さらば三兄弟 の巻
81


 だが雲太こそ笑えるはずもない。
 まことを知らぬとは、げに恐ろしきことかな。
 雲太の顔は見る見る青ざめ、瞬きを忘れた目は鬼と吊り上がってゆく。
「ならわしは、すでに探す神とおうておったということかッ……」
 いや、あれほど似た者もほかにおるまい、と命がいうのだ。間違いはなかった。信ずれば雲太の頭はたちまち真っ白となってゆく。取り返しのつかぬ失態に、泳ぐはずの目さえ固まっていた。そこへ男の動きはあてつけがましくも蘇ると、くじを拾い上げる気配を、人もよさげに笑いかける眼差しを、雲太の手をのぞき込み、これは面白い絵柄があるという声を、次々と思い起こさせてゆく。
 だからこそ雲太の息は、あ、と詰まっていた。
 よもやと確かめ持ち上げるのは、くじを握っていた己が手だ。
 恐る恐るのぞき込めば男の言うとおりであった。
 そこには面白い絵柄がある。
 天照の刻んだ鳥居はくっきり、描かれていた。
 とたん足元がぐらぐら揺れだしたのは、気のせいでもなんでもないだろう。証拠に揺れは、雲太の中で偶然と思えたすべてを解き明かしてゆく。なにしろオノコロ島の蛇でさえ、そうだったのだ。荒魂はことごとくこの身のゆえんを、鳥居のわけを知っていた。探す神こそ知らぬはずがなく、雲太の握るくじの絵柄を当りの絵柄に変えてしまうことなど、貧乏神へ並外れた力を授けたのであれば朝飯前だと思えてならない。くじが当ったのはこの鳥居を見たからこそだ。すべては足止めさせんための企みだった。そのとき閃きは、雲太を稲妻がごとく叩きつける。
「雲太っ!」
 同じ稲妻に打たれ、京三も背で声を張っていた。ならばもう、間に合うかどうかではなくなる。
 市へ戻らねば。
 思いはよぎり、雲太は真っ白だった頭へ血が音を立てて昇ってゆくのを感じ取った。呆けていた目を命へ定め、腹の底に力を込める。
「畏れ多くも大国主命に、申し上げるッ」
 剣幕に驚き口をすぼめた命は、何も知らねばこその面持ちだ。それは人もよさげが災いして間抜けとしか見えず、今さらのように住まいを教えた女の口ぶりは飲み込めてならない。だからしてこれより命には、性根を入れて奮ってもらわねばなるまい。雲太は乱れた野の有様を、そこに暮らす者らの声を、幸魂、奇魂が訪れたわけを、大きな祟りが訪れようとしておる今を、額に汗を浮かせて語っていった。


