた。
「こ、こやつは小鬼か」
 うめく男が周りへ声を上げる。
「その者を、その者を通させてはなりませんっ!」
 とたん大国の者らは立ち上がっっていた。おやめください。お戻りください。声を重ね京三へと群がってゆく。だが今日の京三は一味違った。立ち止まって睨みつけ、吸い込んだ息を「かぁつっ!」と全て吐き出す。それはもう、耳を塞いだ和二さえ目を回すほどの大きさで、大国の者らも痺れたように動きを止めた。すきに、京三はするり、間をすり抜ける。どすどす、足音を響かせ、伸びる床板の奥を左へ折れた。
 前に布が吊るされていたなら断りを入れ、跳ね上げる。誰もおらぬならまた奥へ進み、現れたついたてを回り込んだ。
 そこには雲太の荷とナベが放り出されている。見つけた京三の目は細くなっていた。
「和二、ナベを持てますか?」
 答える前に駆け寄った和二は、すでにナベを抱えると京三へ振り返ってみせている。なら任せて京三は、残る荷を己の体へくくりつけた。中庭だろうか、またいで離れへ伸びる渡り廊下を見つけ、和二を誘う。
「あの向こうへ行きます」
 頭の上をくぐらせナベを荷と背の間に差しこみ、うん、と答えて返す和二が京三の背へ駆け寄っていた。率いて京三は、渡り廊下を踏みしめる。
 その後ろからは、わいのわいのと追いかける大国の者らの声が近づいてきていた。
 だが追いつくことはない。
 京三は、離れの入口をふさぐついたての前に立つ。足を踏み入れるその前に、ここでも違わず中へひと声、呼びかけた。
「失礼ながら参らせていただきました。ダイボウ様、おりいって大事なお話しがございますっ!」
 と、それまでなしのつぶてであった奥から、初めてがさごそ、物音は聞こえてくる。見定めて満を持し、京三はつい立の向こうへ回り込んだ。
 明かり取りの窓がついた離れの中は、思いのほか明るい。風がゆるゆる流れ、突き当りの壁に垂らされた濃紺に白抜きで文字の書かれた布が、ふわふわ、泳いでいるのが見えた。背にして一人、烏帽子姿の男はいる。それもずいぶん肥えた男だ。京三は思い、見た。だがその大きな体は今やわなわな震えると、おびえてぴたり、布へ張りついてもいる。
「ダイボウ様で、いらっしゃいますね」
 違いない、と静かに男へ問いかけた。
 声に男は、とたん、ひいい、と叫んで縮みあがる。
「そ、そうよ。お話って、あんた盗人っ?」
 確かに、半ば押し入ったようなものなのだから、疑われても仕方ない。だからして京三は、いくらか歩み寄ったところで座した。そこから先、床板へついた両の拳でずいずい、にじり寄ると、並べた手で深く背を倒してダイボウへ伏す。謹んで名乗った。
「突然の無礼、どうかお許しください。わたくしは先日、タカラ者となりました雲太の弟、京三と申す者でございます。隣が末っ子の和二」
 なら、まねて隣でヒザを折った和二も、すぼめた口で伏している。よくできました、と笑いかけ、京三は頬を引き締めなおした。
「お話とは、兄のことにございます。そのことでダイボウ様にお願があり、参りました」
 上げた面で、ダイボウの前へ背を立てる。その眼差しは鋭く、見据えられたダイボウはなおさら布へ背を張りつけ言った。
「こ、怖い顔ねぇ。ほ、ほんとは、大国の者か、タカラ者にしか会ってやらないのよ。だからお願いされても、聞いてやらないのよっ!」
 だが京三が怯むことはない。
「うかがえば当り銅銭は毎日、五枚ずつをお渡しとのこと。ですがそれでは兄がここから離れようと致しません。わたくしどもは大事な旅の途中ゆえ、一度に預かりたく、万枚、お出し願えるよう、申し上げます」
 そこで大国の者らは追いついたらしい。踏み荒らされた床板が、京三のところまでぴりぴり、震えた。かと思えばダイボウ様、と背で声は上がる。
 だがダイボウが答える素振りはない。ひたすらだめ、だめ、と京三へ首を振り続ける。返事に思わず京三はその身を乗り出していた。
「なぜでございますかっ? タカラくじを当てたのは兄、雲太。銅銭をすべて受け取ることができるはずでございます。それとも万枚あるなどと、大国は兄をだましておいでなのですかっ?」
 その面持ちにまたもやダイボウがひいい、と叫び声を上げる。叫んで布へと、すがりついた。
「人聞きの悪いことをいっちゃだめなのよっ! この中に万枚、あるに決まっているのよっ!」
「ならば今すぐっ!」
 文字の書かれた布は今や、ぶら下がるダイボウの重みに突っ張っている。しかしながら京三はひざをすってダイボウへ詰め寄り、手足をばたつかせたダイボウはそんな京三を払って布を引き寄せ続けた。
「い、いっぺんには無理なのよっ! 力を使い過ぎると、あたしが元へ戻っちゃうのよぉっ!」
「は?」
 などと言い分は突拍子もなく、がたん、そのとき音は鳴る。  

トップへ