さらば三兄弟 の巻
80


 声にずいぶん先の水際で、和二と屈み込んでいたつくしが顔を上げる。京三はそんな二人と雲太の中程を歩いており、やがて立ち上がったつくしとすれ違った。なら追い越されてはなるまいと和二がまた先へ駆けだし、つくしだけが雲太の方へ戻ってくる。
「はい、なんでございますか?」
 などと聞かれて、するする話せるはずもなかった。雲太はうむ、と返して遅れてはならないから、ととにかくつくしを歩くよう促す。
 二人、並べば足はどんどん進んだ。
 だが肝心の話こそ、てんで進む気配にない。
 用があるからして、呼び寄せのだ。やがてつくしも何だろう、と様子をうかがい耳を澄ませて目を瞬かせる。なら、何も知らぬその様子が、なお雲太を口ごもらせた。おかげで、埋めて突拍子もない言葉は雲太の口からこう飛び出す。
「み、水鳥が白いのは、銀色の腹をした魚ばかり食っておるからだ」
 聞いたつくしが怪訝な顔をしてみせた。
 見て取り雲太は、たまらず続ける。
「も、もうす大国主命のお屋敷につくぞっ」
 すぐにもしまった、と顔を伸ばした。
「まぁ、とうとう見えたのですね」
 何しろ屋敷などまだ見えておらんのだから、すぐにも喜ぶつくしにあわわ、と泡を吹く。がその時、助けて大屋敷は、朱塗りの屋根も優美に、あ、と声がもれるほどの立派さで湖のほとりへ浮かび上がっていた。
「うんにぃっ、お屋敷があったぞうっ!」
 だいぶ先で振り返った和二も、跳ねて知らせる。そんな和二へ雲太はここからでも見えるぞ、と急ぎ手を振り返した。聞き取ったつくしが屋敷はどんな様子をしておるのか、と雲太にせがみだす。
「いや、その、ではなくて……」
 などと、すべき話は別のもので、切り出したくとも雲太にはまだ告げる腹は決まらずまごつく。ついに負けて、雲太は屋根の色を、その下に吊られた濃い紫と白と黄の布が風になびく様を、周りを囲う生垣が青々と美しいことを、切れたところにそら立派な鳥居が組まれておることを、つくしへ語った。
 終わった頃、四人はひと塊となり鳥居の前に辿り着く。間近で見ればなおのこと立派なたたずまいであった。それは、こんなところへ入ってもよいのだろうか、と雲太らを気後れさせるほどで、見上げて雲太らはしばし戸惑う。なら鳥居の奥から声が聞こえてきたのはまさにその時で、これがわぁ、だかひゃぁ、だか叫び声のようなのものだったのだから雲太らは、心底、驚かされて目を瞬かせた。すると声へばたばた足音は重なる。見定めんと眉をひそめた雲太らの前へ、やおら 狩衣(カリギヌ)をまとった男は飛び込んできていた。その勢いたるや声のとおりだ。つんのめったかと思うと砂埃を巻き上げ、ぐう、と伸びたきり動かなくなる。
 あまりのことに雲太らはしばしあっけに取られ、その場に押し固まっていた。
 やがて大丈夫ですか、と京三が、そうっと男へ声をかける。蹴散らして、またもや声は誰もの前へ飛び込んでいた。
「ああ、憎らしいっ! また嘘をつかれて女とお会いになられておりましたねっ!」
 女だ。なびく重ね衣が (アデ)やかだった。だが面持ちは裏腹で、向かって男は身をひるがえす。押し迫る女を止めると、その手を宙へ突き出してみせた。
「ま、待て。何かの間違いである。わたしは勤めで出ておったのだからして、断じてそのようなことはないっ!」
 尻で後じされるが間に合わない。女は詰めて、きーっ、と男の真上で拳を振り上げた。
 間違いない。眺めて雲太は悟る。これはケンカだ。それも大国主命の屋敷前ながら、畏れ多くもみっともない色恋のもつれのようだった。分かれば見てはおれず、雲太はたちまち両手を広げる。止めて互いの間へその身を飛びこませた。
「あいやまたれいッ。しばらく、しばらくッ」