 だがもう手遅れか。
 金輪際、朝を絶ったその地を烏は飛ぶ。
 黒雲へ近づけば近づくほど雨は矢と降り、風は嵐と吹き荒れた。
 嵐はやがて地と空をつなぐ黒雲の壁となり、烏の前に立ち塞がる。だが避けておっては目指すところへ辿り着けまい。睨んで烏は、稲妻、走るその中へ身を飛び込ませた。
 猛嵐だ。黒雲が辺りを覆って渦巻き、雨に風が上下関係なく烏の身を叩きつける。あおられ烏の翼は、もげそうに反り返った。稲光がそんな翼を狙って走り、かわして烏は身をひるがえす。轟く雷鳴に身を震わせ、負けじと黒雲の中を飛び続けた。
 ならどれほど進んでからのことか。渦を巻いていた黒雲の流れは変わる。行く先へと吸い上げられ、怪しみ細めた烏の目の前で、切れてそこに空を広げた。
 再び天地は姿を現し、雨足は弱まり、吸い上げられていた黒雲がさらなる高みでゆったり渦巻いている。そんな渦の真ん中目がけ、一本の柱は反り立っていた。
 焼け土の真っ赤な柱だ。
 目の当りにして烏は、ここは野かと己が目を疑った。それほどまでに重たげで見誤ってしまいそうなほどに巨大な焼け土の柱は、黒焦げとなった山より堂々、噴き上がっていたのである。
「な、んという……」
 もうそれ以上の言葉が続かない。つまりここが荒ぶる国津神らの集う場所に違いなかった。つまりどこかにおるはずだ、と烏は肝心のぬし様こと、束ねる神を探して首を振る。だがどこにも見当たらない。これはいかん、と意を決し、山へ向かい翼を切った。それ以上、近寄れば燃えてしまうところで胸を反らせ、柱へ背を立て、炙られながらぐるり、周囲を飛ぶ。そこでようやっと、烏はその山がどこから見ても三角であることに気づかされていた。
 三輪の山か。
 思えば同時に、あ、と嘴は開く。
 焼け土の柱の中だ。
 あろうことか人は浮かんでいた。
 男だ。
 と、その目と烏の目は合う。
 覚えた寒気は尋常ではなかった。だからして何を疑えというのか。ついに見つけたり。かあ、と烏の嘴を割って、雄叫びは出る。
 かき消し、出でよ、荒ぶれ。男が柱の中で手を振り上げた。なら応じてどうん、と焼け土の柱は天高く噴き上がり、熱い石を辺りへばらばら降らせた。避けて身を振り、空を滑って烏は逃げる。様子に怒り狂ったか、またもやどうん、と焼け土の柱は石を吐き出した。
 とそれは、そんな柱を噴き出していた穴だ。縁がぱらぱら、崩れだす。勢いは次第に増すと穴は広がり、がさり、がさり、崩れるままにお山に茂る木立を、その根元に生える下草を、奈落の底へ飲み込み始めた。光景は山が窪みへ裏返ってゆくようで、凄まじい。あっと言う間に山は、真中より焼け土の柱を噴き上げる深い深い窪みへ姿を変えてしまう。
 だが崩落は、山のみに止まらなかった。勢いさえつけ野へ広がる。加えてそんな穴の底からゆらゆらと、浮かび上がってくる影はあった。お山へ集いし荒魂だ。その数こそ見渡す限りの 八百万(ヤオヨロズ)であったなら、開いた穴をたちどころに埋め尽くしてゆく。
 向かい男がそうら、で手を振り上げた。
 従いどうん、と焼け土の柱も鈍い音を響かせる。むわ、と荒魂も穴の底より盛り上がったなら、波と連なり一気呵成に、烏めざして襲いかかった。
 我に返った烏の鳴らす舌打ちは短い。
 共に、己が翼へ火を着ける。
 噴かせて最速とはばたいた。
 その翼を、祟りの波と連なった荒魂が追いかける。
 加速を続ける互いの身が、降りしきる雨を跳ね上げた。
 ままに荒魂が、むわ、と膨らみ烏へ覆いかぶさる。身を振り烏がかわしたなら、狙い定めてまた躍りかかった。
 上へ下へ、右へ左へ、烏は波打つ荒魂から逃げに逃げる。その翼から白く雲は尾を引いて、なびかせぐぼ、と黒雲の壁へ突っ込んだ。
 中は変わらずの荒れ模様だ。
 諦めたか、追い払っただけなのか、荒魂がそこまで追いかけては来ることはない。やがて黒雲の向こうに光は差し、前に後ろを見回して烏はようやく生きた心地を取戻していた。
 さて、と落ち着いたところで考えを巡らせる。祟りも災いもこの大きさだ。天照はもう、気づいておられるやもしれず、であれば即刻、木偶らを向かわせるハズであった。
 そこで烏の体は、黒雲の中から抜け出す。
 広がる空はまだ青く、烏はその隅から隅へ目を走らせた。見つけてひとたび翼を打つ。そうして野へ、この星へ、その身を立てた。まっすぐ空を駆け上がれば星の力がその身へすがる。応じぬ烏の羽から、雨粒が震え伝って落ちていった。振りまき烏はかあ、と鳴く。その嘴で、目の前に迫った雲へ食らいついた。とたん驚きもぞもぞ動くのだから、それは天浮橋で間違いない。
「お勤めでございますよっ!」
 えいや、で烏はそれを引き千切り、早いか、照りつける日を背に、広げた翼で空を抱いた。上昇はそこでぴたりと止まり、烏の体は空にふわ、と浮かぶ。
 そうして見下ろした眼下には、影が染みと広がっていた。黒雲の壁も刻一刻と大きさを増している。力尽きたか彼方で山が、またぺしゃり、潰れていた。
 睨んで烏は翼をたたむ。あの足取りではもう出雲か。脳裏に木偶らを思い浮かべ、うって変わって星の力に身を任せた。地を目指し、真っ逆さまに木偶らの元へと落ちてゆく。

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