さらば三兄弟 の巻
87


 見えておるかのごとく、であった。その時つくしは身を縮める。
 見えておる命は消えた、と腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
 雲太と京三は、和二、と叫び、京三は掴んでいた布を捨て去る。残る雲太へ駆け出していた。
 お待ちください、と呼び止めるつくしの声は、放り出されたからこそなす術はもうないのだ、と知らされたからで間違いない。残されてどうすればいいのかを問う様はことさら痛々しく、しかしながら京三に返す言葉はもうなかった。ただ雲太らの作った窪みへ身を躍らせる。つまずきそうになりながら、吹きすさぶ風を胸で押し、雲太にその肩を並べた。
「わたしの塩をっ!」
 己が手を雲太の手へ添える。
 空で戦は熾烈さを増すと、祓われた荒魂や破れた兵士に加え、今やどこからともなく火の粉までもをはらはら降っている。浴びて雲太は驚いたような目を向けすぐにも京三へ、怒鳴り返していた。
「もらいうけたッ」
 うなずき合えば、やおら二人の声は、うおおおっ、と重なる。あおられ、いずる神らの勢いも上がったか。それいけ、と放ち二人は空を仰いだ。
 だがその勢いこそ、思わぬ速さで京三を透かしてゆく。のぞくのは内に秘めたる木切れか。雲太が横目にとらえた瞬間、もろとも衣は砂浜へ落ちていた。
 京三。
 雲太は叫んだはずだ。
 だが言い切った気こそしない。
 ただ視界の端で巨大な柱が炎を上げ、天より倒れてきたようだった。最後にとらえて雲太もまた、その身を木切れへ戻してゆく。転がり落ちると柔らかに、同じところへ衣を重ねた。
 とたん光と風が、鳴り続けていた鈴の音が止む。
 静けさはひとしおだった。
 包まれたそこでつくしは息をのむ。見えぬはずの目を、大きく見開いていった。ならば見えぬすべてはつくしの身へ染み込み、染みこんだそれに切り刻まれてつくしは、悲鳴を上げる。
 砂浜を、雲太の声がしていた場所めがけて、走り出した。
 その遥か沖で、雲太の目にした柱が、それこそが国中之柱と、ついに倒れて水面を打ちつける。
 衝撃に飛沫が水平線の彼方まで連なり、空へ駆け上がっていった。地は揺れ、足を取られたつくしは雲太らの作った窪みへ転がり落ちる。ああっ、と声は上がり、のみならず、倒れて野を打ちつけた国中之柱は共に、それまであった「もの」をこの野から弾き飛ばしてみせた。
 それは誰も目にすることの出来ぬ大きさだ。
 だがそのとき確かに星は膨れて、むわり、緩む。
 緩んで地表へ、受けた衝撃を輪と伝え広げていった。
 芦原の野は、海さえ乗せて波のごとく高く、低く、うねる。
 窪みの底で起きあがったつくしの身も誰の身も乗せると、大きく上下した。
 その動きにびちびち引き千切れてゆくものがあるとするなら、それは野を野足らしめていた「結び」の力だ。
 放り出されそうになって、つくしは砂浜へしがみつく。しかしほどけゆく野はもうその形を成しておらず、今やあてがった手の下は、溶けてのっぺりした泥と化していた。いや、つくしの目が見えていたならもうすでに、陸に海に山に川は色を失うと、一面をぬかるみへ変えている。
 だからして、中へ体は沈み込んでいった。
 うねり、波打っていたならなおさら早い。
 どれだけ手を振り回そうとも掴めるものなどありはせず、ただ上下する野の端で力なく泥を叩き、つくしはだぷだぷ、もがく。これで何もかもが、誰もかれもがおしまいなのだ、とただ胸を潰した。
 とその腕へ、布は引っかかる。触れてすぐ勘づくことができたのは、それが雲太の衣だからであった。手繰り寄せる手は早く、布が沈まず浮いていたわけを明かしてつくしは、中に一本、木切れを見つける。大好きな臭いは、泥をかぶろうと今もそこから漂っていた。
 とたん、あああ、とつくしは身を震わせる。
 目は明かずともそのとき光は射すと、つくしの前を 明々(アカアカ)照らし出していた。内緒ごとはもう、内緒ごとなどではなくなり、雲太はやはり木の生まれ変わりだったのだ、とつくしは木切れをその胸にぎゅう、と抱きしめる。なら一本では浮いておれまい。それは次々つくしを突っついた。流れ着いたそれを手にすれば、よもやと思えど疑えはしない。京三だと、きっと小さい方は和二に違いないと、つくしはそれも強く抱きしめた。
 みなが一緒なら、このまま果てても怖くはなかった。
 むしろつくしも木切れへ (カエ)れたら、と願う。
 願い、三つ木切れを抱きしめつくしは、うねる泥にその身を任せた。
 乗せて芦原の野は、止まることなく泥と崩れてゆく。空も同じくほどけ始めたなら、剥げた青より大気は吸われ、虚が冷え冷えと顔をのぞかせた。だからして戦の手も止まってしかりだ。荒魂も天津神もありはしない。みなして辺りを見回し始める。それは高天原も同じであったなら、雲はぎしぎし音を立て、囲まれ天照は眼下を見下ろすと、天浮橋の上で力尽きたようにそのひざを折っていた。
「わた、わたしの、野が……」
 涙ぐめば、ごう、と耳元で音は鳴る。振り向いたそこに熱は渦巻いていた。燃え盛る翼を広げた鳥が喉を詰め、ぐぐぐ、と奥からなにをや持ち上げる姿はある。
 光景に、天照は我を取り戻していた。
 目覚めて、おのれ、と鳥を睨む。
 刹那、鳥の嘴から火柱は、黒煙、練り合わされて吐き出された。
 まともと食らって、それこそ全てを祟りにあけわたすのか。
 矢など間に合わないなら、真っ向、受け止め、天照は両の (マナコ)をかっと見開く。喝、と吠えたその口から鳥めがけて光をほとばしらせた。
 高天原で、光と炎が互いを突き破らんと力の限りにぶつかり合う。
 砕けて光が、炎が、露か飛沫と辺りへ飛び散り、衝撃で高天原を陽炎のごとく揺らめかせた。ままに押し合い圧力を高め合ったなら、煮えたぎった境界は赤く白く色づいて、双方の背へ蒼く影をぬりつける。背負って祓い、祟らんとする様は、死力を尽くした一騎打ちとなる。
 そこに優劣のつく気配はなかった。五分五分と、力は拮抗し続ける。だからして互いはわずかな隙を探し、おのず右へ右へと回り始めていた。先んじようと競い合えば、その早さに際限はなくなり、やがて巡る勢いが国中之柱の割った雲の裂け目をばりばり、広げ始める。
 いかん、と天照は思うが手は抜けなかった。
 見透かしたように、鳥もなお吐き出す火柱の勢いを高めてゆく。
 迫る炎が、戸惑う天照をじりじり、焦がした。
 このままでは埒があかないどころか、押し切られる。
 思い定めた天照の手はそこで、持ち上がった。背より一本、矢を引き抜く。つがえたとして飛び散る火花に光が、鳥から覆い隠しているはずであった。だからして天照にも同じく烏の姿は見えていない。だがイチかバチかというものは、たいがいがいこういうものなのである。
 キリリ、絞った弓に、天照は高天原を、野を、賭けた。
 分けて八咫、と声を張る。
 心眼、開き、矢を放った。


