さらば三兄弟 の巻
78


 そうであったと満を持し、向きなおった女へ雲太は尋ねなおす。ところが喜んでおれたのも、そこまでのことであった。
「そら、この先に大きな湖があるから、そのほとりに沿って歩けば出てくる屋敷がそうさ。なぁに、ずいぶん立派だからすぐにわかるよ。あんたら、なんぞあんなところに用かね」
 行く先を振ったアゴで示し、女は胡散臭げな目を雲太らへ向ける。仕草はとにかくぞんざいで、たちまち雲太の眉は重たげと、まぶたの上へのしかかっていった。
「こら、女。わしらはともかく、 (ミコト)のことをそのような口ぶりで話すなど、無礼であるぞ」
 京三もまた戸惑いつつ、女の問いに返して話す。
「はい、命は国造りに励まれていらっしゃるとうかがっております。そのためにお伝えしたいことがあり、遥々、山を越えてやって参りました」
 女は話を、新しい薪を火へくべながら聞いていた。やがてへの字に曲げた口をこう開く。
「そりゃあ、無駄足だったね」
 これには京三も唖然とするしかなかった。和二も、お、と鼻の穴を広げ、雲太の肩はますますいかる。
「ええい、気に食わぬことばかり言う女だな。無駄足とはどういうことだ? 命のことをそのように言うわけも、しかとわしらへ話して聞かせろ」
 なら一仕事終えた手をはたいて女は、命が国造りに励んでいたのは遠い昔のことだと、共に励んでいた 少名彦 命(スクナヒコナノミコト)神避(カムサ)ってからというもの、国造りは滞るどころか行き当たりばったり、今では手がつけられぬ野に命もやぶれかぶれ、日々、遊び呆けているらしいことを語った。
「まさか。命は、あの 素戔嗚(スサノオ)より国造りを任されたのです。そのようなことこそ、あるはずがありません」
 話し終わる頃には京三までもが、女へたてつく始末となる。様子に女は頬をぷう、と膨らませていた。
「なにさ、嘘なんてついてやしないよ。疑うならこの辺りの者に聞いてみな。みんな同じことを言うからさ」
 おかげで雲太らの方こそ二の句が継げず、口ごもってしまう。とどまっておればまた命の悪口を聞かされそうでならならず、いたたまれなくなり頭をさげていた。教わったとおり道を辿ると、そそくさ女の元を立ち去ることにする。
「そんなこともあっての、野の乱れでしょうか?」
 ずいぶん歩いたところで、京三が雲太へ投げていた。思いを察したかのような空は、またどんより曇っている。
「もし命が、わたしたちの声に耳を傾けてくださらなければ……」
 声を沈みこませた京三が、うつむいていった。
「目通ってみんことには、わからんことだ」
 引き止め雲太はいさめる。
「わしらは命を信じるからこそ、ここまでやって来たのではないか。惑わされるな」
 とたん京三のアゴははっ、と持ち上がっていた。歩く雲太の横顔を仰ぎ見る。そこで雲太は行く先だけを睨みつけると、瞬きひとつしていなかった。見つめて京三もまた唇を結びなおす。同じく前だけを見据えると、はい、とうなずき返すのだった。
 その鼻先に、また雨の滴は弾ける。おや、と思えば、そこから先は待ったなしであった。ざぁっと雨は降り出して、わーっ、と叫んで雲太と京三は道端の木立へ、つくしと和二は祠の屋根へ、もぐり込む。
「しかしよく降る。天照はどうかされたのか?」
 雲太の口ぶりは先ほどとはうって変わって気弱だ。京三も衣の雨水を払いながらほんとうに、と返す。
 と、祠のかげから、和二とつくしがひょっこり顔をのぞかせた。ここにいるぞ、と和二が知らせて手を振り上げる。応えて京三もまた手を掲げたなら、二人は肩を縮めて頭を抱えた。きゃあきゃあ、騒ぎながら祠の中へ身を引っ込めてゆく。どうやら頭へ滴を落されたようだ。察すれば京三に笑みは浮かびんだ。笑ってようやく、そんな光景がいつからか当然となっていることに気づかされる。笑みは自ずと、しぼんでいった。
「さしでがましいようですが、雲太」
 祠を見つめたまま切り出す。
「そろそろ、つくし殿のことを考えておかれた方がよいのではないかと」
 雲太は振り返り、京三はただ続けた。
「御仁への目通りが叶えば、残るは荒魂を鎮めるだけとなりましょう。そうなれば、もうこれまでのように歩いておるだけではすまぬはず。つくし殿には申し訳ありませんが、めしいておればこそ足手まといです。危ない目に会わぬとも言えません。共に過ごすのは出雲までかと」
 祠へ向けていた目を、そこでようやく雲太へ向ける。しかしながら唐突なこの話に、雲太が驚くことはなかった。京三が目を伏せ判断を仰いだなら、雲太はうむ、とうなって聞き入れる。どちらからともなく二人して、再び祠へ顔を向けなおしていった。
 雨が止むのを待ってかそこで、和二とつくしは歌をっている。調べは実に軽やかで、そんな歌声さえ眺めるように、雲太は言った。
「つくしも何やら考えておったようだ。頃合いかもしれん」
「命に落ち着き先のことを相談されるのも、よろしいかと」
 と、そろっていたはずの声はそこで乱れた。どちらかが間違えたらしい。いさめてじゃれ合う声が、明け方の小鳥さながらけたたましく響く。おかげで居心地を悪くしたようすだ。見る間に雨足は弱まると、雲は空から逃げ出してゆく。次第に明るさを取り戻していった。
「おや、通り雨だったようですね。もうやみそうですよ」
 こずえの先より頭をのぞかせ京三が、辺りを見回す。目に飛び込んできたものへ、これでもかと伸びあがってみせた。
「雲太、ご覧くださいっ!」
 それは流れゆく雲と雲の隙間だ。もれて光は一筋、細く伸びていた。ままに天地をつなぎ柱と立ったなら、その足元に見たこともないほど大きな湖をきらきら輝かせる。
 おお、と雲太も身を乗り出し、つくしの手を取った和二も祠から飛び出した。光景をこと細かに教える和二は、かいがいしく、その頭上に虹が、ほんのり橋を架けてゆく。架けてそこからくぐり抜けよ、と雲太らを誘った。その先で湖も、よく辿り着いたと深い懐を広げて出迎える。
 大事な話であれば遅くに押しかけることこそ、良いやり方ではないだろう。雲太らは明日、大国主命の住まいへ向かうことを決め、その日は辿り着いた湖のほとりで荷を下ろすことにする。
 四人そろってはこれが最後になるやも知れない。夕げのナベを取り囲んだ。膨れた腹をなでつけてしばらく、月夜見の見守る夜空の下、そうっとまぶたを閉じてゆく。


 そんな夜の先の先、雲太らの見知らぬところで男はアゴを持ち上げていた。その背に闇は広がり、前に山は、盛られた塩かと歪みのない形でそびえ立つ。
 見上げて男はほくそ笑んだ。その笑みに何事かを察して山からごまんと、鳥は舞い上がる。だがどこまで逃げおおせるつもりか。これからを知っておればこそ、それこそ無駄に違いなく、行かせるだけ飛ばしておいて男は真下でこう呟く。
「これが三輪の山か」
 そのとき息は、男の胸へ鋭く深く吸い込まれていった。
 ためて男は地を蹴りつける。
 瞬間、その身は鳥より高く舞い上がり、空へ大きな弧を描いた。それきり小枝をへし折り青葉を散らせ、山も中程、覆う木立の中へがさ、と身を飛びこませる。

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