さらば三兄弟 の巻
84


「これは一体、何ごとか?」
 揺れる地へ、命が目を丸めていた。なら市で 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を察したつくしは、雲太の隣であああ、と声を震わせ始める。握り合わせた両手で叫んだ。
「雲太さのいっておられた、祟りでございますっ! 祟りが野を食ろうておるので、ございますっ!」
 とたん見破られた正体を明かして野は、雲太らの足元でめりめり裂ける。
「なんとッ」
 雲太はこれでもかと眉を跳ね上げ、京三は見る間に顔を青ざめさせていった。和二など広げた小鼻から荒い息を吐き出すと、命もろとも驚きのあまり天浮橋から落ちそうになる。
 前で野の裂け目は、一直線と地を走った。
 その先にあるのは市だ。
 天浮橋は一足先に、市の空をぴう、と横切る。
 雲太らの目に、穀を刈っていた者らが手を止め地鳴りへ顔を上げてゆく様は映り込でいた。雲太は誰もへ、早く逃げろ、と叫んで知らせるが、隔てる山に覆い隠されてもう見えない。なら入れ替わりとそこに早くも野原は広がると、揺すられざぶざぶ、水をあふれさせる赤い川を横たわらせた。その両岸には押し止めんと奔走する人だかりがある。
「親方様ぁっ! モトバ様ぁっ!」
 京三が声を張り上げた。だが誰も目の前のことで精一杯だ。聞こえた様子はまるでない。天浮橋も三輪の山をめざすと、瞬く間に野原の上を飛び去っていった。
 続けさま連なる山の合間に、つつましやかな村はのぞく。タカの村だ。だが、ようやく得たあの朗らかさはどこへやら。うねは千切れて地は裂けると、ワラ屋根の住まいをがさり、がさり、飲み込んでゆく。女子供に年寄りは、戻った働き手に手を引かれその合間を散り散りになって逃げていた。中に雲太は、シソウとタカの姿を見つける。
「必ず鎮めるからして、頑張れぇッ」
 声の限りに励ましていた。
「わたしが祀らず、国造りを怠ったせいで……」
 隣で命が、野からついに目を背けてしまう。
 つけいるように、空へそぞろと黒雲は忍び寄った。
 雲太らは群れなし逃げる鳥たちと、幾らもすれ違う。
 やがて雨と風が、そんな雲太らを強く打ちつけ始めていた。
 野の揺れは次第に大きくなっているようだ。山がぱらぱら、小石を振るい落としているのが見えた。
 と、地が途切れる。放り出されたかのように懐かしき海はそこに広がった。遠くかすんで見えるのはオノコロ島だ。だがその空はもう真っ黒となっている。包まれて辺りはおどろおどろしい色に染まり、出立した頃の面影はすっかり消え失せていた。唯一、染まらぬ国中之柱だけが、高天原とをつないでい清しく伸びている。
 つまり、と目をやったのは浜の村だ。そこでミノオは兄弟らを抱えると、ぱくり、ぱくり、割れゆく野の中、うずくまっていた。帰っていたか。雲太は息をのみ、和二が逃げろ、とありったけの声を上げる。
「雲太さっ!」
 そこへつくしの声は重なった。あれはなんぞ、と命を指さす。なぞり顔を上げたそこに、黒雲の壁は天地をつないで立ちふさがっていた。空へ敷き詰められた黒雲はその壁より噴き出しており、足元へ影さえ落としながらにじりにじり、雲太らへ押し迫っている。
 と京三が、違いますと目を凝らした。
「穴です。雲の下に大きな穴がっ!」
 まったくだ。近づけば近づくほど野の端の崩れ落ちる様が、崩れて断崖絶壁と切り立つ様が克明となっていた。そして崩しているものこそ、這い上がらんと穴の縁へ手を伸ばし、もろとも底へ転がり落ちる荒魂であることを見届ける。うちにも壁は、雲太らの前にそびえ立った。
「突っ込むぞぉッ」
 知らせたところで、向こうの様子がまるで分からない。叫んで雲太はつくしの頭を抱え込む。その中へ、みなを乗せて天浮橋は突っ込んでいった。