 ほう。
 それは初めて見知った話に打つ相槌のような、響きであった。もらしたのは、混戦、続く芦原の野の、その上で睨み合う高天原のさらに上で、ことと次第をじっと眺めておった 造化三神(ゾウカサンシン)の一柱、 天之御中主神(アメミノナカヌシノカミ) だ。同じくこの様子をのぞき込んで 高御産巣日神(タカムスヒノカミ)と、 神産巣日神(カミムスヒノカミ)も、そこにいた。
 しょうのないことじゃのう。
 眉をひそめて高御産巣日神は言い、ぽいと口へ水菓子を投げ入れる。もにょもにょ食めばその隣で、神産巣日神もまた
 ほんに、しょうのないことじゃ。
 何度もうなずき、凝った肩をぽんぽん、叩いてみせた。思い出したようにその手を止め、美味そうに水菓子を食う高御産巣日神へ振り返る。
 しかし、アレはまだおるんか?
 辺りは、そんなこんなの混乱とは全く無縁だ。物事の始まり、その神秘を詰め込みしん、と静まり返っている。
 おるおる、この間もそら、その辺を走り回っとったわ。気楽な男よ。
 高御産巣日神は言い放ち、
 もっぺん呼んどくか。
 再び足元をのぞき込んだ神産巣日神が、腕を組んで渋々、絞り出した。ならその向かいで天之御中主神が、涼しげと手を掲げる。右耳の横でぱんぱん、打った。
 伊邪那岐神、伊邪那美神ただちにこれへ。
 開いた口から懐かしい名を、紡ぎだした。

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