さらば三兄弟 の巻
89


 なら叫ぶ天照の傍らを、そらものすごい勢いで矛は突き抜けてゆく。泥に揉まれるつくしの、剥がれた空からぶわ、と姿を現した。様子など空から大岩が降ってきた、と記されてもおかしくないほどの唐突さで、伊邪那岐神と伊邪那美神の振り下ろした矛は果てにずどん、野へ突き立つ。
 弾けて泥が、波とめくれ上がった。
 立った波と波は激突する。
 せめぎ合うまま空高く駆け上がった。
 野へ影は落ち、やがて波は降りかかる。
 かぶってわぁっ、と上がった悲鳴は星中からだ。
 かまわず捻じれて、そのねじれを思うがままにほどきながら泥の波は、天津神も国津神も、大国主命もその幸魂も奇魂も、溺れていた野の者らも、住まう獣も、魚も鳥も全部、すべてを飲み込み押し流していった。


 雲太っ!
 京三は呼び止める。荒れ狂う野は、その足元で小さくなると、塩で結んだ身を使い果たした雲太らは、天照に分け与えられた魂のみとなり、破れた兵士か天津神らか、数多、魂と共にその上を光となって飛んでいた。
 そんな雲太らの目指す先には、輝く一本の柱が立っている。それが何であるかなど、知ろうが知るまいがひどく懐かしいのだから天照で間違いない。
 あれは、伊邪那岐神と伊邪那美神の矛かッ。
 前において雲太は、振り返った。
 そうです。これで再び野は固まるはず。
 京三が力強く返してみせる。
 きっと、きっと、元通りにしてくれるんだぞっ!
 振り上げた握り拳が見そうなほど、和二もまた口添えていた。
 だったとして。雲太は思いふける。
 みなは、つくしは無事か……。
 約束はでまかせとなり、気が気でならない。しかし今となってはもう、雲太に知り得る手立てはなかった。
 命が、命がついておられます。
 迷いながらも言い切ったのは京三だ。
 今度は日差しとなって、野へ戻りましょう。見えぬからこそ、つくし殿は感じ取って下さるはずです。会いに、探しに、向かいましょう。
 だったらおいらはどこを照らそうかな、などと早くも思い巡らせる和二は、呑気なものである。けれど京三の言い分は、雲太の思いを断ち切らせるに十分だった。果たしてわしはあの木であったのだろうか。思い巡らせ、いやどちらでもかまわない、ただそれがよかろう、と雲太はうなずく。
 そんな雲太らの前で光は、もう余るほどの大きさとなっていた。
 なら眩しいが柔らかいそこから、よく戻りましたね、とねぎらう声は聞こえてくる。
 開かれたように見えて、溶けていた。
 雲太らは柱の中に、懐かしくもしっとりと、包み込まれてゆく。
 うっとり夢かとまどろめば、もう誰でもないその一部へと還っていった。


 だからしてむわさ、と塩は矛から吹きだす。
 伊邪那岐神と伊邪那美神はここからが腕の見せどころだ、と慎重極め、在りし日と同じく野をかきまぜた。
 こおろ、ころころ。
 唱えたなら、吹きだした塩と泥は混じり合う。波は静まり、それが人とて山とて天津神とて、やがて野にあるべきものは泥の中から浮かび上がり、うがつ穴は綺麗さっぱり埋め合されていった。緩んでいた星は縮んで引き締まり、浜は浜、海は海、野は野と、表に境は引かれてゆく。
 えらい目にあった。天津神らが、辺りを見回していた。その目が地に突き立てられた矛を見つける。沿わせてアゴを持ち上げたなら、引いてそれぞれ目を合わせた。ぼやぼやしておれん、と己が担当に勤めて野へ散ってゆく。
 もう荒魂はおらぬのだから、そこからの仕事こそ早かった。見て取り国津神らも手伝うと、国造らんと野を奔走する。
 たちまち固まりし地に緑は芽は吹き、育つと傍らを清水が流れた。流れ着いたそこに穏やかな波は打ち寄せ、海は凪ぎ、山も青々とこずえに小鳥を呼び戻す。のどかなさえずりの中に在りし日の田畑のうねが、住まいの屋根が、持ち上がっては連なってゆき、風はそよいで、わずか雨もしとしと降った。止んで空に真っ白な雲が煙のようにたなびいたなら、千切れて群れを成し、彼方へとうとう、走り去ってゆく。
 泥からすくい上げられた野の者らは、その光景を目を丸くして前に後ろに、上に下にと眺めていた。紛れてつくしも助かったのか、と清々しい気配に、固まった土の上で身を起こしてゆく。
 と、そのときだ。
 手の中でそれはうごめいた。
 抱きしめ続けた三本の木切れに驚き手放し、つくしはあとずさる。
 するとわさわさ、転がる小枝から音は聞こえだした。あおがれふわふわ、風も頬をなでてゆく。土くれを裂いて走る何かがつくしの傍らを横切り、一体何が、と身を強張らせたところでそれは、何事もなかったかのように鎮まった。ただ頭の上で、小鳥がちいちい、さえずる声を聞く。
 穏やかな響きにむしろ、つくしはごくり、息を飲んでいた。確かめて、おっかなびっくり手を伸ばす。触れたものに、その眉を跳ね上げていた。手繰るほどに間違いない。木切れもまた芽吹くと根を張り、青葉、茂らせ、そこで立派な木立となっている。
「雲太さっ!」
 泥にまみれた袂を、ひるがえした。
 つくしは迷わず、木立へ抱きつく。
 いや、抱きつかずにはおれなかった。  

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