 たちまちうわああ、と悲鳴は上がる。何しろ中はひどい嵐だ。上も下もありはしない。なぶられてつくしが雲太へしがみついた。雲太に和二に京三に命は、次々投げ込まれてくる稲光に身を縮めると、天浮橋に全てを託して息を殺す。体はすぐにもずぶ濡れとなり、応えて駆ける天浮橋は、やがてぼむ、と黒雲から抜け出していた。
 静かだ。
 嵐を抜けたせいで、そう感じるのかもしれない。
 ただ、どうん、どうん、と重い音だけが雲太らの耳に届く。
 呼び寄せられて雲太らは、額から落ちる滴もそのままに、伏せていた顔を恐る恐る持ち上げていった。
 そこに底知れぬ穴は真っ暗と、口をあけている。
 果てからまた、どうん、と鈍い音は聞こえていた。
 赤黒く焼けた柱だ。
 噴き上がるのを誰もが目にする。それは天浮橋の飛ぶ早さが遅くなってしまったのか、と感じるほどの大さで、凄まじさに身動きすらできず目を見張り続けていた。
 天浮橋はそんな柱に向かい、まっすぐ空を滑っている。
 やがてここだと教えて柱の周りを、なぞるように緩やかと飛んだ。
 放たれる熱に頬が炙られ、濡れていた衣さえうっすら乾いてゆく。
 と、柱を回り込むかどうか、という所だった。
 赤黒い柱の中に雲太らは、命と瓜二つの面持ちが焼け焦げることもなくゆう、と身を浮かせているのを見つける。
「あ、あの者であるぞっ!」
 命が手を振り上げていた。
 声に雲太の目が、ぐぐぐと寄る。その背が、たくわえた力に膨らんでいった。耳には烏の忠告がまだ新しく、だからして雲太はつくしをそうっと、遠ざけてゆく。右、左、うずくまっていた天浮橋へ足を立て、仁王立ちとなったそこから京三へ声を放った。
「京ぉッ、三ッ」
「まさか、ここでですかっ?」
 察した京三が声を裏返している。
「地がないッ」
 天浮橋の上で雲太は足場を探り、見て取った和二もまた、舌なめずりしてみせた。
「がってん、うんにい。おいらは引き受けたぞっ!」
 浮かべた笑みも小鬼のままに、ぴょんと雲太の隣へ跳ね起きる。
 つまりやるしかない様子で、京三の眼差しは命へ飛んだ。
「命、つくし殿をお願いいたしますっ!」
 かまわんことよ、と返す命は十分、成り行きを察している様子だ。ささ、とつくしを天浮橋の一番後ろまで引かせ、そこで二人して身を伏せた。
 かばい京三は、そんな二人の前へ進み出る。腰よりするり、剣を引き抜いた。濡れて湿った握り手が、一段と手に馴染むようで頼もしい。あいだも天浮橋は柱の周りを飛び続け、京三は伏せた目で顔の前へ剣を持ち上げてゆく。
「祀られずは不憫でありましょうが、さりとて祟るに過ぎたる所業」
 そうして柄頭に詰め込まれた布を引き抜いた。捨て去れば布は雨風に揉まれてもくずと消え、その後を雲太の声がつなぐ。
「怒り、鎮めんがため……」
 傍らで和二も両の手を開いたり閉じたり、履物をぺっぺ、と脱ぎ捨てていた。
 気づいたか、焼け土の柱の中で男が肩をひるがえしている。
 瞬間、互いの間を稲妻が、穴の底へ向かい走り抜けていった。
 消えたそのとき誰もの目は、男のそれと合う。
 見定め、雲太と和二は手を振り上げた。
「高天原よりおん力ッ、降らしたまへッ」
 唱える雲太の背で、ジャン、ジャン、ジャン、振られた鈴がこれまでにないほど大きな音を鳴り響かせる。絡めてぱんぱんぱん、雲太と和二は手を打った。なら思いと音色は垂れた頭を飛び越え、黒雲、突き抜け、高天原へ打ち上げられる。
 前で、負けじと男も腕を振り上げた。えいや、の声で迎え撃てば、応えて焼け土がどうん、と大きく噴き上がる。
 瞬間、降り続けていた雨粒の動きは止まっていた。
 来る。
 神の気配は身の内より。
 ただ中で感じて雲太と和二は、その面を持ち上げていった。

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