 女へ告げ、それから男へ振り返る。
 とたん声は、ああっと雲太の腹から飛び出していた。
「お、おぬしは市で、わしにくじを拾ってくれた男ではないかッ」
 その通りだ。何の因果か、あの人のよさげな顔はそこにあった。おかげで女の目も、京三らの目も、ぱちくり、瞬く。
「雲太、こちらの方を、ご存じなのですか?」
 問う京三は、まさにおずおずと、だろう。うなずき雲太は市での出来事を、手短に京三らへ語っていった。
 伝え終わるころにはそんなことがあったのですか、と京三は感心してうなずき、あいだ男はずっと身を投げ出したまま雲太の話に聞き入っていた。
 雲太はその胸倉を掴んでぐい、と立ち上がらせてやる。
「いや、このようなところでまた会うとは。それもこれも牛に踏まれずすんだからこそ。お互いなによりであった」
 男のすっかり汚れた衣をぽんぽん、払い、次いで女へ体を向けなおした。
「ともかく、わしにさえそのようであったのだ。面倒見の良いところが、この男の良いところ。会いに向かったのも、何やら放っておけんと思い込んだこやつの世話好きがこうじたのであろう。だが過ぎたるところがいかんときた。しかし、これでよく身に染みたはず。こたびはどうか、言うわしに免じて見逃してやってもらえんだろうか」
 深く頭をさげる。目にすれば、女も引き下がるしかなくなったようだ。やがて振り上げていた拳をおさめていった。様子に京三らは顔を見合わせ微笑みあい、男もまたほう、とひと息つく。
「はて、などと言うそちらはどなたか?」
 今さらだ。雲太へ問うた。
 雲太は「は」と目を見開き、前で男は続ける。
「そもそも市は兄神らに任せたきり。長らく行っておらんからなぁ。誰ぞと見間違えたのではなかろうか」
  空を睨んでこりこりアゴをかけば、今度は京三らが「え」と息を飲み、放って男はとどめを刺してこう名乗っる。
「わたしは大国主命。ここにおるのは、嫁の須勢理姫。いやはや、恥ずかしいところを見られてしもうた。さて、その方、名は何と申す?」
 とたん「ええっ」と雲太は千切れてしまいそうに、爪先立ちで伸びあがっていた。それはもう何がどうで誰が誰だか分からぬせいだ。とはいえともかく屋敷から出て来たのだから、転がろうと四つん這いになっておろうと、まずは大国主命と察するべきだったにちがいなく、さっぱり抜け落ちていたのは人のよさげなその面持ちのせいで、雲太は潰れんばかり (ミコト)の足元にひれ伏す。
「こッ、これは申し遅れたッ。わしは雲太と申す者。大国主命でおはせられたなど、知らぬこととはいえ無礼の数々、まこと失礼いたしたぁッ」
 後ろで京三らもヒザを折り、心のままに身を縮めていた。だが見回す命は気楽なものだ。よいよい、と笑いってもう (ユル)している。さらには堅苦しいのは好かんから、と面を上げるよう雲太らを促し、おかげで須勢理に打たれずすんだ、とも耳打ちしてみせた。
 言いようにも見てくれにもあっけにとられ、雲太はうながされるまま、おずおず顔を上げてゆく。
「し、しかし、瓜二つ」
 信じられぬから、またもらした。
「そうか、それほどまでに似ておったか」
 うなずき返す命は満足げだ。そうして雲太へこうも教える。
「ならばその方が会ったのは、おそらくわたしの幸魂、奇魂であろうな。そら、わたしとそっくりであったからなぁ。あれほど似た者はほかにおるまいて。いや、まこと怪しうえに不躾であった。だからしてとっとと追い払ってやったわ」
 続く笑いはあっはっはっは、であった。
 事と次第の始まりを、命は無邪気と笑い飛ばす。

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